「鐵道論は秋天の朝晴暮雨に似たり」
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本文
鐵道論は秋天の朝晴暮雨に似たり
目下經濟社會不如意の色あるより救濟の一策として鐵道國有論を唱ふるもの少なからず國
有必ずしも不可ならざれども篤と利害得失を考へず一時の經濟事情の爲めに或は國有を唱
へ又は拂下を主張するが如き我輩の感服せざる所なり明治二十三四年の頃、米穀不作の結
果として經濟社會漸く不景氣と爲り株券の頻りに下落するや鐵道國有論、朝野の間に喧し
く或は實行せられんとするの色ありしが世間の景氣回復すると共に其議論は何時しか消滅
して却て拂下論を開くに至りしのみか同時に廣軌論さへ主張せられしほどなるに今や則ち
又變じて國有論と爲りしこそ不思議なれ元來鐵道官私設の可否は頗る入組みたる問題にし
て輕卒に斷ず可らず官設に固有の弊害もあれば民設に免れ難き欠點もあり例へば官設は一
進一退總て窮屈なる法律規則に從はざる可らざるが故に活動し難きのみか貨物旅客の取扱
も自から不親切なれども民設に於ては只管配當金の多からんことを勉めて工事を粗略にし
又は車輛等の改良を怠るの傾なきに非ず試に東海道線を以て九州鐵道などに比ふれば官設
の方、遙に勝るが如くなれども信越線と山陽線とを以て双方の見本とすれば寧ろ私設を取
らざるを得ず且つ西洋諸國の例を見るに或る國に於ては國有説を實行し又或る國に於ては
民設に委するなど其間に一定の標準なきが如し左れば我國に於ていよいよ孰にか决定する
前には篤と講究す可き筈なるに然るに一時の金融事情より旦に國有説を主張し夕に拂下論
を唱るが如きは如何にも輕卒にして徒に識者の笑を買ふに足るのみ假に論者の云ふが儘に
實行したりとせよ忽にして官有又忽にして民有、鐵道は其中間に彷徨して發達進歩の期あ
る可らず其議論の聞くに足らざる亦以て證すべし假令ひ又一歩を讓て鐵道は官設に限ると
しても今日の事情果して實行し得べきや否や現在の官線は僅々の哩數なれども其れさへ監
督不行届にして苦情百出することなれば今もし全國重要の線路を買収して之を政府の一手
に委したらんには恰も小店の番頭に大會社の管理を託したると同樣にしてますます不行届
きを免れざるのみか目下政府の財政は頗る困難にして着手中の鐵道工事すら中止するほど
の次第なれば迚も私設鐵道を買上ぐるの餘裕ある可らず或は租税を增徴し若しくは外債を
募るの道もなきに非ざれども增徴の租税は以て歳計の不足を補はざる可らず外債は若しも
募集の必要ありとすれば以て鐵道を買上ぐるよりも寧ろ内の借金を返す可し目下の金融逼
迫に付ては種々の事情あることならんと雖も要するに二十七八年の戰費として金融市塲よ
り少なからぬ資金を引上げたると戰後、事業の勃興したるとに由るものにして調子に乘て
漫に株券など買込みたるは當人の不覺とするも其急を救ふが爲めに果して政府より資金を
供給せざる可らずとすれば先づ軍事公債を償還すること至當の順序なれ借りたる金は慥に
返さるゞを得ざれども鐵道國有の利害は俄に斷ず可らず曾て政府は國家百年の利害に關す
る金貨本位を一時の財政事情より速斷して輕率の譏を招きたることあり目下の金融逼迫を
救はんが爲めに鐵道國有論を主張するは恰も當時の金本位論に異ならず只識者の笑を招く
に足るのみ商工業果して救護を要するか寧ろ公債の償還を求む可し朝晴暮雨の鐵道論は我
輩の聞くを厭ふ所なり