「豫算の削減」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「豫算の削減」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

豫算の削減

現政府は大に財政を整理する覺悟にて種々調査の末、遂に本年度の豫算に於て四千何百萬圓を減少するに決したるよし是れまで豫算を組立つる際には各省とも我勝ちに要求して一錢にても多く取込まんと競ふたる結果、時としては主務省の勢力如何に依て分配に平衡を失ひ或る官廳に於ては必要なる經費の欠乏に苦しむと共に他の官廳に於ては多分の殘金を生じて却て其始末に困るが如き弊なきに非ざれども之を矯正すること易からず特に陸海軍の如きは殆んど犯す可らざる勢にして大抵の人は手を觸るゝこと能はざるの色なきに非ざりしに今回無造作に其既定の豫算を削減して毫も物議を招かざるは當局者の力量自から他に異るものあるが爲めなる可し此一段は世人の滿足する所として扨其削減の結果は如何と云ふに事業の進行上に格別の影響ある可しとも思はれざる其次第は名は削減と云ふと雖も實際は只年度割を變更したるまでにして例へば家を建つるに本月は五百圓來月は二百圓再来月は百圓都合八百圓を費して三箇月間に成就す可き筈なりしに斯くては都合よろしからずとて初月の五百圓を三百圓に減じて來月及び再來月に繰越したるに異ならず完成の期限に於ても全體の經費に於ても豫ての目論見に違はざるのみか各年度の事業も特に之が爲めに後るゝことなかる可しと云ふ其仔細は是れまで各省ともに仕事は後れ勝ちにして年々巨額の殘金を生ずるの例なり試に二十九年度の現計を見るに陸軍省は臨時費三千五百餘萬圓の内、千百五十七萬餘圓を翌年度に繰越し海軍省は三千餘萬圓の内、殆んど二千三百萬圓逓信省は一千萬圓の内、四百七十餘萬、内務省は土木事業費二百七十五萬圓の内、百九十四萬圓を使ひ殘したり三十年度の計算は未だ知る可らず中には本〓歩を進めたる者もあらんなれども各年度共に相應の經費を見積もりある其上に斯の如く多額の金を前年度より繰越したるに付ては尚ほ少なからぬ殘金を生じたることならん左れば本年度の豫算に於て四千何百萬圓を減ずるは必要なる經費を減ずるに非ずして唯その遣ひ殘り金を後年度に繰越すまでのことなれば實際事業の遅速に關係なしと云ふも可なり譬へば此男は大抵一升ぐらゐの飯は食ひ盡す成らんとて其用意したるに僅に半分にて閉口したり若しも豫定通り一升づゝ飯を炊いで強ひて食はしめんとすれば食傷するか又は殘飯を生じて不儉約と爲るの虞あるが故に其量を減じたるに異ならず只當然と云ふの外なけれども我輩の此に一言したきは若しも此男が活〓に運動して空腹を感ずるに至れば惜しむ所なく食物を與ふるの一事なり試に頭を擧げて外を見れば妖雲慘澹として物凄きこと云はん方なし鷙鳥猛獸おのおの爪を磨し牙を露はして目前に呑噬を逞うする此時に當り何物が最も必要なりやと云ふに吾に於ても亦鋭利なる爪牙に外ならず今日自から省みて不如意を感ずる所以のものは金錢の不足に非ずして海軍の不備に在り政府の財政は或は困難ならんと雖も國民は決して貧乏に非ず綽々餘力あるのみならず日本は恰も二十歳前後の壮者の如くにして正に發育の最中なれば大抵の困苦に堪ふるは明白なり錢が入用とならば遠慮なく租税を徴收して可なり或は政府事業を擴張すれば金錢を消費者の間に散じて物價の騰貴を來し隨て輸出入の不平均を免れずとの説もあれども海軍の擴張費は主として海外に散するものにして内閣の金〓に左迄の影響なきのみか内に租税を增收して外に之を散ずれば物價の下落を促す可きは論を待たず要するに海軍の擴張は急中の急務にして而かも費用なきを憂へず萬一俄かに〓税す可らざる事情もあらんには一時外國より借財するも可なり即ち我輩が曾て二億圓惜しむに足らず二十萬噸の計畫を改めて四十萬噸に增す可しと論じたる所以にして目前の事情に照してますます其必要を感感ずるものなり政府が二千四百萬圓の海軍費を減じたるは唯當局者に遣ひ切るの腕前なきが爲めならば是非もなき次第なれども苟も然らざるに於ては多々ますます支出して一刻も速に大計畫を實行せんこと我輩の呉々も希望する所なり