「行政改革」
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時事新報に掲載された「行政改革」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
行政改革
新政府は今度大に行政を改革する積りにて政務調査委員を任命したるよし新進者の眼を以
て多年藩閥の住み荒したる政府部内を見れば改む可きもの自から多からんと雖も我輩の所
見も以てすれば弊の最も大なるものは官尊民卑にして此宿弊を根治するに非ざれば假令ひ
如何に局課を廢合し又は繁文を省略するも以て人民を滿足せしむるに足らずと云ふ次第は
近年官吏の空威張りも聊か減少して役所の氣風も多少改まりたる所なきに非ざれども多年
の痼疾容易に治するを得ず大〓に於ては殆んど前日に異なる所なし例へば爵位勲章の如き
本來を云へば人の功勞を表彰するの具にして苟も社會を益したる者には官民の差別なく之
を援與して然る可きものなるに實際は則ち然らず功勞表彰の具は却て官民區別の隔壁と爲
り苟も官海に衣食する役人とあれば尊く自力自活する人民なれば卑し凡俗社會に於て自か
ら不快の情なきを得ず凡そ此弊習は官海の全面に普及して殆んど遺漏あることなし例へば
鐵道の如き名は官〓にもせよ實は純然たる商賣にして人を乘せ荷物を運びて賃錢を収むる
ものなれば其營業も一切商賣〓にして苟も〓臭なかる可き筈なるに實際その掛員は役人根
性を脱せず客に接するや横抦にして物を取扱ふにも親切の心なし甞て一紳士が汽車に乘ら
んとして新橋のステーシヨンに至り切符を求めんとしたるに掛員は向の方に何か爲し居る
様子なるにぞコツコツと出札所の邊を叩きて注意を呼び起したるに大喝一聲、此所を何所
と心得るぞと叱したり此所は鐵道の事務所に非ずやと答へしに此鐵道は官の鐵道なるを知
らざるかと云ひしよし斯の如き根性を以て鐵道商賣とは唯驚く可きのみ其得意の客たる人
民に於て不平不愉快なからんと欲するも得べからず鐵道既に斯の如くなれば郡區役所、警
察署等に官臭の紛々たるは固より其所にして或は一寸目上にて濟む可き事にも書面を差出
せと云ひ書面を出せば書式に違ふとか文句が宜しからずとか下らぬ小言を並べて二度も三
度も突返し或は時を限て態々呼び出す可きほどの事もなきに明日何時に出頭す可しと嚴命
して人民の迷惑を顧みざるが如き珍らしからぬことなり曾て或人轉居して届書を差出し其
後程經て何か區役所の證明を要することあり其旨願ひ出でたるに住所番地が違ふとて願書
を却下したり轉居の届は慥に差出したることなれば住所に相違のある可き筈なけれども爭
ふも詮なければ更らに轉居届を差出して漸く用事を濟ましたるに其後區役所より明日何時
當役所に出頭す可しとの呼出状來りしかば何事ならんと定めの時刻に出頭すれば先日差出
したりと云ふ届書は見付かりたれども是れは最早や不用に屬したれば返却するとのことな
り一枚の紙屑を渡すが爲めに態々人を呼び出すとは如何にも馬鹿々々しき話にして時に自
分の手落の爲めに度々人を煩はすは橫着と云ふ可し若しも其反古は是非とも本人に返へさ
ねばならぬものならば嚴重に時日を限らずとも序の時に來て呉れろと云ふか若しくは呼出
状を送る手間にて之を本人の宅に届けて可なり無用の事に有用の時間を費す是れぞ所謂役
所風にして畢竟するに人民を輕蔑して其迷惑を顧みざるの罪なり既に自から高ぶつて人民
を輕ずれば又隨て事務の澁滯を免かる可らず役所は本來人民の便利を達するが爲めに設け
られたるものにして官吏は詰り其奉公人たるに過ぎざることなれば何は兎もあれ人民の迷
惑せざるやう取計はざる可らずとの念慮ありてこそ始めて仕事にも出精することなれども
主客顛倒、恰も恩を施すが如き心得を以て事に當れば怠らざらんと欲するも得べからず今
日の仕事を明日に延ばし一時間にて出來る用事に一日を費すは自然の勢なり例へば民間の
銀行會社にては年中おつ通しに終日執務するに反して何の謂れにや役所にては半ドンと稱
して毎土曜日には半日しか働かず暑中に至れば毎日半ドンにして年末年始等にも休日多し
以て其執務の悠々閑々たるを察するに足る可し全體の氣風斯の如くなるが上に上流の役人
輩は殿樣流を氣取て何事も自から辨せず大臣が次官に命ずれば次官は局長に委し局長が課
長に云ひ付ければ課長は屬官に託すると云ふ始末にて實際仕事するものは只下級の輩のみ
即ち屬僚政治の稱ある所以にして中には大に働く者もあれども概して上官は殆んど盲判を
押すの器械と云ふも可なり是に於てか官吏は役所に充滿すれども事務は進捗らず一日にて
濟む可き仕事に五日も十日も掛ることなり苟も官海の内情を知る者は今の人員を半減し若
しくは三分の一に節約するも眞面目に働きさへすれば事務に差支なしと云はざるはなし是
れも畢竟官尊民卑、人民は汗を流して働くも官吏は自から特別の人種にして左程齷齪勉強
するの要なしと思ふが故のみ新政府果して行政を改革せんと欲するか繁文縟禮固より除か
ざる可らず局課の廢合亦或は必要ならんと雖も官尊民卑の弊風を一掃するは第一の急務な
り假令ひ規則は今日のまゝにても官海の氣風さへ根本より改まりて萬事活發簡易を旨とす
るに至れば自から規則を活用するの道もある可く人民の不便不愉快は大に減ずると共に冗
官贅費を省くも容易なる可し人を節して事務を敏活にするは行政の要なり此點より見るも
人を更ふるは目下の急務にして斷じて行はざる可らず官廳の廢合は規則を以て定む可し規
則は筆以て書くこと容易なりと雖も全體の氣風を一變するには新人物を入れざるを得ず多
年の風習は一朝にして脱す可らず如何に内閣が嚴命を下すも舊官吏を此まゝにして面目一
新の難きは猶ほ酒客をして禁酒せしむるの難きが如し政府部内にも飮酒を好まざるものも
ある可し此輩は更らに採用するも不可なしとして兎も角も此際大更迭を行ひ根柢より一新
の實を擧げんこと我輩の呉々も希望するものなり