「貨幣法實施の結果」
このページについて
時事新報に掲載された「貨幣法實施の結果」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
貨幣法實施の結果
昨年三月貨幣法の發布以來政府は金貨の鑄造に着手し十月一日より既に五千二百餘萬圓の銀貨を回收して金貨に引換へたりと云ふ引換濟圓銀の内二千二百九十三萬餘圓は日本銀行が正貨凖備として所有したるもの、又二千五百六十七萬餘圓は同行所有の成貨證書にして一般人民より引換へたる高は三百四十萬圓に過ぎず殊に海外より歸來の圓銀案外に少なきは當局者が貨幣法の實施上最も好都合なりとする所にして斯の如くなれば引換濟圓銀の處分も甚だ容易なるが如くなれども是れは近頃銀價が廿六片内外を上下して圓銀を以て金貨と引換ふるも其間に格別の差益を生ぜざると上海香港海峽殖民地に於て通貨の不足甚だしくして圓銀の回收に困難なるが爲めとに外ならず若しも今後銀價が更らに下落せんには歸來の圓銀、増加するは勿論、其塲合には印度の造幣局に於ても下落したる銀塊を買入れて盛に英弗を鑄造し海峽殖民地等へ放出して利益を占めんとするは必然の勢にして圓銀は次第に驅逐せらるること疑なければ今後處分す可き高も當局者が豫想する如く少額に止まる可しとは信ずる能はず現に政府も此邊の困難を憂慮して圓銀の引換期限を短縮せんと希望するに非ずや兎に角に引換濟銀貨の處分は幣制改革に伴ふ難件にして獨逸にては銀塊として市塲に賣出したれども之が爲めに銀價の下落を促して國庫の損失に堪へ難きより已むを得ず今日に至るまで無制限法貨として通用を認めたる次第にして米國を始め羅甸同盟諸國も表面上金貨本位とは云ひながら銀貨處分の困難は何れも獨逸と同樣の有樣なりと云ふ然るに我國が銀貨國より一躍して純然たる金貨本位を實行せんとするに於ては多少の困難あるは當然の事と云はざるを得ず當局者の考慮なりと云ふを聞くに今後補助貨の増鑄必要なれば圓銀を以て三十年度以降三年間に四千百五十萬圓の補助銀貨を鑄造し臺灣朝鮮支那等へは極印を施して其〓部を輸送し又條例の許す限り圓銀を日本銀行の正貨凖備に加へしむれば引換濟圓銀の處分に窮する憂なしとの説なる由なれども果して斯く簡單に處分を全うするを得るや否や大に疑なきを得ず兌換銀材券條例に據れば日本銀行は正貨凖備の四分の一は銀貨を以て充つるを得るの定めなれども引換期限後は銀貨は銀塊と同じく時時の相塲に由て價〓に意外の變動を招かざるを得ず英國の銀行條例に於て英蘭銀行が正貨凖備の五分一は銀貨を以て充つるを得るに拘はらず實際に銀貨凖備を置きたる例なきも要するに銀價變動の影響を恐るるが爲めに外ならず日本銀行にしていよいよ兌換制度の基礎を堅固にせんとならば現在所有の銀貨銀塊をも速に金貨と引換ふるこそ適當の處置なるに殊更らに銀貨凖備を置きて意外の危險を被むらんとするが如き策の得たるものに非ず大陸諸國の中央銀行が無制限法貨たる銀貨を所有すると全く趣を異にするは云ふ迄もなき次第なり又近來政府は極印付圓銀を臺灣等へ輸送して其他の流通に充て以て圓銀處分の一法と爲すが如くなれども實際の不便不必要は姑らく擱き近頃までに輸送したるは百五十萬圓内外に過ぎずと云へば是れ亦大に依頼す可きものに非ず唯、政府が處分法として重を置く所のものは補助貨増鑄の一事にして或は本意貨を補助貨に改鑄すれば其間に差益を收むるを得べしと雖も元來補助貨の鑄造は本意貨と異にして政府の手加■(にすい+「咸」)一ツにあるものなれば其増■(にすい+「咸」)に就ては至重の注意を要せざる可らず當局者は補助貨の現在高を人口に割當てて其不足を云云すれども補助貨の高は單に人口の多寡にのみに依て定む可きに非ず本位貨兌換券の流通高若しくは信用取引の如き其流通に少なからざる關係あるものにして現今人爲の作用に依て膨張したる兌換券と補助貨との割合を見れば或は補助貨不足の考もあらんかなれども兌換券を適度に收縮せしむるときは决して不足を唱ふるの證據と爲すに足らず(米國に於て金銀貨紙幣の流通高に對する補助銀貨の割合は三分七厘にして我國に於ける割合は一割強なり)殊に一旦海外に輸出したる補助貨も或は更らに内國に輸入することなきに非ざれば當局者が妄に不足の〓斷を下して増鑄するときは却て補助貨過多の結果を見るやも知る可らず或は目下財政の事情より察すれば政府は既に金貨本位實施の爲めに償金を以て巨額の金塊を買入れ金貨鑄造の〓に供したるが故に昨今に於ては償金を流用して公債の募集にも應じ難き塲合に陷りたるを以て金貨の代りに國庫に納めたる銀貨を補助貨として軍備擴張其他の費途に充てんとの意あるには非ざるか果して然らば其結果はいよいよ通貨を膨張せしめて經濟社會の變態を激成するに過ぎず斷じて許す可らざる所なれども又一方より考ふるに今後正貨流入の勢、止みて經濟社會が常態に復すると共に内國の正貨が次第に取付られて海外に流出するは必然の成行なれば政府は回收したる圓銀を補助貨に改鑄するまでもなく金貨本位を維持するの必要より相塲の高〓に拘はらず銀塊として賣却し以て金貨吸收の策に出づるなどの難境に陷らざるを得るや否や我輩の疑を存する所なり