「宗敎に依賴す可し」
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時事新報に掲載された「宗敎に依賴す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
宗敎に依賴す可し
生産社會の進歩と共に資本と勞力の衝突は到底免れ難き所にして之が爲めに各種の事業に不測の影響を及ぼし結局世閒公衆の迷惑を招くは近頃の日本鐵道會社機關方の同盟罷工に就て見るも甚だ明白なり若しも斯る紛議を避けんとならば傭者たるものが平生より被傭者の貯蓄を奬勵して之を事業に投ぜしめ利益の分配に與らしむるが如き方法を實行し彼等をして事業の盛衰に對して直接に自分の利害を覺えしむるの外に適當の手段なきは我輩の既に述べたる所なり假りに被傭者の日給の内より毎日二錢を引去りて貯蓄に充てんには一月にして六十錢一年にして七圓三十錢に達す可し之を傭者が安全に保管し複利法を以て利殖を謀るときは數年にして多少の資本を成し一二株の株主と爲るは決して難きに非ず一旦株主と爲れば被傭者は在來の日給取りと異なり事業にして繁昌すれば普通の配當の外に割增金をも得らるゝを以て一時の不平に驅られて妄りに同盟罷工を企つるなど輕々しき擧動に出でざるを以て自から生産社會に資本と勞力との調和を見る得べし經濟上より同盟罷工を未發に防ぐ妙法にして其效用は歐洲諸國の實驗に依て甚だ明白なれば我國に於ても事業家が續々この方法を利用して前途の困難を豫防するこそ目前の急務なれども更らに一歩を進めて考ふれば單に金錢上の關係のみにては尚ほ足らざるものあるが如し從來我國に於て傭者と被傭者との關係常に圓滑なるを得たるは多年の習慣、無形の閒に情宜の存するものあるが爲めににして此美風の永續を謀らんには經濟上の關係を密接ならしむる他の一方には宗敎の力を利用して自然に被傭者の氣風を和らげ其殺伐に流るゝを制するこそ肝要の手段なる可し我輩の所見を以てすれば大工場大會社の如き多數の職工勞働者を使役するものは差し當り月に二回なり三回なり時を定めて僧侶を招き被傭者を集めて法話説敎を聞かしめんには其效果は直に顯はれざるも多數の内には自から佛敎の信者となりて敎法に感化せられ次第に粗暴の惡風を脱するに至る可し之が爲めに被傭者に休業の時日を與へ又は金錢を要するとするも固より些少の事にして永遠の利益を思はんには殆んど愛しむに足らず或は今の佛敎僧侶の實際を見れば内行修まらずして宗徒を敎訓するは愚か却て他の説諭を要するが如きのものも少なからざれども是れは世閒にて一時彼等を擯斥し無用の長物視したる其反動として彼等に自暴自棄の念を抱かしめたる結果に外ならざれば若しも彼等を尊敬して布敎の道を與へんには自然に自重心を生じて醒僧必しも醒ならざるに至る可きは疑を容れざる所なり世閒動もすれば法律を以て被傭者の擧動を嚴重に制限し之に反きたる者には容赦なく制裁を加へて同盟罷工の如き惡風を抑制するを得べしと唱ふる者あれども斯る筆法を以て被傭者に對するときは却て其感情を害し傭者との衝突を激成するに過ぎざるのみ雙方の衝突非常の極端に渉り血を見ざれば止まざるなどの例は西洋諸國に毎度見る所にして斯の如きは全く雙方の閒に情宜の消滅したる爲めなれば我國の傭者も篤と此邊の成行を考へ此際大に宗敎に依賴して被傭者との閒に情宜の永續を謀り生産社會の調和を求む可し我輩の切に勸告する所なり