「又も豫算不成立か」
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時事新報に掲載された「又も豫算不成立か」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
議會の形勢はいよいよ開會の上ならでは知る可らずと雖も世間の説に據れば十の八九は先づ解散の方なる可しと云ふ自から時の成行にして致方なけれども何分にも困却に堪へざるは豫算不成立の一事なりいよいよ不成立の塲合には前年度の豫算に由るのみにして之が爲めに行政機關の運轉を止むるにも非ず別に甚だしき差支もなきが如くなれども其前年度の豫算とは如何なるものなりやと云ふに國會開設以來政府の提案は毎度議會の反對に遭ふて首尾よく成立したるの例は甚だ稀れに新事業の施設計畫の如き全く高閣に束ねらるゝの姿にて空しく歳月を經過する其中に日清戰爭破裂の爲めに官民の紛擾は一時跡を收めたれども扨戰後の經營に就ては一方に軍備擴張の必要と共に一方には政府事業の擴張改良を謀るこそ國力の膨張に伴ふ自然の結果なるに政府の所爲を見れば甚だ小膽にして軍備の擴張は止むを得ずして決行したれども他の事業に至りては只消極を旨として前年來の成案を踏襲したるに過ぎず而して其成案とは議會以來年々殆んど同一樣にして更らに進歩を見ざるものにこそあれば實際に於ては議會開設前の成案と見るも可なり顧みて我國力の進歩を見れば駸々進んで止まらざるのみか戰爭來大に膨張の勢を呈して全く面目を一新したる今日に至り依然數年前の成案を其儘に株守するとは堪へ難き次第なりと云ふ可し聞く所に據れば明年度の豫算には逓信費の如き從來の額を揩オ又電信改良費を支出して郵便電信業の擴張改良を謀るの計畫なりと云ふ僅々の搖z實際に如何なる成蹟を收め得べきや高の知れたることならんなれども兎に角に幾分か目下の不便を減ずるの效はある可し現政府の事業として見る可きものは先づ此一事ぐらゐのみなるに豫算不成立の暁には此一事さへも行ふ能はざるに至る可し其他各省の經費に至りては人民の便不便に直接の關係なきが如くなれども政務上には非常の差支を生じて實際に不都合なきを得ず例へば各地方に出張して事を視る可き官吏の如き定員の數を具へながら出張の旅費を得る能はずして事の澁滯と共に無數の官吏をして閑散に苦しましめ又新税法を發布しながら之を徴收するの手續を爲すを得ずして豫算の收入を收むる能はざる如き奇觀もある可し特に軍事費の如き其差支は非常ならざるを得ず前記の如きは單に吏員を遊ばせ置くか又は豫定の收入を得ざるのみに止まれども軍事費の重なるものは兵員の食料被服等にして擴張の計畫、物價騰貴の結果として自然に揩オたるものにこそあれば若しも前年度に據るときは計畫に隨て徴集したる幾萬の兵員をして衣食の供給に事を缺て祁寒に泣かしむるが如き不都合も出來せざるを得ず或は右等の塲合には豫備費にて支辧するなり又いよいよ必要の費目は臨時緊急の支出を行ふて之を補ふなり止むを得ざる塲合には自から止むを得ざる手段もあらんなれども要するに其手段は一時の間に合せに過ぎずして斯る一事の間に合せは寧ろ他日の大損を招く可きのみ喩へば東京府下の道路の如し平常に勞費を吝しみて修繕改築を怠り單に間に合せ普請のみにて經過したるが故に今日の如き大破損を致して大に修復の費用を要するに至りしことなり百事膨張の今日に恰も數年前の成案を其儘にして單に一時の彌縫を謀るときは他日大に大修繕を施すの必要を感ぜざるを得ず國家經營の道に非ざるなり此有樣を如何す可きやと云ふに政府の輩よりすれば國事を弄ぶの罪は議會に在りと云ふことならんなれども議會に於ては斯る不信用の政府には國事を託す可らずと云ふことならん共に水掛論んしいて其是非曲直は孰れに在るや知る可らずと雖も既に國會を開て政府の會計を議せしむるの端を開きたる上は兎に角に議員の多數の同意を得ずして事を行ふ能はざること勿論なれば眞實議會を操縱し得るの有力者をして局に當らしむるか又は議員の智識を高尚にして事の輕重を分別するの人物を選ぶの外なけれども双方共に容易に望む可らざるが如し左りとて此儘に經過するは甚だ堪へ難き次第にして或は國民をして立憲政治を厭はしむるに至るが如き成行も圖る可らず經世家の大に考ふ可き所のものなり