「教育の方針」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育の方針

學問の大切なるは今更ら論を待たざる所にして小學より大學に至るまで各種の教育は夫れ夫れ社會の繁榮を助くるものなれども其内には専ら個人の利益を目的とするものもあれば國營の組織上に必要なるものもありて自から一樣ならず即ち小學教育は何人にも必要なる讀書習字算術の初歩を教ふるものにして一人前の國民として其義務を盡すには是非とも是れだけの智識なかる可らず例へば兵役は國民の免る可らざる義務なれども無智文盲の輩は自から兵事に熟し難く萬事に付て合點惡しきが故に容易に善良の兵と爲ること能はず日本が全國皆兵の主義を實行して軍事上大に利益したるは主として軍隊中に教育ある者を導きたるに由ると云ふ果して然らば教育の普及すると否とは直に國の強弱に關するものと云ふも可なり單に兵役に於て然るのみに非ず市町村若しくは國家の一員として各種の議員を選擧し或は其權利義務に關する法律規則を心得るが爲めにも普通の教育を要するは論を待たざる所にして米國の諸州中には教育の有無を以て選擧資格を定むるもの少なからずと云ふ左れば普通教育は國家組織の土臺にして其普及發達を計るは寧ろ公共の義務なれば獨逸政府の如き嚴しく之に干渉して學齢の兒童は否や應なしに都て就學せしめ又米國に於ては一切無月謝にして何人にても自由に入學せしむるの例なり小學教育の性質は凡そ斯の如きものとして次に高等の教育は如何と云ふに何れも社會の繁榮に必要なれども本來の主義に於て國家の事業に屬す可きものに非ず文學盛ならざれば國民の品性を高むること能はず工學理財學進歩せざれば商賣工業の發達を望む可らずと雖も然れども世人が是等の學問を修むるは直に國家の利益を目的とするに非ずして寧ろ自家の生活を資けんが爲めなり例へば法律學を學ぶ者は代言人と爲りて辯護料を收め工學を修むる者は鐡道又は他の土木に從事して相當の報酬を得んが爲めのみ猶ほ大工左官の徒弟が家を建て壁を塗るの法を覺えて生計を立つるに異ならず果して然らば之を修むると否とは人民銘々の勝手にして政府の關係する可き所に非ず國家の公費を以て私の營業を助くるが如きは本來あるまじきことなればなり之を譬へば小學教育は恰も道路の如くにして其以上の教育は私有の庭園に異ならず道路は徒歩する者にも車に乗る者にも等しく必要にして公共の用を爲すものなれば公共の費用を以て作らざる可らざれども庭園は私用に供するものなり之を備ふると否とは全く銘々の隨意に任ず可きのみ是に於て米國の如き小學校を開放して何人にても自由に入學せしむること猶ほ勝手に道路を踏ましむるに異ならざれども大學に至ては全く人民の私に任じて之が爲めに一錢の租税をも費すことなし誠に教育の本義に適ふものと云ふ可し然かのみならず小學教育は一般普通の教育なるが故に全國を通じて大抵同樣の規則を以て支配せざる可らず同一の規則を以て支配するには政府こそ最も適任なれども高等の教育は自から別にして一律に律す可らず獨逸流のものもあれば英吉利流のものもあり又需教主義もあれば耶蘇教主義もありて自由に競ふてこそ始めて學問界の繁昌を見る可きものにして譬へば松もあれば杉もあり梅もあれば櫻もありて集めて風景の美を爲すが如し總ての教育を同一模型に押込まんとするは大なる心得違と云ふ可し此點より見るも小學教育は公共の仕事にして高等の教育は政府の專賣に任ず可らざること明白なるに然るに我國の教育方針を見れば恰も此反對に出るの觀なきに非ず小學校は概ね市町村立なれども其收入の重なるものは生徒より徴收する授業料にして公共の負擔は甚だ重からず特に東京市の如き之が爲めに費す所殆んど皆無と云ふも可なり當局者が少しく授業料を制限せんとすれば即ち囂々として苦情を唱へ強ひて其關門を嚴にして教育の普及を妨げんとするが如き如何にも解し難き次第にして文部省が其苦情に閉口して一旦發布したる勅令を引込ましたるも亦不思議と云はざる可らず小學校に對する筆法は斯の如くにして扨高等の學校は如何と云ふに大抵公共の費用を以て設立したるものにして當局者の眼中には只官公立學校あるのみ私立學校とて悉く不完全のものゝみに非ず中には見る可きものもあれども政府の之を遇する甚だ冷にして殆んど度外視するの例なり中學程度の認定を求むるものあれば學問の點に於ては申分なきに拘はらず只その流儀が氣に食はぬとて之を拒絶し官吏を採るにも無試験の特典は獨り官公立の占有に歸せしめ教員を任ずるにも官立の卒業生に非ざれば都て試験を要するが如き何れも官尊民卑の實を示すものにして恰も學校は官公立に非ざれば學校に非ず私立學校にて修めたる學問は同じ學問にても貴からずと云ふに異ならず誠に奇と云ふ可し我輩は固より總ての官立學校を廢す可しと主張する者に非ず高尚なる學問は費用を要すること多し單に學生の授業料又は篤志者の寄附のみを以て學校を維持せんとするは容易に非ず富有なること米人の如く教育を重ずること亦米人の如くにして始めて米國の例に倣ふ可し官公立も未だ俄に廢す可らざるのみか或は一層擴張の必要もある可しと雖も本來の性質に於て中學以上の學問は人民の私に任ず可きものなれば學校は官立に限ると云ふが如き思想を以て事を處す可らず官立を世話すると共に民立を無視せざるは勿論、寧ろ之を本位として其發達を促さゞる可らず政府は政府の學校をさへ繁昌せしむれば則ち可なりと云ふが如きは誠に俗吏の見のみ官民共に活眼を開て教育の大方針を誤るなからんこと我輩の呉々も希望する所なり