「獨逸はフヰリッピンを取らんとするか」
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本文
獨逸はフヰリッピンを取らんとするか
此頃本社に達したる一報に據れば獨逸政府はフヰリツピン群嶋中に一の根據地を得んと欲
し數隻の軍艦をマニラに派遣し暗に西班牙の政廳に應援の色を示して米艦隊の運動を妨碍
するものゝ如しと云ふ我輩は米國が戰勝の果實を収めてフヰリッピン群嶋を領有し他國を
して其間に乘ずるなからしめんことを希望するものにして此報の全く訛傳ならんことを祈
る者なれども近來獨逸の擧動を見て推測を下すときは自から疑ふ可きものなきに非ず現に
去年の暮清國にて一二の宣敎師の殺害を口實にして莫大なる賠償金を要求して老大政府を
苦しめ首尾よく膠州灣を借入れしと云ふは單に表面の名目のみ其實は之を占領したる者に
して斯くて支那分割の端緒を開きて東洋の危機を切迫せしめ一方には熱心に商賣を擴張し
て英國と競爭、次第に其領分を蠶食し遂には自から代らんと心懸け居るは爭ふ可らざる事
實なり抑も獨逸が所謂三國同盟を形づくり東洋に於て露國の力の足らざるを援け佛國を連
ねて共同の運動を爲し日本が戰勝の結果として支那より収めたる遼東の地を強ひて還付せ
しめたるは單に露の歡心を買ひ佛の疾視を避けて歐洲の氣焔を東洋に轉じ以て國の平和を
維持せんとするの策略のみにあらず我輩の想像を以てすれば〓〓の計る處は更らに一層遠
大にして其目的は東洋の商賣貿易を專にするの一事に外ならず年來の宿望なれども東洋に
は英國と名くる先却の既に其座を占むる者あり獨逸の爲めには恰も目の上の瘤にして最も
邪魔に思ふ所の者なれども英の海軍力は甚だ優勢にして到底企て及ぶ所に非ざる其上にス
エス以東の要害は〓く他の掌中に在りなまなか抵抗を試みるときは所謂毛を吹いて疵を求
むるの類にして全く交通の道を杜絶せられ多年の辛苦一朝水泡に歸せざるを得ず容易に手
出しもならずとて蟲を〓して我慢に我慢しながらも何とかして此競爭者を東洋の市塲外に
驅逐せん方略もがなと肝膽を砕いて工夫の最中胸に浮びたるは露西亞が兼てより東洋に良
港を得んとするの希望を懷くこそ幸ひなれ之を助けて其希望を達せしむるときは露は之を
德として獨逸の後援を諾す可きのみならず從來露英の間には利害の衝突甚だしく所謂兩雄
並び立たず露をして力を東洋に延さしむれば以て英の〓〓〓〓に足る可し而して其露西亞
は〓〓に〓て〓尚ほ半開の〓國にして商工の道未だ内に開かず露英東洋に爭ふて〓〓〓せ
しむる〓〓は〓〓の利は爾から〓〓〓歸せざるを得ず〓〓〓〓するは日本なれども是れ亦
露國とは利害を殊にするものなれば露獨合同して之を壓すること難からずと思案を廻らし
居る其箭先に日清の戰爭終結して日本は遼東の地を取るべしと云ふ是れぞ露の最も嫌ふ所
なれば以て其歡心を買ふの種となす可しとて窃に露に結び露をして佛を誘引せしめ遂に東
洋の平和云々を口實として遼東半嶋の割讓を中止せしめて露國南下の勢を助け日本の膨脹
を抑止して大に三國の威勢を示し以て英國の頂上に打撃を加へ後來の地を成したるも表面
上己れは常に露西亞の影に陰れて巧に英の眼を避くると共に佛に向ては一點の秋波を送り
暗に手を握りて其情を動かし勉めて昔日の怨を忘れしめんとしたる其政略の慇微巧妙なる
轉た感服の至に堪へず此間佛が獨逸の爲めに露を操つられて如何とも爲ること能はずおめ
おめ兩國の後に從て奔走したるは唯氣の毒と評する外なし英國も亦獨逸の巧妙手段に欺か
れて東洋の權衝を傾けられしが近頃遽に心付きて露の南下を防がんとして急に威海衛の占
領を斷行したるは些や人意を強うする者ありと雖も尚ほ獨逸の野心に意を留むる者少く其
政治家の中には遼東干渉の當時を思ひ起して英が三國に加擔せざりしを後悔する旨を公言
するものなきに非ずと云ふ抑も三國同盟して日本を壓したる其張本人は獨逸にして獨逸が
日本を壓したるは即ち英國を排する所以なれば其運動に英國を加ふるは决して獨逸の本願
に非ず其心中には寧ろ英の不承諾を祈りながら陽に合縱を勸めたるは是れぞ即ち巧に人を
欺瞞するの手段にして英國が之に應ぜざりしは我輩の至當と考ふる所なれども若しも當時
英國が之に應ぜざるのみならず寧ろ日本に一臂を添へて三國の忠言無用なりとて大に不可
を鳴らしたらんには三國の同盟は忽ち瓦解すると共に日英の交際はますます親密を致して
東洋の天地は舊に依て靜に支那分割などの沙汰は思ひも寄らず悠々太平を樂みたらんこと
疑を容れず英が一着を此所に過まりて日本を孤立せしめ遂に獨露をして殆んど東洋の平和
を破壞するの擧に出でしめたるは返す返すも殘念なれども今更ら詮方なければ日英共に歸
らむる外なしとして扨獨逸は計略盡く其圖に當りて思ふ存分に露佛を操りて日本を壓し更
らに歩を進めて暗々裡に英國を排斥するの地を爲し無盡藏の支那貿易に獨り十分の利益を
攫取せんとして其恐るゝ所は唯英の爲に覺らるゝあれども名にし負ふジヨン ブル案外遲
鈍にして獨逸流の小刀細工を氣にも懸けざる樣子なれば先づ以て仕合せなりと獨り自ら喜
びしは暫時の間にして世事意の如くならず米西の葛藤〓なく在りてマニラの海戰に米軍の
大捷利となり一擧にして占領したるフヰリッピン群嶋は未だ全く西班牙の主權を離れずと
雖も到底米國の掌握を免かれざる可し西班牙全く破れて米人が群嶋の主人となれば果して
如何に處分す可きや或は英國に賣渡すならんと云ひ或は日本に讓るならんと云ひ風説紛々
たれども竊に世間の模樣を覗へば日本は更らに意なきものゝ如く英國も亦強ひて欲望する
の色なく隅ま叛徒の手を以て獨立するやの噂なきにあらざれども彼等の力果して能く其任
に勝へ得べきや霍かに信ず可らざる所にして假りに之を許すとせば虎視耽々たる一強國の
其間に乘ずるの惧あるは殆んど疑なき所なればマツキンレー氏の心之を喜ばざるも勢米國
は自から進んで永久の屬地と爲すやも圖る可らず是れぞ獨逸に取りて容易ならぬ次第にし
て日英の排斥尚ほ未だ功を奏せざるに新に米國の強敵を加ふるに至らば東洋の事亦知る可
らずと思はるゝ其次第は米人は元來機敏大膽にして商賣に掛けては寸分の抜目なく然かも
新規の學理を應用して機械類を製造するに巧なるは遙に英人の上に出づるの勢あれば東洋
貿易の市塲に在て獨逸の最も懼るゝは米國なる可し然るに其米國人がフヰリッピン嶋を領
して出張所を設けヤンキー一流の筆法を以て盛に商工業を營まんか獨逸の計畫は水泡に歸
して永劫浮む瀬はある可からず同國に取りては容易ならざる次第なりと云ふ可し我輩は前
にも言へる如く未だ全く獨西合體の風説を信ぜざるものなれども上來の觀察果して謬りな
くば或は獨逸の政治家が米國のフヰリッピン占領を妨げんとして如何なる手段を試みるや
も知る可らず若しも斯る成行もあらんには我日本は如何なる態度を執りて其際に處すべき
や大に考ふべき所の問題なり我輩は前日フヰリッピンの事を論じて米國の領有を可とする
の旨を斷言したり萬一獨逸に野心ありて傍より之を妨碍せんとする事もあらんか日米の間
抦として决して之を看過する能はず言論往來に理を盡して米國の爲めに其力を致すは勿論、
次第に據りては獨逸の意に反對するも飽くまでも米國の所思を貫しめざる可らず今や英米
の交際は日々に親密を加えへつゝあり英國も此問題に就ては必ず日本と意見を同すること
ならん是れに就ても我輩は彼の三國同盟に對して更らに日英米三國新同盟の必要を感ずる
の時機到來せんことを豫想するものなり