「支那の近状」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那の近状」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那の近状

世に支那の近状ほど憐む可きものなし露西亞は既に其死命を制す可き大要求を提出し久しく傍觀し居たる佛蘭西も遂に難題を擔ぎ出したり前後左右より迫まられて其始末に困却する有樣は恰も俗に云ふ馬に踏まれし蚯蚓が蟻に刺さるゝに異ならず自業自得、已むを得ざる厄運なれども支那政府の當局者にして今少く注意したらんには今日直に斯くまでの境遇には陷らざりしことならん土耳古は夙に諸強國の垂涎する所にして屡々手を下したるものもあれども兔も角も今日まで國を維持して未だ滅亡に至らず又布哇の如きは吹けば飛ばんばかりの小國なれども尚ほ獨立を失はざるのみか時に強國を閉口せしむることさへなきに非ず支那帝國弱しと雖も必ずしも分裂を免るゝの道なしと云ふ可らず其道とは即ち各國の地勢を利用して何れの國にも欲望の遂行を許さゞるに在り支那に對して野心を抱くは獨り露獨のみに非ず今日まで敢て發せざりし所以のものは只各國の睨合に由るとなれば一旦一國に許せば恰も蟻の甘に就くが如く我も我もと爭ひ奉る可きは知れ切たることなり何故に支那政府は缺けもなく獨逸に膠州を與へたるか國民の爲めに宣敎師が渡されたればとて土地の割讓を迫るとは無法至極にして各國の同情も寧ろ支那の方に在りしことなれば之を拒絶すること難きに非ず假令ひ列國は傍觀し而して獨逸は暴力を以て爭うも尚ほ恐るゝに足らず現にハインリツヒ新王旗下の新艦隊が支那に來るまでには石炭缺乏の爲めに種々の困難に遭ひ英國のお蔭にて漸く目的地に達したる所にて思はしき停泊所もなく殆んど露頭に迷ふの姿なきに非ず兵を萬里の外に送るの難きを察す可し支那政府にして少しく氣力ありしならんには立派に獨逸の要求を斥け隨て今日の厄運を免れたること爲らんに其然らざしは遺憾と云ふ可し過去のことは云ふも詮なしと雖も今日の事を處するに矢張り此心得を以て進まざる可らず露西亞は旅順大連を望み佛國は雷州その他容易ならざる特權の讓與を迫まれり如何に此難題を始末す可きか斷じて拒絶すれば或は暴力を以て脅かすこともある可しと雖も一旦露に讓れば佛にも讓らざるを得ず佛露に讓れば英國は更らに大なる要求を提出することならん事こゝに至れば支那は眞實無主人國にして全く人の分取に任ずるものなれば何れの國も次第に欲望を逞うして遂に歐州のポーランドたらしめざれば〓〓ざる可し〓〓滅亡を免れざるものとすれば寧ろ男らしく抵抗して〓〓〓〓に如かず況んや英國は〓邦の獨立を〓〓するものにして露西亞の要求にも佛朗西の難題にも共に反對するものなれば支那政府にして若しも斷然たる決心を以て事に當るに於ては露佛の野心を制すること敢て難きに非ず支那の爲めに計るに寧ろ大膽に構へて輕々しく讓歩せざるこそ得策なるに然るに近着の電報に據れば淸帝は當局大臣の伺に對して露國もし暴力を以て迫まらば致方なし只成可く讓與を少なくせんことを勉む可きのみと答へたるよし而して其後の電報に撚れば淸政府は遂に大連灣の永借を許さんことを申し出でたりと云ふ果して眞ならば生地なきも亦甚だしと云ふ可し如何なる弱國と雖も何の抵抗をも試みず他の求むるがまゝにムザムザ領地を割くものはある可らず西班牙の如きは兵疲れ國幣空しきにも拘はらず猶ほ且米國に對して讓歩せず飽迄も其國權を擁護せんとす成は無謀の譏もあらんかなれども此氣概ありてこそ國も立行くなれ若しも始めより一も二もなく屈從と決心せんには恰も柱なき家の如く忽ちにして轉覆せざるを得ず今や支那政府は退讓又退讓、如何なる無禮を加へらるゝも毫も抵抗の意なしと云ふ他國の野心いよいよ增長せざらんと欲するも得べからず老帝國の末路誠に憐むに堪へたり我輩の敢て弔する所なり

正誤 前號の社説十三行目「東京本支局の如き」の八字は六行目明治二十一年の上に入る可きものなり