「市内交通の不完全」
このページについて
時事新報に掲載された「市内交通の不完全」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
市内交通の不完全
東京市に交通機關の不完全なるは衆人の明に認むる事實にして其缺點を補はんとて先年營業の許可を其筋に出願中なる電機鐵道の計畫二つあり一は去る二十三年中の出願にして一は去る二十八年中の出願に係り爾來空しく許可の指令を待つこと此に久しと雖も當局者は一向に落付拂て公設營業の利害などを調査し容易に指令〓〓〓なしと云ふ其緩慢驚く可きのみ俗に盜人を見て繩を綯ふとの諺あれども斯の如きは盜人を見ながら繩の用意に怠るものにして迂闊の責を免れざるのみか市民の便利を圖るに不親切なりと云ふ可し我東京市は面積三十萬哩人口三十六萬以上を有し倫敦、巴里、紐育、伯林、維納、シカゴを除けば世界中肩を竝ぶるものなき大都會なれども是れは唯數字の上の空計にして實際を顧れば殆んど一市街と認むるを得ず十五區の大半は隔絶孤立しておのおの一部落を爲し風馬牛相及ばざるの状態あり先年或西洋人が東洋紀行を著したる内に「予は有名なる日本の東京に於ては豫め色々なる想像を畫き定めて立派なる町ならんと思ひ居りしが實地に臨んで甚だしく失望せり否な單に失望に止まらず予は實に所謂東京なるものを發見する能はざりき彼の新橋の停車場を出でゝ所々を散歩するに唯村落の相違る閒に市街らしきものゝ點絶するを見るのみ」云々といへり一讀怪しからぬ放言の如くなれども退て自ら省れば東京の現状些も之に違はざるを認む可し畢竟交通機關の不足より來るものにして市民の文明事業に無頓着なるを表し一國の首府として甚だ恥べき事なり最近の調査に據れば東京市の交通機關は凡そ左の如し
馬車鐵道 凡三里十五町
汽車鐵道 凡一里半
人力車 四萬二千〇〇五輛
巾一閒以上の道路二百三十里を有する東京市中に纔に四里半にも足らぬ鐵道を以て滿足す可らざるは知れ切たることにして多數の外出者は不便經濟を忍びて人力車に乘るか然らざれば天然の脚を以て歩行せざる可らず薄給の小役人商店の手代小僧中等以下の婦人小兒工場勞働者等の困難は一方ならず一箇月の家賃と車代と伯仲の閒に在りなどいふは何れの家にも珍らしからぬ例にて左程不思議にも思はざれども外國人に向て斯る談を爲さんには恐らくは眞實と思ふ者無かる可し少しく比較の倫を失へども試みに英國ロンドンの交通機關を參考すれば種類に於ては乘合馬車、地下鐵道、鐵道馬車、馬車、蒸汽車あり(河上の汽船は日英とも暫く除く)一昨年十二月の調査に據れば馬車の數左の如し
馬車 一〇九三四輛
乘合馬車 三〇〇一輛
鐵道馬車 一一六九輛
之に加ふるに市の中央チエリング、クロツスの周圍七八哩以内に敷設せる七百五十哩以上の鐵道あり其便利なる實に日本人の想像し得べき所に非ず又米國のニユーヨーク市(ブルクリン合併前)は人口一百九十萬人面積二十二方哩なれば我東京に比し却て外出歩行の距離を短縮し車馬の便に據るもの少なかる可き筈なるに其交通機關には四條の高架鐵道十八條以上のケーブル車、馬車鐵道及び普通乘合馬車線路ありて市の南北を貫通し二十三條以上の馬車鐵道線路その東西を貫通せり之に加ふるに多數の辻馬車あり且つその賃錢は辻馬車を除き何れも一回の乘車五仙なれば廉價にして便利なること此上なし或は是れは段の違ひたる大國の事にして我國の企て及ぶべき所に非ずと云ふはんなれども今一例を擧て其然らざる所以を示さんに倫敦のロードカー會社は二百八十の乘合馬車を有して一年に載する所四千八百萬人なり然るに我東京馬車鐵道會社は百五十二の車輛を以て一年の乘客三千萬人に達す五百六十萬の人口を有し肩摩轂撃の倫敦に比し却て馬車に乘るものゝ多きに非ずや又紐育は前期の如き複雜なる機關を有して諸線路一日の乘客凡そ六十萬なるに我東京の鐵道馬車は僅に二里餘りの線路にて一日平均七萬七千人なりと云ふ故に若しも東京にして現今に十倍するの交通機關を備へしめば市民も亦十倍の便益を享くべし高價なる賃錢を拂ふて遲鈍なる人力車を抱へ置くが如きは愚の極と云はざるを得ず以上述ぶるが如く東京市の交通機關は甚だ不完全にして全市の聯絡を通ずる能はず市民は不便利と不經濟に苦しんで一日も早く電車の開通を望むこと切なり當局者は宜しく不要の詮索を止めて斷然たる處分を爲すべし我輩は公衆の便利の爲めに敢て一言するものなり
昨日の紙上日本鐵道會社と題する社説中私消金二萬圓は六萬圓の誤