「儒教主義の本國を見る可し」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「儒教主義の本國を見る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

儒教主義の本國を見る可し

支那の衰弱は儒教中毒の結果に外ならず我輩の診斷し得て敢て間違なきを期する所のものなり幾千年來周公孔子仁義五常の教を以て立國の根本と定めながら之が爲めに曾て國の富強進歩に益したるの實を見ず今日に至るまで獨り自から中華の尊大に誇り東洋文化の祖國として一種の光彩を放ちたるは恰も大木の中心既に全く腐朽したるに拘はらず外面は枝葉繁茂の態を呈して兎に角に直立の姿勢を保ちたるものに異ならず一朝大風雨の襲來に遇へば根柢よりして顛覆せざるを得ず目下の有樣は固より其處なりと云ふ可し試に古來周公孔子の教を其儘に遵奉し忠孝仁義云云とて盛に其説を唱へながら實際に何の益したる所ありやと云ふに或は一部の論語を以て天下を取りたりなどの大言壯語は毎度聞く所なれども英雄人を欺くの言に過ぎざる其證據には凡そ彼の英雄豪傑と稱せられたる人物にして眞面目に聖人の教を守りて目的を達したるものあるや否や春秋以來二十何代の創業者は孰れも英雄豪傑に相違なけれども若しも孔子の筆法を以て其擧動を判斷したらんには恐らくは一人として筆誅を免るるものはある可らず盖し其輩の如きは自から實際に見る所はありながら國中儒毒の萬延は幾千年來遺傳の痼疾にして之に觸るるの不利なるを認め既に自家の目的を達したる上は己れも亦中毒の人と化して以て滿天下を欺きたるのみ事實に間違なき所にして儒教の力既に國を興すに足らずとすれば安んぞ其衰亡を防ぐの効能ある可けんや彼の舟中に大學を講じたる古事談は姑らく擱き近古百餘年來國を開て西洋文明の事物に接しながら毫も悟る所なく漸く軍艦砲臺の類を備へたれども儒教中毒の國民には文明の利器も其利を現はすを得ず恰も醉ひ醉ひの病人に正宗の刀を授けたるに等しく自から傷けざれば則ち對手を利するのみ近來西來の風勢甚だ激にして膠州灣事件を始めとして困難續出、形勢切迫、腐朽の大木最早や立つに堪へずして殆んど顛覆の状を呈せり流石の支那人も茲に至りて始めて悟りたることならん北京近發の報に據れば彼の政府にては官吏を採るに從來の科擧法の外に更らに西洋流の試驗法を用ふ可しとの議ありと云ふ甚だ〓しと雖も凡そ教育の結果は年月の問題にして儒教の中毒幾千年來の痼疾なりとすれば其治療法には亦自から幾多の歳月を費さざるを得ず果して心の底より〓〓して治療一偏に注意するときは必ず奏功の期はあらんなれども今や事急にして悠悠の暇なきのみか實際に支那人の慢心甚だ〓しむ可し議は〓〓一時の奮發に過ぎざることならん回復の望は最早や斷念と覺悟して自から儒教の毒に倒るるの外なきのみ顧みて我國を見れば不幸にして支那に隣したるが爲めに自から儒教の餘毒を蒙りたること少からず彼の〓に〓〓云云〓〓〓して自から衒ふのみなり之を以て立國唯一の根本と〓むるが如き〓〓その〓〓にかぶれたる者に外ならず忠と云ひ孝と云ひ人〓日常の心掛として决して忘る可らざるものなれども今の文明立國は事甚だ多端にして忠孝一偏儒教主義の能く了する所に非ず試に立國の要素を計へて軍備と云ひ政治法律と云ひ又商賣工業と云ひ苟めにも儒教の爲めに益したる所のものありやと尋ぬるに日本の海陸軍が日清戰爭に非常の效績を現はしたりと云ふも全く西洋文明の利器を利用したるが爲めにして其將卒の勇敢死を輕んじたるも日本固有の武勇心に外ならず政治と云ひ法律と云ひ其改良進歩は孰れも文明國の例を學びたるものにして况して商賣工業の如き一厘半毛にても儒教の爲めに利したることはある可らず幸にして我國には西洋文明の學問早くより上流士人の間に行はれて陰然重きを成したる其上に日本魂とも云ふ可き武士道の精神を存して國人一般進取に勇なりしが故に自から開國の氣運を促し王政維新の一擧に悉く舊物を破壞して儒教の流毒を救ひ得たり今日の文明進歩は西洋學問の賜に外ならず明白の事實なるに然るに明治十四五年の頃政府の當局者が俄然態度を一變して儒教主義の復活を鼓吹し所謂老儒碩學の流を起して教育の事に與らしめ古書を講じ古主義を説き以て學問の復古を謀りたるは全く一時の政略に出でたるものにして今は大に悔いつつあることならんなれども蒔きたる種は自から萌えざるを得ず當時の學校にて教育を受けたる少年は今正に三十以上の年輩にして恰も社會に頭角を現はす頃なれば世間に種種の奇相と呈して所謂國粹論などの今尚ほ行はれつつあるも怪しむに足らざる次第なれども儒教主義の本元たる支那の現状を眺めたらんには果して如何なる感覺ある可きや彼の中毒は到底救ふの見込なきも我儒毒の再感症は甚だ薄くして之を療するに難からず彼の頑迷なる老儒輩の如き今更ら之を教育するも詮なきことなれば其死を待つの外なしとして明治十四五年來一時の毒に感染したる少壯の輩に至りては自から文明の學風に同化せしむるの工風なきに非ず今の社會に苟めにも餘毒に醉ふものあらんには文明進歩の妨にこそあれば經世家たるものは早く儒毒退治の工風を運らして其根を絶ち以て文明國家の眞面目を成す可きものなり