「海軍は平和の保證なり」
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時事新報に掲載された「海軍は平和の保證なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
海軍は平和の保證なり
海軍擴張の國の安全を保つに止む可らざる次第は前號に述べたるが如し抑も軍備を修むるは本來戰ふが爲めに非ずして寧ろ戰を避けんが爲めなり兵強からざれば以て平和を維持すること能はず佛と獨とは多年相仇敵視するものなれども敢て破裂せざる所以は互に兵備を嚴にして互に乘ず可き隙を得ざるが故にして今回支那が各國壓力の集注點と爲り極東の平和將に危からんとするは彼此の軍備平衡を得ざるが爲めなり兩岸の堤防堅固なれば河水は洋洋として當に流る可き所を流る可しと雖も一旦その堤防に破損を生ずれば水は忽ち氾濫して田園家屋を押流す可し世界の運動も亦猶ほ斯の如し何れの邊にか弱點あれば滔滔その方面に押出して遂に騷亂を釀すの常なり左れば兵備は平和の爲めに大切なりとして扨これを擴張するに當り海陸何れを主とす可きやと云ふに無論海軍に向て力を集めざる可らず日本の國情に於て内亂の憂は最早や全く無用にして外に對しても今の陸軍を以て其用を辨ずるに足る可しと雖も海軍に至ては未だ以て安心するを得ず否な大に擴張せざる可らざる其理由は一にして足らざるが中にも特に我輩の此に注意を促さんと欲する所のものは列國共に之を重んずるの一事なり何か事件起れば先づ關係國の海軍力を比較して其運命を卜するの例にして平生注意する所も一に海上權の消長に在るものの如し例へば日本が從來六師團の陸軍を増して十二師團と爲したるは非常の奮發にして其入費も亦少額に非ざれども格別の評判もなきに反して海軍に關しては耳を聳て眼を刮て仔細に觀察を怠らず一艘の軍艦を製造すれば世界の新聞紙は必ず特筆大書して其構造より搭載の武器に至るまで事細かに報道するの常にして一隻の水雷艇と雖も容易に看過することなし彼の富士八嶋の如き如何に各國の視聽を動かしたるかは世人の知る所にして十二師團を増して十五師團とするも斯までの評判はなきことならん且つ此程土耳其政府が希臘より得べき償金を以て軍備を擴張せんとしたるに露國政府は異議を唱へ若しも之を以て軍艦製造費に供するが如きことあらば直に露土戰爭の償金皆濟を要求す可しと脅迫し獨逸の對新運動も一は海軍擴張の爲めなりと云ふ亦以て列國の喜憂する所專ら海上權の消長に在るを知る可し果して海上權の消長は列國の喜憂する所なりとすれば海軍擴張は即ち其國を列國の間に重からしむるものにして其國を重からしむるは戰亂を避くる所以なり平和の保證は主として海軍に在るを見る可し特に日本の如き四面環海の國に於ては假令ひ陸に百萬の兵ありとするも海上を支配するの力なければ其兵は恰も嚢中の鼠にして用を爲さざるに反して制海權さへ我手に在らば東洋の事復た憂ふるに足るものなし旁旁以て海軍擴張は我輩の飽迄も主張する所なり