「政治商賣」
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政治商賣
政治商賣
今度の新内閣員を見れば大隈板垣の兩長老を除くの外は單に政黨員として世間に知られた
る人々にして或は書生より一躍して大臣と爲りたるの觀なきに非ざれども實際に其經歴に
徴すれば是等の輩が今日あるを致したるは時運の然らしむる所とは云ひながら决して偶然
ならざるを知る可し其輩の中には明治の初年より官途に出身して想應の地位を占めたるも
の多し或は然らざるも當時より政府に入て其儘在任したらんには必ずしも今日を待たずし
て今日の榮達を見たるやも知る可らず當時の同僚又は其後進たりし官吏輩の立身に徴する
も敢て怪しむに足らざる所にして一身の爲めにすれば依然官途に身を置て穩に榮達を謀る
こそ安全なりしならんに或は時の行掛もあらん或は兼てよりの不平もあらん民間に民論を
唱へて政府に反對し大に爭ひたる其目的は自から取て代るの功名心に外ならざれども實際
の成行如何と云ふに政府の權力は甚だ盛にして民論の爲めに動かざるのみか反對に其民論
を鎭壓せんとするの意氣込みにて官民軋轢の極端、政府の忌諱に觸れて獄に繋がれ又は退
去を命ぜらるゝなど殆んど身を危うしたるの塲合なきに非ず其間一身の私には朋友の離盟
家族の愁訴等、内外の辛苦艱難名状す可らざる窮境に立て兎に角に苦節を全うして漸く今
日あるを致したるものなれば當人の心に於ては今度の榮達を以て毫も異數と思はざるのみ
か二十年間の辛苦始めて目的を達したりとは政治商賣も扨々割に合はぬものかなとて嘆息
に堪へざることならん實際の事實にして少しく心を靜にして考ふるとき何人も之を認むる
筈なれども浮世の俗情より見るときは昨日までは民間の一書生、何々政黨員などゝて世間
に奔走したるものが今日は堂々たる政府の大臣とは驚入たる次第なり斯る無造作のものな
らんには政治商賣も甚だ面白し否な立身出世の道は是非とも政治に限るとて遽に一時の熱
を催ほすは無論、或は更らに一歩を進めて同窓同郷もしくは舊來懇意などの縁故を云々し
て新大臣の輩に近づき此際何か利する所あらんなど奔走するものなきを期す可らず俗界の
人情に免かる可らざる沙汰なれども自から思はざるの甚だしきものと云ふ可し抑も政治商
賣は頗る派出のものなり局外より單に其派出の有樣のみを眺むるときは甚だ面白きに似た
れども實際には决して面白きことのみに非ず談少しく卑陋に渉れども彼の藝妓の商賣を見
れば美衣を耀かし美食を恣にし客の機嫌を取ると稱して體よく之を愚弄し喋々喃々他愛も
なき事を饒舌りながら金を得べしと云ふ一見、氣樂に似たれども外と内とは大違ひにして
心中の苦は人に語る可らざるもの多し藝者商賣サラリと止めて云々の情歌は眞實その心意
氣を寫して欺かざれども實際に歸する所を得るものは甚だ稀れにして秋風一たび蛾眉を吹
けば顏色忽ち衰へて白草原頭に哀れを留むるものさへ多きに非ずや藝者商賣の氣樂ならざ
るを知る可し政治商賣も今日の如き有樣を見たらば面白きことならんなれども今の當局者
が多年民間に辛苦して心の不平煩悶は申す迄もなく一家の生活さへも意の如くならず舊友
は離れ去り妻子は窮苦を訴ふるなど恰も四面楚歌の窮境に立ち尚ほ大言壮語して窮色を現
はさゞりし時の事を考へたらば如何、其時には一向に取合はず政黨員などに誰れがなるも
のかとて散々に輕蔑しながら昨今の景氣を見て遽に狂熱とは賴母しからぬ次第なりと云ふ
可し或は大臣の地位は四千万人中只十個を見るのみにして政界に於ては此上もなき名譽と
云はざるを得ず世俗の見る所にて其地位が恰も取るに容易なるが如しとあれば自から政熱
を催ほすも無理ならずと雖も今の政客輩が之を得たるは相塲師が相塲に勝て大に儲けたる
に異ならず一見偶然に似たれども其大儲けに至るまでは幾度の失敗は申す迄もなく或は時
としては窮迫の餘り缺落もせんか自殺もせんかなど思ひたることもなきに非ざる可し無氣
力の輩は半途に挫折して商賣換したるもの多き其中に踏留りて大に利運を開きたる次第な
れば局外の素人輩が單に大儲の事實のみを見て一躍奇利を博す可しなど心得、遽に相塲の
考を起すが如き大間違ひと云はざるを得ず况んや舊來の縁故など云々して其熱に依らんと
するが如き虫のよきにも程こそあれ政黨輩が多年來の窮境その窮を與にしたるは單に自家
の妻子のみならず即ち幾多の黨員輩は孰れも辛苦艱難を同うして今日あるを致したるもの
なれば自から其勞に酬いざる可らざるは勿論にして或は其輩の中にも所謂獵官の志願甚だ
盛にして其始末にさへ苦しむ程の次第なりと云ふ局外の傍觀人などに餘澤を及ぼすの餘裕
なきは明白なれば斯る卑劣の望は到底無益なりとして斷念す可きものなり政治商賣も亦是
れ人間の道樂のみならず昨今の時勢は政界の進歩を證して前途尚ほ面白きこともある可し
果して其道樂を樂まんとならば一身を其一方に委ね政治商賣專門を覺悟して大に運動す可
し從來とは殊にして或は容易に目的を達することもあらん自から妙ならんと雖も單に一時
の熱に狂して云々するは浮氣の甚だしきものにして又忽ちに醒むるの時なきを得ず我輩の
只氣の毒に思ふ所なり
官吏の任免
新内閣成りて第一に手を下す可きは官吏の任免なる可し現任者の中には既に辭表を差出し
たる者もあれば又或は將に退かんとして諭旨の至るを待つ者もある其反對に時を得たる政
黨員の中には今ぞ青雲の志を達す可き時なりとて竊に任官を望む者も少なからざることな
らん新陳代謝は自然の勢なり或は内閣の交代と共に事務官を更ふるは宜しからずとの説も
なきに非ざれども我國にては事務官と政務官との區別判然せず例へば次官局長の如き表面
に於ては事務官のやうなれども實際に於ては往々政治に奔走することなきに非ず盖し從來
の老大臣中には榮譽の極、既に殿樣と爲り雲上人と化し了りて自から政務を始末すること
能はず何事を爲すにも下僚を煩はしたるもの少なからず屬僚政治の由て來る所にして今日
の状態は决して偶然に非ず兎に角に事務官必ずしも事務官に非ざるは是迄とても内閣の更
迭と共に次官、局長、地方長官等の動きたるに徴しても明白なれば今回の政變に付ても此
邊の官吏を任免するは自然の勢に於て免れざるのみか波瀾の及ぶ所は特に廣からざるを得
ず是迄の内閣更迭は藩閥に代ふるに藩閥を以てしたるものにして云はゞ内輪同士の事なれ
ども今度は藩閥に代ふるに民黨を以てしたるものにして根抵より其經歴を異にし精神を別
にするものなれば假令ひ屬僚に反抗の意なく民黨内閣に於て之を疎外するの念なしとする
も情意自から通じ難くして此儘にては不便を感ずること多かる可し譬へば一家内の事にて
も親の代より勤め來りし奉公人は自から使ひ難くして新夫新婦の世と爲れば更代するもの
多しと云ふ政府の代替りと共に屬僚の任免多きは怪しむに足らず特に新内閣は從來の官臭
を一掃して新空氣を注入するの責任を負ふものにして空氣を一新するには自から新人物を
入れざるを得ず從來の官吏必ずしも老朽者のみに非ず民間の人物にも自から厭ふ可き者多
しと雖も概して在官者は藩閥の手に依て育てられ多年官尊民卑の空氣中に生活したるもの
にして一種の臭味を帶ぶるに反して民間の人物は年來の境遇より言語擧動自から平易にし
て其精神も活發洒落なるもの多し官民の隔壁を徹して所謂お役所風を一掃し官廳をして恰
も會社の如く官吏をして商家の番頭の如くならしめんには民間の人物を入れざるを得ず人、
新なれば氣風も亦新なる可し此際官吏の任命は事情已むを得ざる所にして遠慮に及ばず
颯々と斷行して不可なしと雖も茲に注意す可きは勢に乘じて極端に走ることなきの一事な
り殷鑑遠からず薩長人なるが故にとて格別の才能なき者をも用ひて威福を弄したるこそ藩
閥政府の不人望を致したる第一の原因なれば今日民黨が時を得たりとて人の才不才を問は
ず漫に其黨人たるの故を以て採用することもあらんには是れぞ所謂咎めに傚ふものにして
天下の人望は忽にして去る可し藩閥政府には維新の功勞と名くる一種の勢力ありて不人望
にも拘はらず多年自から維持することを得たれども民黨の依賴する所は只人氣あるのみ人
氣去るときは即ち倒るゝの時なれば時を得たればとて决して油斷す可らず黨員の中には用
ひられざるが爲めに苦情を唱ふる者もあらんと雖も憂ふるに足らず反對派の中には免職を
以て復讐なりとして非難する者もある可しと雖も顧みるを要せず世間自から公平の眼あり
人民の多數、大勢の命ずる所に從て採る可きは斷じて採り棄つ可きは斷じて棄つ可きのみ
天下の同情は其中に在て政府の基礎始めて固かる可し我輩の敢て忠告する所なり
日本銀行の公債買入れに就て
償金を流用して自價にて一般の市塲より公債を買入れ金融逼迫の勢を緩和す可しとは前内
閣が案出したる經濟社會救濟の一策にして日本銀行は先頃來既に其買入れに着手し公債の
價格は目下九十六圓臺に騰貴したれども今日までの買入高は六百萬圓内外に過ぎずと云ふ
斯る些細の資金を市塲に融通したればとて金融を緩和するは實際に望み難き所にして全く
救濟の目的を達する能はざるものと云ふ可し元來昨今の公債買入れは償金特別會計法に據
りて償金を運用するものなれば從來の公債銷却と異なり時價が額面以上に騰貴したる塲合
にも尚ほ引續て買入れを行ひ難きに非ず從て其買入高には別段の制限なく償金の全額を盡
して買入れの資金に充つるを得るが如くなれども財政計畫の實際より云へば償金には既に
一定の費途ありて其殘餘は今後公債募集の覺束なき塲合に其應募に繰替ふ可き豫定なるを
以て今日妄に他の費途に流用するときは他日内外の市塲に賣出しの道を開く能はずして財
政上に如何なる困難を招くやも知る可らず一方に多額の公債を募集するの必要を見ながら
一方に急要の費途に充つ可き償金を費消して其買入れを謀るが如きは自家撞着の極にして
金融を緩和せしむるの効なきは明白の事實なれば昨今の如く買入價格が九十六圓臺に騰貴
したる以上は更らに價格を引上げて進んで買入を行はんよりは寧ろ之を据置きて自然の成
行に一任するこそ至當の處置と云ふ可けれ或は日本銀行が公債の買入れを世間に公告して
より買入高の意外に少なきは時々價格を引上ぐるが爲めに所有者をして自から賣控へしむ
る結果なれば若しも價格を今日の儘に据置かんには公債の所有者は九十六圓に賣りて他の
株式證券を買入るゝこそ利益なるを以て銀行は續々買入れの申込を受けて其高を增加する
の掛念ありとの説を唱ふる者あれども斯る塲合には斷然買入れを中止して其增加を制す可
きのみ或は新内閣員の内には公債の價格にして下落する時は國家の信用を傷くるの患あれ
ば成る可く額面内外に保たしめざる可らずとの考を懷く者ある由なれども公債の價格を維
持するには他に相當の手段あり公債買入銷却法の如き此邊の必要に具へたるものにして其
規定に從ひ豫算の定額内に於て買入れを行はんには殊更らに償金を流用せずして公債の價
格を維持するを得べし近來兌換券の發行高が次第に增加の傾あるは全く政府が償金の回収
に着手したる結果にして若しも盛に其現送を行はんには再び通貨の膨脹を促して經濟上の
變態を重ぬるに至る可し軍備擴張を始め其他既定の事業に要する償金の回収は實際に已む
を得ざるものとするも公債買入れの如き無用の費途に充てんが爲めに償金を回収して經濟
社會の混雜を招かんとするは我輩の斷じて許さゞる所なり