「何故に男女を區別するや」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「何故に男女を區別するや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

何故に男女を區別するや

衆議院の解散せらるゝ前五月三十日付を以て請願委員長より議長へ報告したる請願件名調

を見るに東京市麹町上二番町女子學院管理人矢嶋かぢ外二千二百三名より提出せる刑法及

び民法中改正の件あり其趣意と云ふを讀むに現行刑法第三百五十三條を改正し『有妻の男

子他の女子と姦通し有夫の女他の男子に姦通したるものは共に六箇月以上二年以下の重禁

錮に處す其相姦する者亦同じ』となし民法中に有妻の男子他の女子に通じ又は有夫の女子

他の男子に通ずるを姦通とす等の意味を含める條項を設けられん事を請願するに在り如何

にも尤もなる要求にして若し議會だに解散の厄運に遇ざりしならば異議なく同意したりし

ならんと思はるゝに其實際は之に反して請願人等が此件を議會に提出するは初めての事に

非ずして既に去二十五年の頃より帝國議會の開會せらるゝ度に必ず請願せざる事なけれど

も不幸にして採用せられず此度も亦同樣の結果とは考えたれども顧りみて自から止む能は

ざるより更に請願に及べるなりと云ふ偖も不可思議なる次第とは此事なり男子と女子と相

約束して夫婦となりし上は其愛情正に同一なる可き道理にして夫ある女子が誓に背いて他

人に情を通ずるを不都合とすれば妻ある男子が同樣の擧動に及ぶも矢張り不都合に相違な

く單に女子の一方にのみ制限を加へて男子の方を不問に措くは權衡の平を得たるものに非

ず畢竟男子が女子より強きを賴みにして男子に都合よき法律を定め更に其蔭に身を隱して

我儘を働かんとするものに過ぎず我輩は之を評して卑怯の擧動といふを憚からざるなり或

は實際談を喋々して我輩の説を非難し男子が勝手の所業を爲すは獨り日本のみに止まらず

文明開化の本元と稱せらるゝ歐米の各國に在ても其實决して我に劣らざるのみか却て我よ

り甚だしきものあり巴里は如斯々々倫敦は斯樣々々何國の皇子は女役者を愛して云々の醜

聞あり何市の金滿家は外妾に溺れて此く此くの擧動を爲せり元來優勝劣敗は自然の約束な

り外に辛苦經營する男子をして内に安んじて扶養を受る女子の如く品行方正ならしめんと

するは野暮の沙汰にして共に世間を語るに足らず西洋の法律に男女同權とあるは唯是れ小

供欺しの方便にして實際其事の行はるゝものに非ず然るを今その行はれざるを知りながら

單に外面の體裁の爲めに窮屈なる法律を設けんとするは學説の空理に拘泥するものにして

實際に何等の効能もなきことなれば寧ろ社會の現状に照らして淡泊に男子に向て一歩の餘

地を假借するこそ智者の事なれと所謂世間通を氣取て得々論じ去る者もある可しと雖も通

人の喋々聽くに足らず都て是れ世に媚び又自から爲めにする俗論にして其立論の根據なき

を如何せん論者が歐米諸國の惡習慣を枚擧するに由て以て自家の非を恕せんとするの口實

なる可けれども歐米は歐米なり日本は日本なり相對比較の論は姑く擱き男女兩性の一方が

不倫を犯して勝手次第に醜行を恣にするは人生の本來に於て其居家處世の幸不幸に於て尚

ほ進んで一國文明の進退に於て利害得失果して如何、果して一利なくして百害ありと决定

したる上は他に比較を求めて自から自家の惡事を恕せんとするも斷じて許す可らず隣人酒

を飮めば我亦飮むか、隣人喧嘩すれば我亦喧嘩するか、一身の擧動都て隣人に倣ふとあれ

ば如何なる犯罪も際限ある可らず是れぞ所謂我にして我なき者なり共に獨立の事を語るに

足らず梅毒を患ふる者が隣の癩病を見て自から大に慰めたりと云ふ、論者が歐米人の不品

行を鳴らして日本人の亂暴醜體を許さんとするは隣の癩病を便りに自分の梅毒を悦ぶ者に

異らず唯一笑に附す可きのみ我輩は徒に醜行の比較論を言はずして人生本來の德不德を爭

はんと欲する者なり、然かのみならず歐米の天地、敗德醜行の男子もあれば婬奔猥褻の女

子も少なからず隨分言ふに忍びざる事實多きが如くなれども實際は唯社會の一部にして全

體を通覽すれば决して今日の日本の如き亂暴狼藉を極めたるものに非ず紳士は飽迄も紳士

にして淑女は何處迄も淑女なり卑陋千萬なる醜業婦が公然其間に立交りて玉石を分つに苦

しむ等の沙汰は未だ甞て聞かざる所なり此歐米國の風儀を云々して彼我相比較せんとする

が如き議論の當を得たるものに非ず到底首肯する能はざる所なれども今一歩を讓り我輩は

論者が外面の體裁と云ふ其外面の體裁だけにても之を改正せんことを希望する者なり凡そ

人間の事物、一として表裝なきものなし或は虚飾を撤し邊幅を飾らざるを以て心事の高尚

なるものと稱すれども天下の人類盡く仙人たらざる限りは虚飾必ずしも用なしと爲さず東

洋の聖人として德行甚だ崇かりし孔夫子の如きも質、文に勝てば則ち野なり文質彬々然し

て後君子と云ひ最愛の弟子顏淵の死せるとき門弟子の請を斥けて馬車の貸與を拒み我は太

夫なれば徒行すべからずと云はれたるを見れば文明野蠻の異なる所は修飾の如何に在りと

するの意味分明にして樹下石上を本意とする僧侶が佛堂經藏を廣大にするは虚飾の最も甚

だしきものなれども釋迦は之を稱して佛土莊巖の一方と云ひ敢て咎めざるのみか却て之を

奬勵したりと云ふ左れば虚飾と文明との關係は甚だ微妙なるものにして文明國人が其都府

の壯麗を裝ふも今の東京市民が市街を清潔にして公私の建築に力を盡すも内實を叩けば實

用よりも外觀に重きを置くものなり是等の事實果して違ふことなくんば今日我文明の法律

に文飾を加へて一國の莊巌たらしむるは頗る必要なる手段にして經世家の正に注意す可き

所のものなり前云ふ請願者の意に任せて法文を改めたりとて之が爲めに實際の難事を生ず

るが如き掛念は無用の沙汰なり今日現在の日本婦人が假令ひ姦通の件に付き男女同等の權

力を得たりとするも直に之を利用して其夫を法廷に訴へんなどゝは思ひも寄らず家内の事

情世間の風潮に於て决して之を許さず盖し訴へらるゝ者の耻辱は亦訴ふる者の耻辱にして

女性の本來斯る耻辱を敢てする者にあらざればなり試に財産の邊を見るべし近來の法律に

は父子兄弟の間と雖も權義の爭を許せども世間これが爲めに法廷を煩はして血で血を洗ふ

の例は幾干ありや父子は偖置き兄弟間の爭と雖も古來の習慣を重んじて大抵仲裁にて事を

濟ますの例なり偶々公邊に出るものなきに非ざれども其等は格別の難件にて内分の扱ひに

委し難きものにして古來何れの世にも其例あり新法の罪と云ふべからず左れば夫婦の爭も

亦此の如し其暴状甚だしきものは素より訴へを免かれざる可しと雖も事實、萬中の一にし

て男子の醜行殘虐、極端に達したるものならんのみ此の如き〓合に在ても尚ほ女子をして

言ふ所なからしめんとするは壓制束縛の甚だしきものにして明治新天地の文明男子はマサ

カ左ばかりの〓〓を好むものには非ざるべし唯其磊落なる品行に向て内君の容喙を恐るゝ

が爲めに言を左右に託して右等の改正を拒み知らず知らず壓制の誹を招くものにこそあれ

ば其邊の心配無用なりとして次期の帝國議會に於ては必ず本件を議事に上せ滿塲一致以て

之を通過し男子の公平なるを示すと共に國の品格を高尚にせんこと我輩の切望する所なり

試に思へ現今の如く男子に一分の餘地を存して女子の感情を害するも世界萬國に對して少

しも手抦咄となることなく歐米各國の文明人種には擯斥せらるゝの種に過ぎず寧ろ思ひ切

て之を改正して國の體面を美ならしむると共に神經過敏なる女性をして男子の公平に心醉

せしめ全身を擎げて我に奉ぜしめんことを企つるは是れぞ日本男子の男らしき擧動に非ず

や我輩も亦男子なれども既に弱き女子に一目置て勝たんとするが如き卑劣を快とせず對待

の勝負奇麗ならんことを思ふて敢て世の政治家に向つて以上の注告を試み以て男子の面目

を全うせんと欲するものなり