「朝鮮沿海の漁業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「朝鮮沿海の漁業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮沿海の漁業

朝鮮由來富源に乏しからず彼國の諺に云へる如く所謂寶床の上に安臥するものにして多年

の懶眠遂に其性を成して毫も進取の志氣を見ず即ち實利擧らず貧弱を極むる所以にして玉

を懷て飢に叫ぶとは彼の人民の實際なり左れば其富源は他國人の力を待て開發の端緒を啓

くの外なきは從來の經驗に徴しても明白なる次第なれば今その富實を謀り併せて我貿易の

進捗を講ずる爲めには鐵道敷設鑛山採掘土地所有等の諸權利を得て日本人を續々其内地に

入り込まして彼等の眼前に於て種々の殖産事業を經營して以て其頑冥を開かしむ可し是れ

ぞ自利利他の最上策にして我輩の毎度勸告する所なれども爰に彼の國の殖産業にして既に

彼我兩國の利益を增進して年々隆盛に趣き尚ほ幾分の改良保護を加ふるに於ては前途更ら

に幾倍の利益を見る可きものあり即ち朝鮮沿海に於ける漁業是れなり

朝鮮の海岸線一千七百餘哩臺灣海峽より來る熱潮と黒龍江より來る寒流とを其向背に受く

る爲め各種の魚介類に富むと雖も彼の人民は古來獣肉を尊重して魚介を食用に供すること

少なく隨て漁業の術も頗る幼稚たるを免れざれども彼等が儀式に用ふる明太魚のみにても

一年の需用高凡そ二百萬圓を下らずと云へば漁業の利益决して侮るべからざるなり抑も我

國が明治十六年朝鮮と通漁規約を結び全羅慶尚江原咸鏡四道の沿海に通漁するの權を得し

以來廣嶋山口大分岡山香川長崎等各縣の漁夫は續々彼の沿海に入込み目下漁船の數三千の

多きに達する其漁船は鱶繩釣鯛繩釣鯛網打タセ網、鯔網及び潜水器械船等にて大抵は全羅

道慶尚道の沿海に出沒するものなるが此他彼國の免許を得ずして遠く朝鮮海上に在るもの

頗る多く總體を合すれば五六千艘以上に及ぶならんと云ふ是等の漁船の収益は調査するに

由なきも免許を得たる漁船のみにて概算を立つれば凡そ三百萬圓に達す可く之に無免許船

の収益を合算すれば凡そ五百萬圓前後ならんとは其道に委しき人の語る處なり斯くの如き

巨額の利益を朝鮮海の一角に於て然かも今日の如き不便極まる規約の下に収め得るとせば

若しも之を保護奬勵して各道の沿海に通達せしめ捕鯨なり明太魚なり若しくは鮭、鰮、鰊

等に從事せしむれば今日に培〓〔草冠+徙〕するの利益を収むること必然なる可し而して

其奬勵の方法に種々の手段ある可けれども我輩は差當り彼國の沿岸に我漁夫の住居するこ

とを許し以て介魚の乾燥鹽藏等を自由にせしむることを望むもの〓〓〓く所に據〓〓〓〓

夫が彼の沿海に於て〓〓〓〓〓困難〓〓〓するは捕獲の不充分なるに非ずして捕獲したる

魚介を始末するの道なきに在り一例を擧ぐれば鱶の如きは濟州嶋附近に於て夥しく捕獲し

得るも之を陸上に揚げて始末すること能はず左りとて之を釜山若しくは長崎に運搬するに

は極めて多くの日子を費やすを以て彼等は唯最も高價なる鰭のみを取りて其他は悉く海中

に委棄するの常なりと云ふ左れば若しも沿岸に住居するの自由を得んには鮮肉を韓人に販

賣するも可なり又これを乾燥鹽藏するも不可なけれども如何せん今日の通漁規約の下に在

りては之を委棄する外又道なきなり又全羅道沿海に於ける鯛漁の如き多きは一日萬を以て

數ふる程の漁獲あるにも拘はらず之を處置するの便頗る窮屈なる爲め徒に韓人の乘ぜら

るゝ處となり遂に踏み倒されて見切賣を爲さゞる可らざるに至り重量五六百匁くらいの鯛

にして一尾一錢乃至一錢五六厘は普通相塲なりと云ふ彼の京城市中に於て尺以上の鯛十錢

乃至十四五錢前後にて得らるゝ所以は之が爲めなりとぞ然るに彼の沿岸に住居の自由を得

るときは之を乾燥若しくは鹽藏して隨て之を販賣するに幾多の餘裕を存するを以て徒に彼

等に踏み倒さるゝの弊なきに至る可し或は韓國の内地にて販賣すること能はざらんか遠く

我國迄輸送し來るも強ち不引合に非ず其他鰊、鰮、海參及び各種の魚介類中適當に乾燥鹽

藏等の處分を施すに於ては遠く之を販賣するの途も開けて自から利益を增進するに至る可

し且つ從來是等の漁夫が食料を得るには一旦歸國するか又は釜山等に赴かざる可らず斯く

ては瞬間を爭ふ漁期に於て徒に日を曠うし収益を減ずること尠からず沿岸住居の自由は是

等の不便と損失とを免かれて利益を增進すること疑ひある可らず政府は速に韓廷に向て此

事を交渉し以て漁業の發達を謀る可きものなり尚ほ事の序に殘りの四道即ち忠清、京畿、

黄海、平安の沿海漁業及び住居權をも享有せんことをも併せて申込む可し是等の各道中忠

清道を除くの外は通漁上敢て有望なる地には非ざるも出漁の都合により是等の沿海に立寄

りて販賣若しくは乾燥鹽藏等を施すこと却て便利を感ずることあればなり