「恐慌憂ふ可きか」
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時事新報に掲載された「恐慌憂ふ可きか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
恐慌憂ふ可きか
恐慌は商賣上に生ずる一種の恐怖心にして商賣社會に資金融通の道杜絶し信用機關の作用澁滯したる塲合には到底その襲來を免かれざるものと覺悟せざる可らず我經濟社會に種種不穩の状を呈したる今日恐慌襲來の説あるも畢竟此邊の考より出でたるものならんなれども果して前途に斯る危險あるや否やは姑く擱き兎に角に恐慌の際には資金の欠乏甚だしきが爲め諸株式が非常に下落するは勿論諸物價も暴騰の反動として暴落を見ることならん或は世間に斯く株式が下落するを以て一國の富財が消滅するが如くに考へ恐慌の災害も全く此一點に在るが如くに云ふ者もあれども是は事の眞相を解せざる説と云はざる可らず本來株式の騰落は一國經濟の消長に因縁の淺きものにして如何に其價が下落すればとて損失を被る者は唯一時市塲の景氣に浮されて高價に買入れたる輩にして斯る株式專門の虚業家が苦しむ其一方には下落したる株式を買受け他日の騰貴を待て利益する者もある可ければ社會の全體より見れば其騰落は殆ど意に介するに足らざるなり物價の變動も亦これと同樣の事情にして商品を所有する者こそ其下落の爲めに意外の損失を被れども之を買入るる者は利益して双方の損得自から相補ふことなれ近頃新潟縣下に於て爆發物を鐵道會社に投じて機關車を始め幾萬圓の有價物を一瞬の間に破碎せしめたるの談あり怖ろしき災害なれども恐怖の害は全く異にして决して有價物を消滅せしむるものに非ず唯其前後に株式物價の下落を招けども其下落は社會一部の利益を殺いで他に與ふるものにして一國全體の富財には毫も影響する所なしとすれば其下落を見て直に富財の消滅するが如くに考へ恐慌の害を云云する説の當らざるや云ふまでもなし我輩の所見を以てすれば世人が普通恐慌の害なりとして恐るる所のものは全く一片の杞憂にして其害は寧ろ他に在りと信ずるものなり其次第を述べんに抑も經濟社會の發達に最も必要なるは萬般の事情が常に相當の秩序を保ちて妄りに變動せざるの一點に在り左れば恐慌の塲合に如何に株式が沈衰し物價が下落するも一方の損は他の得となりて社會全體に於て差支へなきが如くなれども其變動にして甚だしからんには一般の恐怖心は容易に靜まる能はず資産家が株式下落の爲めに財産を失ひ從來經營せる事業を縮少して時節の到來を待つなどは必然の勢なるのみならず市塲の形勢、不穩の傾ありと云へば事業の擴張を企てたる者も之を見合せて資本の回收を謀りて意外の損失を避けんとするは自然の情にして或は其機會を利して下落したる株式を買受けるなど種種樣樣の投機を運らして利を占むるものあらんなれども其利益が直に資本となりて事業を幇助するは到底望む可らざることなれば經濟社會に恐怖心の〓なる間は一時事業の沈衰は到底免かる可らず〓〓〓〓て云へば折角据付けたる機械も運轉せず買入れたる原料も生産の用を爲さざるなどの不始末を來し〓〓〓〓の〓業を〓て〓〓〓と共に破産せしめ經濟の〓〓〓〓〓の妨害〓〓ふるに至る可し若しも恐慌にして單に株式又は物價の下落を促がすに止まらば其害たる殆んど云ふに足らざれども實際の成行を見るに一時の變動より生産業に不測の害を及ぼし有爲の資本を消失せしむるなどの塲合も少なしとせず恐慌憂ふ可しと云ふは即ち斯る意外の災害あるが爲めにして世人が之を明にしていよいよ襲來の曉には適當の救濟法を施さんこと我輩の望む所なり