「政黨内閣の試驗石」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政黨内閣の試驗石」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政黨内閣の試驗石

官吏任用令は斷じて變改せざる可らず我輩の更らに改めて勸告する所なり抑も今の任用法

なるものは往時藩閥政府が全盛得意の時代に專ら政府人を以て自家の地位を固むるの精神

より出でたるものにして當初の規定に於ては高等官たるの特權をば官立大學の卒業生に限

り全く私立學校を排斥したるを見て其精神を知るに足る可し官私を區別して政府の門を開

閉するは恰も宮門の出入に位階の有無を問ふが如し宮庭は自から雲上の事にして漫に近づ

く可らず無位無官の輩の出入を誰何するも差支なけれども國民の公役を執る可き政府の當

局者が自から雲上化し官立學校の卒業と名くる一種の位階を所持せざれば其門に入るを許

さずと云ふに至りては恰も政府を私有するものにして沙汰の限りと云はざるを得ず藩閥政

府が天下の人心を失ひたるは畢竟この邊の擧動に原因するものにして因縁明白なりと云ふ

可し或は現行令は當初の規定を改正して官私の區別を撤し一樣平等に試驗の門を開きたる

ものなれば敢て差支ある可らずなど云はんかなれども其成立の精神にして既に斯くの如し

とすれば民黨政府たるものに於ては藩閥の遺物として第一に破壞す可きのみならず新政の

實際に徴して是非とも破壞の必要を認めざるを得ず我輩の敢て勸告する其次第を述べんに

抑も高等官たるに任用令に定めたる資格を必要として試驗の法を設けたるは其資格を具ふ

る者に非ざれば高等官たるに適せずと認めたることならんと雖も實際に果して其資格を要

するや否やと云ふに我輩に於ては毫も必要を認めざる者なり凡そ人間の伎倆は單に一塲の

試驗を以て知る可きに非ず試驗に及第して官吏たるもの必ずしも有用の器に非ざると同時

に落第したるもの决して無用の材に非ず屬官雇の如き所謂刀筆の吏ならんには算筆の藝を

試みて之を取るも差支なけれども高等官として算筆以外に精神の働きを要する人物の採否

を單に試驗に訴ふるは决して事の當を得たるものに非ざるなり試に事實に就て之を證せん

に現政府にて新任の勅任參事官又は局長の如き若しも之を採るに試驗を以てしたらんには

及第孰れとも知る可らざるのみか恐らくは落第を免かれざりしことならん資格に於ては則

ち然りと雖も其人々の伎倆を見れば實際の事に當りて毫も差支なきに非ずや單に參事官局

長のみならず現任大臣の如き試驗の及第は孰れも覺束なき人物のみなれども國務料理の責

を〓すの一段に至りては何人も之に任じて異議を唱ふるものなし單に試驗の及落を以て資

格を云々するの無稽なるを知る可し我輩が任用〓に重きを置かざる所以なれども更らに一

歩を進めて差當り其破壞を主張するの理由は外ならず政府の革新に就て是非とも斷行の必

要あればなり思ふに今回の政變は單に内閣の更迭に非ず即ち藩閥政府は政黨内閣に變じた

るものにして政府全體根本的の大變革と認めざるを得ず内閣の更迭に閣員の總辭職は施政

一新の爲めに實際の必要とあれば今回の如き政府全體の大變革に處し部内の大更迭は勿論

にして若しも其决斷を敢てせざるに於ては革新の功は到底見る可らず從來の官吏は多年事

務に熟練して屬僚としては適當の輩も多かる可し或は此一點よりすれば不慣れの新人物を

用ふるに比して便利もあらんなれども我輩の所見に於ては其智愚賢不肖に拘らず舊政府の

輩とあれば一旦は悉く免黜して部内の空氣を新にせざる可らず敢て其人を惡むに非ず斯く

の如くせざれば决して舊習の一洗を望む可らざればなり世間の諺に新主人舊家老の譬あり

實際には舊家老甚だ柔順にして却て新主人の便利もあらんかなれども其輩の柔順は只是れ

免職を恐るゝが爲めにして唯々諾々新主人の命惟れ從ふのみ决して賴母しからざるのみか

中には調子を合はせんとして殊更らに過激の改革説などを唱ふるものもある可し王政維新

の當時政府の内にて殊に勤王論を喋々したるものは舊幕出身の輩に多かりしと一般、都て

是れ雇人根性、免職を恐るゝの情にして敢て咎むるに足らざれども若しも新當局者が其雇

人根性に欺かれて依然これを用ふることもあらんには彼等は竊に其與し易きを見て安心を

催ほし次第に種々薩多の事を持出して困難の事情を粧ひ夫れとなしに當局者の决斷を妨る

こと必然にして舊屬僚の輩を此儘に差置きながら行政上の刷新を行はんとするは到底出來

ざる相談なれば何は兎もあれ斷じて免黜せざる可らず素より其人を惡んで之を罰せんとす

るの趣意に非ざれば罷免の上にて實際有用の人物は再び採用す可し或は今日免職して即日

登用するも差支なしとして兎に角に一度は大更迭を行ふて部内を一新し屬僚輩の魂を入替

へしむること必要なり我輩の敢て主張する所にして實際に果して斷行と决して一時に罷免

を行ふに當り扨これに代はる可き新人物は何れの處に求む可きやと云ふに其人物は多々に

して我輩の一手を以て之を供給するに難からざれども茲に至りて第一の差支は任用令の存

在なり斯る大更迭に際し一々試驗を以て人を採るが如き緩慢の沙汰は實際に許す可らず即

ち任用令の如きは改革を妨る第一の原因にこそあれば其破壞は目下の急要と云はざるを得

ず思ふに當局者に於ても必ず破壞の必要を認むることならんなれども更らに顧みて其内情

を察するに目下獵官熱の熾なるは當局者の殆んど困却する處にして若しも任用令を止むる

ときは〓獵官の輩は恰も潮の如く寄來る可し其始末を如何す可きやとて單に此一方より其

廢止に躊躇するの意味もあらんか否な當局者が實際その掛念の為めに廢止を斷ずる能はざ

るの事實は我輩の親しく耳にする所なれども抑も獵官熱の爲めに云々とは何事ぞや幾千幾

萬の獵官者が押寄せ來り門前、市を成して賓客堂に滿つるも當局者たるものは一點、水の

如き心を以て之に接し採る可きものは直に之を採り採る可らざるものは千萬縷々の情實を

述べて哀願するも又は扼腕激語、強迫を逞うするも一言の下に排斥して麾ぎ去らしむ可き

のみ政府の威信は此に於てか見る可きものなり獵官者輩の雜沓〓至を恐れ藩閥の遺物たる

任用令を楯として其蔭に立籠り以て困難を免かれんとするが如きは自家の無力を表するも

のにして醜態と云はざるを得ず斯る無力の當局者には一日も國事を託す可らず速に政黨内

閣の看板を下して自から退くに若かざるなり我輩の取らざる所なれば當局者にして果して

所信を行ふの覺悟あらんには須らく本心に立返り大に勇氣を皷して任用令の廢止を斷行し

部内を改革して舊來の空氣を一新す可し我輩の傍より奬勵する所なり或は斯く論じ來ると

きは官吏の採用に其資格を云々するは全く無用にして任用令の如き永久に廢絶せしむ可き

ものなるやと云はんに决して然らず今後外國との交通ますます頻繁なる可きは無論にして

明年よりいよいよ全國を開放して外國人を雜居せしむ可しと云ふ内外人の關係に付き直接

に事の衝に當るものは政府の官吏にして今後の官吏たるものは大小に論なく必ず外人に接

するの心掛なきを得ず例へば海軍々人の如き海外諸國に往復して外人と交際の必要あるが

故に英語を語るは第一に缺く可らざるの資格なりと云ふ明年以後の官吏は世界の外國人を

内地に引受けて之を管理するの責任を負ふものなれば外國語の必要は無論にして其資格の

第一に置かざるを得ず左れば今後の官吏任用法中の一箇條には必ず英語を解するの規定を

設けざる可らず實際の必要として我輩の認むる所なれども目下の事情は甚だ急にして片時

も現法の存在を許さゞること前述の次第なれば其規定の細目は姑らく他日に讓り何は兎も

あれ一旦は法の根柢より破壞して大に官門を開放し以て大革新の功を収めざる可らず當局

者に果して其勇斷あるや否や我輩は此一事を政黨内閣の試驗石と認め敢て之を試みて其勇

怯を判せんと欲するものなり