「禍を變じて福と爲す可し」
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時事新報に掲載された「禍を變じて福と爲す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
禍を變じて福と爲す可し
日本の支那に對するや只その國を開いて通商貿易の利を利せんとするのみにして敢て野心
を逞うして土地を占領せんなど夢にも思はざる所なり諺に唇亡びて齒寒しと云ふ萬一支那
帝國にして第二の波蘭たるが如きことあらんか日本は直に歐洲諸強國と相接するものにし
て自から立國の難きを感ぜざるを得ず左れば支那の獨立を保全するは日本の國是にして現
に先般來露獨佛英の諸國は競ふて老帝國の要地を占領したるにも拘はらず日本は獨り超然
として毫も犯す所なきを見ても之を證するに足る可し蓋し日本は東洋の強國にして其陸軍
は蘇士以東に於て敵を見ざるのみか海軍の如きも他に對して遜色なし一たび决心すれば列
國の顰に傚ふは容易なるに然るに敢て爲さゞる所以のものは只老帝國の獨立を欲すればな
り支那人も此邊の事情は最早や略ぼ合點したることならん先年の戰爭に於て日本の侮る可
らざるを悟り今回の要地占領事件に依て我國の野心なきを察したる上は自から我に親しむ
の心を生ぜざるを得ず世間の風説に據れば豫て日本嫌ひの評ある張之洞が其門下生を派遣
して我國の事情を視察せしめたるのみか追て多數の留学生を送る可しと云ひ又或は上海に
於ては日本人の周旋に依て興亞會なるものを組織し以て老帝國の革新を促さんとするなど
彼我の交際は漸く密ならんとするものゝ如し誠に喜ぶ可き現象にして行く行くは老帝國も
日本を師として自から革新するに至る可しと竊に望を屬し居たる際、圖らずも沙市の事變
あり彼我の交際を傷けたるこそ遺憾なり日本は固より之を奇貨として清國を苦しむるが如
きことなかる可し世論の調子は頗る穩にして當路者の意見も大抵同樣なる可しと雖も元來
この事件たる一私人を犯したるに非ずして我國旗に無禮を加へたるものなれば假令ひ相手
は暴民なりと云ふも斷じて其罪を恕す可らず况んや犯罪の地は山間僻邑に非ずして〓〓塲
たるに於てをや今後再三斯る騒動を繰返へすの危險あるに於ては通商貿易の發達は到底期
す可らざることなれば其損害を賠償せしむるは勿論、後來の保證をも取らざる可らず苦々
しき次第なれども更らに一歩を進めて考ふれば或は却て交際を親密にするの因縁と爲るこ
ともある可し列國の中には單に一二宣教師の被害を口實にして要港を占領するのみならず
〓の云ひ草もなくして咽喉を扼するものさへある其際に日本は斯の如き無禮を加へられ如
何なる〓題をも持出し得べき機會を掴みながら〓〓無理を〓はず〓内外人の至當と認むる
要求を提出するに止まらば恰も事實の上に日本の野心なきを證明するものにして支那政府
は喜んで其要求を容るゝと共に我好意を諒し其好意を諒すると共に騒動の再發を防がんが
爲めに國政改革の必要を感ずるに至る可し現に今度の事件に關して支那公使館員の如き只
管恐縮して斯る始末にては支那は到底亡國たるを免れず改革は目下の急務なりと云ひ居る
よし支那人假令ひ鈍しと雖も頑固守舊の爲めに度々災難を釀すを見ては心を動さゞるを得
ず而して一旦改革の必要を悟れば日本の先例に傚はんことを思ふは自然の勢なり西洋諸國
は初めより支那と文明の種類を異にし風俗言語も悉く別なるに反して日本は多年之と文明
を共にし宗敎道徳を同うしたるものにして一朝の機會に獨り進んで今日の富強を致したる
ものなれば支那が奮發して文明の門に入らんには日本の先蹤に從て進まざるを得ず我が先
蹤に從て進むには萬事日本の指導に依ること肝要なり經驗の點より云ふも其獨立を計るに
熱心なる上より見るも老帝國の師として日本人ほど適任なるものなし西洋人に學ぶは恰も
繼母に養はるゝが如くにして我國人に導かるゝは眞の親に育てらるゝに異ならず其間に著
しき差別あるは論を待たず之を要するに沙市の騒動は兩國の不幸に相違なしと雖も或は支
那改革の動機と爲り日清親交の因縁と爲ることもある可し當局者の處置よろしきを得て禍
を變じて福と爲さんこと我輩の切に希望する所なり