「公債賣出しの方法」
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時事新報に掲載された「公債賣出しの方法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
公債賣出しの方法
一昨年來引續て騰貴したる内國の諸物價が昨今に至りて多少下落の傾を呈したるを見て遠
からず經濟社會は從來の變態を恢復するを得べしと考ふる者あるが如くなれども實は非常
の速斷にして貿易上に輸入超過の勢、尚ほ其跡を収めず償金回収の都合に依りて何時正貨
の流出を招くやも計り難き塲合に物價が多少下落したればとて直に金融の緩和を望み金利
の下落を期す可らず眞に經濟社會が常態に復するは物價の下落が貿易上の影響を及ぼして
輸出超過の實を収めたる時にして昨今の如く内國主要の輸出品が盡く物價騰貴の餘響を受
けて生産費を增加したる爲めに著しく外國市塲の需要を減じて輸出高に意外の減少を來し
いよいよ輸入超過を激成するが如き塲合は未だ貿易上に平均を見るの時に非ざる可し即ち
今春來日本銀行の公債買入れの爲めに諸銀行は所有の公債價格を增して意外の利益を受け
たるにも拘はらず金融は依然逼迫して毫も事業家に公債買入れの効能を及ぼさゞる所以に
して貿易上の趨勢にして改まらざる以上は决して金融の緩和を望む能はずと斷言して差支
なきが如く果して金融市塲の前途にして斯の如くなりとすれば政府は如何にして公債募集
の目的を達して三十二年度以後の歳計に於て臨時費を支辨せんとするや假令ひ政府が本年
中に國庫に所有する銀塊を處分し終りて其賣却代金を償金に繰入るゝも償金の殘額は四千
萬圓内外に過ぎず若しも明年度の歳計に意外の不足を生じて償金の一部を普通歳入に繰入
るゝ他の一方には内國債募集の道を得ずして償金を以て之を繰替へんには直に財源に不足
を訴へざるを得ず目下の財政にして斯る窮状に陷れりとすれば明年度の歳計を維持するに
當て政府が所有の公債を海外に賣出すの必要あるは甚だ明白にして當局者に於ても既に此
邊の覺悟あるが如くなれども賣出しの方法に就ては大に注意を要するものあり前内閣は公
債條例を改正し外國に賣出す公債の元利金は一切外國貨幣を以て算出することゝして賣出
しの塲合に充分の信用を収めんと企てたり外國資本家の間に我國の實情を知らずして金貨
本位の維持に就て疑念を懷く者も少なからざる由なれば斯る改正も自から必要なる可けれ
ども我輩の所見を以てすれば政府が所謂割引發行法を用ひ公債の利子を低くして額面以下
に賣出さんには五分の公債を額面以上の相塲にて賣出す塲合に比して利益を収むること少
なからずと考ふる者なり其次第を述べんに例へば倫敦市塲に於て我國の信用を以てすれば
三分半利付の公債を額面にて賣出すを得るの見込、立たんには利子を三分とし額面以下の
相塲にて賣出す可し之を買入るゝ者の方より見れば何時抽籤に依て額面の償還を受くるや
も計り難きを以て自から其間に投機心を促して價格は額面近くまで騰貴し利率に比して割
高の相塲を保つを得る其反對に五分の利子を付して額面以上に賣らんとすれば直に額面に
て償還せらるゝの危險あるを以て利子の高き割合に相塲の騰貴を見ざる可し外國の政府が
公債募集の塲合に明に實驗する所にして著名の一例を擧ぐれば佛蘭西政府は千八百五十四
年クライミヤ戰爭の頃、利率を異にして二種の公債を發行したり當時四分半利付は九十二
法の價格にして此相塲より割出さんには三分利付の分は六十法内外の價格に止まる可き筈
なるに實際は六十五法に騰貴したりと云ふ割引發行の利益ある證據にして資本家の投機心
を促さんには斯る好結果を収むるは决して難事と云ふ可らず或は當局者の間には償還期限
を永くして外國資本家の信用を買ふ可しとの説ある由なれども是れは割引法の便利を知ら
ざるより出でたるものにして我國の如き今後利子下落の望ある國抦に於て永く高利の仕拂
を約束するが如きは策の得たるものに非ず我輩が當局者の注意を促す所以なり