「フ井リツピンの變坐視す可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「フ井リツピンの變坐視す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

フ井リツピンの變坐視す可らず

最近の報道に據れば米國の東洋艦隊はマニラを襲ひ一撃の下に其砲臺を陥れ又その艦隊を

破壞して遂に市街をも占領したりと云ふ元來西班牙の其屬地を支配するや甚だ苛酷にして

官吏は収斂を事とし僧侶は跋扈跳梁するが故に人民は不平に堪へずして毎度反旗を飜へす

の例なりキユーバは申すに及ばずフ井リツピンに於ても現に一昨年反徒蜂起して西班牙政

府は其征討に苦しみ一旦は漸く鎭壓したれども殘徒は尚ほ所々に出沒して降伏せず動もす

れば死灰再燃せんとするの際不幸にも今回の變あり西軍は散々に打惱されたることなれば

左なきだに統御に苦めるマニラ政廳は一層困難の地位に陥りしことならんフ井リッピン諸

嶋は遂に如何なる運命に迫る可きや知る可らずキユーバに於ては兩軍相持して未だ戰はず

勝敗は豫め知る可らざれども戰塲の遠近より云ふも軍艦の多少に徴するも結局米國が敗北

す可しとは思はれずキユーバも亦恐らくは西班牙の有に非ざる可し日本は絶東に位するも

のにして墨西哥灣頭と相距ること遠しキユーバの運命に對しては利害の關係なしと雖もフ

井〔右ツキ〕リッピンに至ては然らず新領地臺灣と相對して南洋の關門を爲すものなれば

其盛衰存亡は我に直接の影響を及ぼす可し今日の塲合、坐視す可きに非ずとして扨その方

法を如何す可きやと云ふに或は直に之を占領して南洋平和の保證と爲す可しとの説もあら

んかなれども他國の難に乘じて其版圖を犯すが如きは我輩の斷じて取らざる所なり左れば

とて此まゝに捨置く可きに非ざれば先づ此地方に移住殖民を計らんことを望む其次第は日

本の面積は十四萬七千餘方哩にして山の裾、河の岸、一切耕やし盡くして殆んど開く可き

餘地なしと云ふも可なり現に米の作付反別の如き此數年來毫も增加の跡なし明治二十四年

に二百七十五萬餘町歩なりしものが二十七年には却て少しく減じて二百七十三萬餘町歩と

爲り二十八年に至て僅に二萬餘町歩を增したるのみ左れば其収穫も年々略ぼ同樣にして五

六年來三千八百萬石より四千百萬石の間を往來するに過ぎず然るに人口は年々著しく增加

して止まる所を知らず明治十三年には三千五百九十二萬人なりしに同廿八年には四千二百

廿七萬人と爲り十六年間に六百卅五萬人を增したることなれば今後數十年の間には更らに

幾千萬人を增す可し〓地の面積は年々同樣にして人口は歳々增殖するに於ては忽ち食物の

不足を感ぜざるを得ず現に位置〓〓〓〓國米の輸入は少なからぬ〓にして今後〓〓〓〓く

も到底不足を〓る〓めず或は商工業を盛にして米代を稼ぎ出し食物の供給を外國に仰ぐの

道もなきに非ざれども凡そ一國の住民には自から限あり商賣製造如何に盛なるも限なき人

員を容る可きに非ず例へば英國の如きは商工業を以て世界に鳴るものなれども其人口は三

千八百萬にして之を其面積十二萬方哩に割當れば一方哩の住民三百人に過ぎず然るに日本

の面積は十四萬方哩にして人口は四千二百萬なれば一方哩に付二百八十名の割合なり略ぼ

英國の程度に達したるものなれば此上多數の人口を容るゝに足らざるは明白なり或は北海

道には尚ほ開墾す可き所少なからず新領地臺灣にも移民の餘地なきに非ざれども此兩地と

ても久しからずして充さる可しと云ふ次第は臺灣の人口は凡そ二百五十萬にして九州は六

百萬なれば假令ひ九州ぐらゐの度合にまで達せしめ得べしとするも今後僅に三百五十萬を

容るゝに過ぎずして十年間の增殖に應ずるに足らず而して北海道は氣候寒冷にして移住に

適せざる所多し左れば外に向て出口を求むるは實に我國の急務にして或は墨西哥巴西等に

移住を企つる者なきに非ざれども近く新領地の隣に我民を植るに適當の地方あり即ちフ井

リッピン諸嶋にして土地廣く人口少なし統計に據れば其面積は十一萬四千餘方哩にして日

本より稍々小なるのみ然るに其住民は僅に七百萬にして一方哩の人口日本は二百八十人な

るに彼は三十人に過ぎず空地の多き以て見る可し而かも其地味は頗る豐饒にして砂糖、煙

草、麻、〓〓〔口+加〕〔口+非〕等の産出少なからず且つ山には材木多く地下鑛物に富む

と云ふ此天惠の地、今や不幸なる變亂の爲めに如何なる運命に立至るやも知る可らず日本

國民の袖手傍觀す可き時に非ざれば先づ其地所を購ふて以て殖民の道を開く可し曾て日本

は之を西班牙政府に相談したるに一エーカーに付一圓二十五錢ぐらゐならば求めに應ず可

しと云ひしこともあるよしなれば此際更らに協議したらんには殆んど無代價同樣にて幾多

の地を収むることを得べし斯くて續々移民を送り至る所に日本村或は日本町を作らば恰も

版圖を擴げたると同樣にして其利益は大なる可し内には人口の溢るゝあり外には此空地あ

るに手を袖にして傍觀するは智者の事に非ず斷じて押出すものと覺悟して取敢へず先づ調

査委員を派遣す可し嶋内の事情を察し又その求む可き地所を選定する爲め民間の有志なり

或は官吏なり兎も角も人を派遣すること肝要にして軍艦も一隻ぐらゐは常に此方面に遊弋

せしめざる可らずマニラには多少の日本人ありマリアナ及びカロライン群嶋にも同胞の商

賣に從事するもの少なからざることなれば之を保護するが爲めにも軍艦の必要は明白にし

て今後いよいよ此方面に着手するに於ては領事館の如きも之を擴張せざる可らず今日の有

樣は恰も嶋流し同樣にして一二の館員が空しく館内に籠城するのみ到底何事をも爲すに足

らざれば有力者を派遣すると共に館員を增すの必要もある可し兎も角も内外の事情に於て

フ井〔右ツキ〕リッピンの存亡は日本の坐視す可き所に非ず速に經營の策を講ぜんこと我

輩の敢て當局者に勸告する所なり