「支那米の輸入を謀る可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那米の輸入を謀る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那米の輸入を謀る可し

一昨年來米穀の作柄不良にして收穫不十分なるが爲め米價は次第に騰貴し一石の相場十二三圓臺を下らざるより細民の生計甚だ難澁にして滿足に三度の食事を爲す能はざる者も少なからずと云ふ現に信州其他の地方に於ては有志家が金品を募集して極貧者の生計を補助するなどの計畫ある由なれども要するに一部局の事にして斯る小策を以て全國の細民を救助するは到底及び難き所なり我輩の所見を以てすれば今日の米價騰貴は供給不足の一事最も與て力あるものなれば實際細民をして飢饉の災難を免れしめんには此際大に廉價の外國米を輸入して米國の供給を豐にするの外に適當の策なしと信ずるものなり今日我國に於ては米國の輸出入共に自由にして内國の米價騰貴すれば内國米の輸出減少して外國米の輸入增加し以て内外の相場を平均せしむるの傾きなきに非ざれども如何せん外國米の供給には自から限りありて現今の如き米價暴騰の際にも其勢を抑制する丈けの輸入を見る能はざる次第なれば飢饉の際に遂に外國米を輸入するは甚だ覺束なしとの説もあらんかなれども今日の如く輸入を二三の國にのみ仰げば兔も角も一旦支那米の輸入を謀らんには供給の增加を見る決して難事と云ふ可らず元來支那は農業を立國の基礎とするものにして殊に長江の兩岸肥沃の土地に乏しからず米穀の算出甚だ盛なるを以て一石の相場は通例七圓内外なりと云ふ我國今日の相場と比較すれば數圓以上の相違にして近年兩國の交通頻繁なる際には支那米は大に我國へ輸入して相場の平均を求む可き筈なるに實際然らざるは畢竟支那政府が米穀の供給を自國に專にせんとして其輸出を禁止するが爲めに外ならず現に支那米として我内地へ輸入するは皆、右の禁止を犯したるものにして上海邊の支那人が内地用に充つると稱して廣東へ輸送したる米國を更らに小舟に積込みて或は税關吏の眼を掠め或は之に賄賂を與ふるなど種々樣々の苦心を運らして香港へ密輸し此處より公けに外國へ輸出する次第なれば其原價こそ低廉なれども運搬中の手數と費用とは決して少なからざるを以て我國へ達するまでは自から高價と爲らざるを得ず彼我兩國の米價に非常の相違あるにも拘はらず支那米が大に我國に入らざるは全く右の事情に外ならざれば若しも支那政府にして輸出の禁止を解かんには支那米は續々我内地に入り來りて米價の下落を促すに至るは必然の成行なり或は之が爲めに彼の内地に米穀の供給を減ずることもあらんには自から米價を騰貴せしめて農民の利益を增しますます肥沃の土地を開發して産出の增加を謀る可きを以て米穀は我國へ供給して充分の餘裕を見るを得べし米價の騰貴にして今日の如く際限なき場合に於ては支那政府をして米穀の輸出を自由にせしめ大に支那米を輸入するの必要は甚だ明白なりと云ふ可し我國の米作が平年の通りにして收穫充分ならんには支那政府が輸出を禁ずると否とは其自由に任せて敢て問ふ所に非ざれども實際日本が飢饉に陷らんとして種々の困難を被る場合に妄りに輸出を禁止して其供給を絶つが如きは隣國に對して友誼をくしたるものに非ず往年支那に飢饉ありて貧民が非常の難澁を極めたる際に我國人は隣國の再燃を坐視するに忍びず朝野の慈善家より義捐金を募集して罹災者を惠みたるの例あり今日に至りて其報酬を望むが如きは決して我國の本意に非ざれども苟くも隣國に對する德義を思はんには假令ひ一時たりとも米國の輸出を自由にして其急を救ふこそ支那政府が我に對するの道なる可し前後の事情にして此の如くなれば今日我國にして此事を要求せんには支那政府に於て萬々之を拒む理由ある可らず外航當局者の技倆に依て支那米輸入の道を開き米價騰貴の勢を抑制して細民の困難を除くは我輩の切に希望する所なり思ふに支那政府が今日に至るまで米穀の輸出を禁止するは決して少なしと云ふ可らず寧ろ高價にて需要する我國に販路を開く其代りに自國に最も必要なる綿絲其他の製造工藝品を廉價に輸入するこそ得策なるは明白の事實なれば彼の政府にして此邊の事情を解せんには自から進んで米穀輸出の自由を認むることなしと云ふ可らず我輩が當局者の注意を促す所以なり