「儒教復活の責は今の當局者に在り/私立學校認可の方針」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「儒教復活の責は今の當局者に在り/私立學校認可の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

維新革命の砲聲を合圖に鎖國攘夷の黒幕を切落せば局面一變、廢藩置縣、散髪〓刀等の英斷續發して滿天下の人心を〓破し文明の鉾、向ふ所に敵なく古流主義の輩の如き社會の一隅に蟄居屏息して〓に殘喘を保つに過ぎざるの勢を成したるは何人の力なりやと云ふに當時の社會に勢力の最も強大なるものは政府にして其革新の功は疑もなく政府の當局者に歸せざるを得ず前〓の舞臺に於ては暗殺者たり砲發者たるの役前を務めたるものが今は自から率先して文明開化を唱へ活發々地、他を目するに因循姑息を以てして恰も國を提げて急行前〓の權〓なりと云ふ古流の老輩に反對の力はある可らず忽ち一般の大勢を成し文明の進歩も〓々乎として一直線に進みたるは維新後十餘年の有樣にして甚だ愉快なる次第なりしに明治十四五年の頃にいたり當局者の態度俄然一變して反對に古流の主義を奬勵し政府の全力を〓て文明進歩の抑壓に勉めたるは如何なる考に出でたるものなるや殆んど解す可らず盖し我輩の想像を以てするに當時〓聞に漸く民權の論を生じて少年輩の如き新聞に演説に喋々するもの少なからず同時に地方の有志家など稱する輩が國會開〓請願の爲めとて政府の門を叩て議論交りの願書を差出す等、何となく騒々しき模樣なきに非ず本來少年輩生〓の〓〓にして自から之を導くの工風なきに非ざるに當局者の考に於ては民權國會などの議論を〓はしたるは〓〓西洋の説に心酔し政府に反抗して政體を覆さんとするに外ならず容易ならざる次第なれば是非とも其氣風を鎮壓せざる可らざる其鎮壓の手段は矢張り古流の主義に立還り忠孝仁義以て卑屈柔順唯命是從ふの風を養ふこそ肝腎なれとて潔き思案もなく即〓〓決直に手を下したることならん當時政府が古主議の回復に熱心なりしは隠れもなき事實にして其熱心果して空しからず忽ち古主義噴の地を〓したり抑も日本人は祖先以來儒教主義と名くる酒を飲み慣れたる人民にして其味は容易に忘る可らず維新以來その害を戒められて僅に禁酒したるものが今や其忠告者たる政府が自から酒池肉林の盛宴を開て自から飲むのみならず他人に無理強ひして酔興〓〓の體なりと云ふ人民たるものは放蕩息子が〓〓の戒を解かれたると同樣にして勢いの走る所自から知る可きのみ殊に其手段の實行を教育の力に假りて只管古主義の教育を奬勵したるこそ效能の著しき所以にして又その〓〓の甚だしき所以なり或は當局者の如き今日に至りては其效能の〓外なるに驚きながら〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓の才〓より〓〓〓るものにして吾々の知る所に非ず吾々不肖と雖も亦自から文明政治の精神を解せざるに非ず民間の物議を鎮壓せんが爲めに教育を利用するが如き敢て爲さゞる所なり云々とて自から責を免れんとするの口氣もあるよしなれども今更ら斯る辯解は許す可らず其證據を云はんに明治二十年同じ當局者が執權の折、彼の保安條例と名くる一種の放逐令を頻發し幾多の政客を京城外に退去せしめたることあり其人數は頗る多くして一々記憶せざれども今の中嶋〓、片岡、竹内、尾崎等の諸氏は確に其中の人にして當時竊に聞く所に據れば尚ほ意外の邊にも逐客の中に計へられて〓に免れたるものもあるよし政府に於ては何か認むる所ありて斯る苛酷の處置に及びたることならん是等の人々が實際に如何なる事を企てたるやは知る可らずと雖も我輩の所見を以てすれば只政府と説を異にして時の政略に反對したるに過ぎざる其輩を恰も亂臣賊子として待遇したるは当局者の精神専ら民論鎮壓に存したるを認む可し或は其輩の中には自から穩ならざる言論を爲したるものもあらんなれども言論に對するに暴力を以てして一網打盡すの苛酷手段を用ひたるは果して文明政治の精神を解したるものゝ擧動と云ふ可きや否や斷して其同じ當局者が後年再び當局の其時は〓りては當年の逐客を在外の公使などに任用し又その人々と提携して政府の維持を謀りたるが如き恰も亂臣賊子と手を携へ事を共にしたるものにして其本心は孰れに在るや解す可らず左れば本人の一身に就て見れば立派なる人物にして決して愚狂の輩に非ざれども前後の擧動を比較して事實に現はれたる跡に就て見れば之を目して愚狂の沙汰を認めざるを得ず當人に於ても今更辯解の辭はなきことならん之を要するに自家に不便なる民間の説を押へんとする一時の出來心より所謂鶏を割くに牛刀を用ひ教育と名くる利器を誤用して古流主義の復活を奬勵したるこそ間違ひの大本なれ〓に〓〓の富豪家又は旅人〓〓〓〓宿などには當局者の筆にて〓〓〓〓の字を書散らしたる額面又は書幅を掲ぐるもの少なからず盖し當年の筆の跡恰も其心事を表明して取消す可らざるものなり兎に角に排外思想の再燃は當年の當局者が一時儒教主義の復活に熱心狂奔したる其結果にして今日に至りて如何に辯解するも其責任は斷じて免かる可らず而して其當局者は即ち今の當局者にして自から内地雜居の事を處理するの地位に在りと云ふますます責任の輕からざるを見る可し目下の政局は議會の〓〓、政黨の提携など輿論の始末も自から少なからずと雖も一般の人心を〓〓し排外の氣風を矯正して内外〓〓の〓〓を〓〓するの一事に〓すれば一方は單に政府の利害に關する〓〓〓なるに反し一方は〓に〓〓〓〓〓に〓る〓大〓〓〓にして大〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓眼前の小政略の如き得失共に濃く意に介するに足らずとして之を他の少年輩に一任し當局者たるものは更らに自から大に任じて國家の爲めに永久の大困難を解決するの覺悟なきを得ざる可し然かも我輩は其人の在朝在野地位の變化如何に拘はらず當年の當局者たりし一身の責任として飽くまでも此事を責めんと欲するものなり

私立學校認可の売真

此程或る私立學校が中學の學科制度と同等以上と認められたき旨文部省に申出でたるに當局者は其學校は耶蘇教主義なるが故に認可し難しと指令したるよし宗教の臭味あれば何故に不可なるか元來中學制度以上の學校に特典を與ふるは畢竟學制を重ずるが爲めなる可し學問を重ずるの趣意ならば只その教育の程度如何を察して許否を決す可きのみ宗教臭味の有無は問ふに及ばざるなり文部省の規則に據れば相當の學科を具へ其學科を教ふるに足る可き教員〓〓器具地所を用意し且つ一定の收入ありて創立以來三年を經過したるものは認可を受くるの資格あるものにして別に何等の條件もなし左れば只この規則に照して取〓を定む可き筈なるに然るに〓〓〓〓〓〓に〓〓を求め教育の程度には申分なけれども其〓〓が気に入らぬとて認可せざるが如きは不思議と云はざる可らず若しも〓〓〓を以て事を處せんには單に當局者の好き嫌ひに依て如何に完全なる學校にも特典を拒絶するを得べし何學校は西洋臭味を〓ふるが故に認可す可らず又何學校は高天原主義なるが故に採用す可しとて教育の程度如何を問はず専ら其毛色に依て許否を定むるに於ては認可規則は殆んど無用の長物と爲る可し固より文部省とても獨り耶蘇教主義を排斥するに非ず儒教主義の學校も等しく認可せざる〓〓の〓しなれども〓〓宗教なるものは〓〓〓〓〓〓〓るものに非ず天下總ての學校をして〓ひて其門に入らしめんとすれば或は弊害を生ず可しと雖も私立學校が随意に之を其教育に加味したればとて何の不都合もある可らず不都合なければこそ〓に此〓の學校も生存する次第にして若しも有害ならんには文部省は初めより其設立を認可せざる筈なり或は少なくとも〓〓と認めて設立を許したる上は中學制度問題に於ても他と同樣に取扱はざる可らず〓〓の〓〓は〓人を要せざるなり今若し學問の〓〓に就ては〓〓なきに拘はらず只その宗教臭味を〓ふるの故を以て或る學校に特典を〓〓することあらんか即ち宗教を否定するものにして其〓〓の設立を許したる〓〓と矛盾する〓〓〓〓〓〓〓〓〓が〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓向なり〓〓は單に學問の〓〓〓〓〓〓〓〓〓何を問ふのみ〓々たる〓〓を〓〓る〓〓〓〓害の〓なれば一〓〓〓、〓も〓〓の〓〓〓〓〓はざるものは〓々〓之を〓〓せんに〓〓〓〓歩の爲めに我輩の敢て〓〓家に〓〓〓