「支那を存するの道なきか」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「支那を存するの道なきか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那政府は今や殆んど生氣なし旅順を呉れよと云へば則ち之を與へ威海衛を渡せと迫れば則ち之を割き恰も分取勝手次第と云ふ有樣にして諸強國は既に夫れ夫れ要害の港を占領したり即ち支那分割の第一着歩にして今後は之を根據地として追追内地にも手を下すことならん今日に於ても鐵道敷設鑛山開掘等の名を以て次第に侵入しつつあることなれば其根據地いよいよ鞏固なるに至ればますます猿臂を延ばす可きは明白なり滿清政府は果して之を防ぐことを得るか目下の有樣にては到底第二の波蘭土たるを免れざる可しと雖も少しく奮發すれば社稷を存すること必ずしも難からず元來支那の人民は决して貧乏に非ず巨萬の財産を有するもの少なからざるは事實に明白にして其氣力も亦侮る可らず世界至る所に横行して千辛萬苦に耐ふるは世人の普く知る所にして日清戰爭の際にも聊か勇武の徴候を示したり平壤の敗戰後は臆病神に取付かれて日本兵の影を見るも逃出すほどの有樣なりしかども彼の高陞號にて牙山に乘込まんとしたるとき優勢なる日本軍艦に取卷かれて進退維れ谷まり降參の外に道なきは明白なるにも拘はらず尚ほ捕虜たるを肯ぜず潔よく豐嶋海底の藻屑と消えたるが如き兵士として耻しからぬ擧動と云ふ可し左れば支那の弱きは國民の生地なきが故に非ずして只その組纖の宜しきを得ざるが爲めのみ譬へば材木は堅牢なれども其組立方、法に適はざるが故に凝然たる大家屋も風雨に堪へざるが如し此まま滅亡せしむるは如何にも殘念の次第なれば何は兎もあれ先づ兵制を改革して二三十萬の精鋭を養ふ可し海軍の方は殆んど皆無の有樣なれば今日より計畫して優勢なる艦隊を作るは容易に非ざれども陸軍は粗末ながら既に相應の人員を養ひ多少新式の武器も用意しあることなれば之を改良して有力のものと爲すは左までの難事に非ず即ち只老少を淘汰して強壯なる壯丁のみを採用し新舊不揃の武器を一定すると共に規律を嚴重にして西洋式に訓練するまでのことにして格別の面倒もなければ新に巨額の費用を要することもなし譬へば家を修繕して壁を塗り替へ疊を入れ換ふるに異ならず何の造作もなきことなり扨斯の如くにして二三十萬の精兵を備ふれば以て國を守るに足る可きやと云ふに西洋諸強國が今日現在の有樣を以て東洋國に臨むは恰も河童の如くにして水に於ては強しと雖も陸に於ては恐るるに足らず如何なる強國にても十萬の弊を〓東に送り得る者はある可らず地の利を制する〓〓〓を以て〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓决して〓なり此際に於て尚ほ恐る可きは世界中唯一の日本國あるのみ支那老いたりと雖も大國なり三十萬の兵を練るは容易なる可し少しく奮發して將に危からんとする社稷を存するの勇なきか若しも滿清政府にして自から奮ふこと能はずんば則ち各地方獨立して自衛の道を講ず可し四百餘州を割いて數個の國を作れば各各四五千萬の人口と五六十萬方哩の領土を抱有する恰も日本大の國を得べし日本大の國は國として小に非ざるのみか其土地は豊饒にして人民も亦貧弱に非ずとすれば優に獨立するに足る可し而して獨立の根本は矢張り陸軍に求めざる可らず海軍の創造は難しと雖も各總督の管下には既に相應の陸兵あり之を擴張して凡そ二十萬と爲し新鋭の武器を與へて西洋流に訓練すれば世界の中、日本の外に恐る可きものを見ず假に海軍なき日本を想像せよ萬一事あるに當ては其海岸は或は荒さるることもある可しと雖も結局、國を失ふの憂なきは何人も保證する所なり日本には精鋭なる陸軍あればなり左れば二十萬の精兵を備ふる支那分立の新興國は恰も日本の如くにして唯海軍を缺くのみ假令ひ他を攻るの力に乏しきも自から守るに餘りあるや知る可し而して老帝國政府が大奮發して自から之に任ずるも分立の新興國が事に當るも其兵を練るには固より外人の手を借らざる可らず英人なり露人なり勝手に聘用して差支なしと雖も支那の爲めに計るに日本人に依頼するこそ便利最も多かる可しと云ふ其次第は日本は只管支那の獨立を希望する者にして敢て呑噬を逞うするの意なきのみならず元來日清兩國は文字も同じく風俗も亦大に類する所あり云はば兄弟の如くにして其事情に通ずること日本人の右に出づる者はある可らず、殊に其日本人は三十年前に至るまで支那人と同樣の教を奉じて同樣の思想を抱き殆んど同樣の境遇を經て以て今日の地位に進みしものなれば其經驗に於ても自から他の企て及ぶ可らざるものあり旁旁以て何事を學ぶにも日本人を師とするの便利多きは云ふまでもなく社稷を存するの道は〓日本人の指導に依て先づ其陸軍を養ふに在るのみ滿清政府自から奮ふこと能はずんば〓省の總督おのおの獨立して自衛の道を此に求む可し敢て支那人の爲めに一言するものなり