「鐵道買収の方法如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道買収の方法如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道買収の方法如何

鐵道官有論に付ては我輩の大に論じたる所にして大體の利害得失は既に明白なれども更ら

に細目に渉りて其方法手段を問はんに所謂鐵道國有なるものは日本國中の鐵道を擧げて一

切官有に移すものなるや否や又其買上の方法は如何にす可きや等未だ公然發表したるもの

なしと雖も推測するに差當り日本鐵道甲武鐵道山陽鐵道九州鐵道の四幹線丈けを買上げん

として其買上の方法は四朱若くは五朱相當即ち純益金の二十五倍若くは二十倍を標準に定

め其額相當の五分利附公債を發行して株券と引換にせんと云ふ者あり果して然らば前記四

鐵道既往三年若しくは五年間の平均純益を見積り五朱相當にて買上るとして其買収價格は

何程なる可きやと云ふに其道に明なる或人の計算に據れば左の如し

日本鐵道は一割又は一割一分を配當したる事ありしも是れは補給金を加算したるものにて

純利益は資本に對して大凡そ年八朱位なり本年三月末日の調(以下傚之)に據るに拂込濟

資本金は四千二百卅六萬圓にて社債二十九萬五千圓合せて四千二百六十五萬五千圓なれば

五朱相當とすれば買収價格は六千八百二十四萬八千圓なり

甲武鐵道は大凡そ一割二分の純益ありとすれば拂込濟資本百七十一萬圓及び借入金十四萬

圓の合算百八十五萬圓に對する買収價格は四百四十四萬圓なり

山陽鐵道は大凡そ八朱五厘とし拂込濟資本千五百六十三萬圓之に社債二百萬圓借入金二十

二萬圓を加へたる千七百八十五萬圓に對する買収價格は三千三十四萬五千圓なり

九州鐵道は大凡そ一割と見て拂込濟資本千九百十五万圓之に社債百八十九萬五千圓の合算

二千百四萬五千圓に對する買収價格は四千二百九萬圓なり

右の計算に據れば以上四鐵道の買収價格は一億四千五百十二萬三千圓なり今これを一億五

千萬圓と假定し此額丈けの五分利付公債を發行するとせば年々國庫の負擔す可き利子は七

百五十萬圓なり政府は買収したる四鐵道を自から經營して果して七百五十萬圓の純益を生

じ得らる可きや否やと云ふに大に疑なきを得ず如何となれば政府の營業に營業費の增加は

實際に免かれざるの數なればなり論より證據は二十九年度の鐵道局年報を見る可し營業費

の營業収入に對する割合は

 官線は四割六分   日本鐵道は四割二分

 甲武鐵道は三割八分 山陽鐵道は四割

 九州鐵道は三割五分

にして建設工事の割合に完全なる官有鐵道が私有鐵道に比して却て營業費の多きを見るは

官業と名くる本來の性質に於て止むを得ざる所なり左れば其營業費を平均四割と假定する

も七百五十萬圓の純益を得んとするには千二百五十萬圓の収入なきを得ず今の私有鐵道を

政府に買上げ自から營業する塲合に至り果して千二百五十萬圓の収入なきを得ず今の私有

鐵道を政府に買上げ自から營業する塲合に至り果して千二百五十萬圓の収入を得るの見込

ある可きやと云ふに實際に甚だ覺束なき其次第は前記四個の鐵道は私有の中にては屈指の

ものなれども之を官線に比するときは線路客車其他の建築構造本來、大に劣る所あるを免

かれざる其上に私有の常態、成る可く配當益を多くせんとしたる結果として其改良修繕を

怠慢に付したるの傾なきに非ざれば一旦政府に引受けて從來の官線同樣一切の設備を整へ

しめ又同樣の働きを爲さしめんとするには其營業費は収入に對して五割乃至六割を要せざ

るを得ず假りに五割とすれば千二百五十萬圓に對し六百二十五萬圓の經費にして純益は六

百二十五萬圓となり六割とすれば七百五十萬圓の經費にして純益は五百萬圓となる可し左

れは營業費六百二十五萬圓を要する塲合には國庫は七百五十萬圓の公債利子を支拂ふ爲め

に差引き年々百二十五萬圓を損し又五百万圓の塲合には年々二百五十萬を損する割合なり

况んや今後の改良擴張を期するときは買上げの後に施政す可きの事業は甚だ多々にして停

車塲の擴張、橋梁の改造、線路の修築、車輛の增加等これが爲めに尚ほ二三千萬の金を要

す可きが故に國庫は年々更らに百萬圓乃至百五十萬圓を損せざるを得ず方今政府の財政不

整理にして歳入歳出相伴はず電信の增設と云ひ軍艦の製造と云ひ砲臺の建築と云ひ焦眉の

急、實際に已むを得ざるものゝ外は一切之を見合せて尚ほ且つ歳入の不足を告げ當局者は

新税源を求むるに苦心惨憺の最中、必要もなき鐵道買収の爲めに年々三百萬圓前後の支出

を爲さんとす如何なる財源より之を辨ず可きや增税の必要は目下の實際に我輩の認むる所

なれども鐵道買収など單に一部の輩を利せんとする恰も一種の投機運動の爲めに增税とあ

れば國民たるものは一錢一厘たりとも負擔を肯んず可きに非ず此一段に至りて論者の成算

果して如何、我輩の聞かんと欲する所なり

東京市の電氣鐵道

東京市に於ける市街鐵道の問題は數年の久しきに渉りて未だ决せず市内の交通機關は單に

現在の馬車鐵道及び彼のガラクタ馬車あるのみにして甚だ不便に堪へず人口二百萬面積四

里四方と稱して世界屈指の大都會なる東京市にして交通機關の不完全かくの如しとは若し

も外國人をして聞かしめたらば其住民は如何にして日々生活の用便を爲しつゝあるや殆ん

ど了解に苦しむことならん否な實際に吾々市民は交通不便の爲めに非常の損害を蒙りつゝ

あるものなり即ち市民の中に電氣鐵道敷設の計畫ある所以にして當局者に於て速に之を許

可したらんには工事疾くに落成して今頃は盛に營業を見る可き筈なりしに今日に至りても

未だ决せざる其次第を如何と云ふに第一に市内の交通機關は之を市有として市にて營業す

可きや將た私立の事業として人民に許す可きやの問題に付き東京市會などにては市有の説

を唱ふるもの少なからず又その敷設法にしても種々の説を生じて或は近來は更らに空氣壓

搾の式を用ふ可しなど云ふものもあるよしなれども現に外國の實驗に徴するに市内の交通

機關は電氣鐵道を最も便利とし近來の施設は殆んど之に限るの例にして空氣壓搾鐵道の如

き今日の處にては單に學者の新發明にして實際の成蹟充分明ならず左れば東京の市街鐵道

も外國普通の例に傚ふ可きこと勿論にして此點にては其道の技術家をして實地に調査せし

めたらば直に决すること難からざる可し素人の喙を容る可き事に非ずとして扨市有私立の

問題に至りては我輩に於ては孰れにしても差支なし只市民の便利の爲めに一日も早く事の

實行を希望して止まざるものなれども東京市の實際に市有の營業果して行はる可きや否や

と云ふに到底覺束なしと斷言せざるを得ず現に米國などにても市有鐵道の弊害を云々して

之を攻撃するもの甚だ多し他國の例は兎も角もとして目下東京市には施設の急なるもの一

にして足らず第一に市區改正の事業を始めとして水道の工事、下水の開通、道路橋梁の始

末など一々數へ來るときは孰れも市の事業として片時も等閑に付す可らざるものにてあり

ながら實際を見れば市區改正の如き何十年の後に成功するや殆んど知る可らず水道は今正

に着手中なれども工事とかく遲引して未だ給水の塲合に至らず道路橋梁の不始末に至りて

は言語道斷只驚くの外なし左れば今回特別市制廢せられて市長公選の事あるを幸に我輩に

於ては小壯活發の人物をして其局に當らしめ目下着手中の事業だけにても兎に角に片を付

けしめんと希望しつゝある程の次第なるに此上、市街の鐵道までも市有として東京市自か

ら營利の業を營まんとするが如き如何にして行はる可きや到底覺束なきは何人も認むる所

なる可し或は市街鐵道の如き他の事業に比して収益尋常ならず之を市有と爲すときは市の

収入に一廉の財源を得るに至る可しとて収入の一點よりして市有を主張する者もあるよし

市街鐵道に収益の多きは現に今の馬車鐵道を見ても知る可し實際の事實なれども單に収入

の目的ならんには寧ろ私立の營業を許したる上その収益の割合に從て市税を課し自から勞

せずして収入を得るこそ得策なれ飽く迄も自から營業するの必要は何くに在るや我輩の認

めざる所なり實際に私立に任ずるときは速に實行を見る其上に市の収入も慥なるに反して

若しもいよいよ市有營業に决せんには如何なる結果を呈す可きやと云ふに第一、營業上に

自から冗費を免かれざるは市有の如き公共事業に免かれざるの弊にして運賃の低廉は實際

に望む可らず世運の進歩に應じて着々改良の實を擧るは是れ亦公共の事業に望む可らず又

市有營業は實際獨占の事を行ふものにして自から腐敗を釀し易きの患あり孰れも公共事業

に伴ふ所の弊害にして米國などに市有鐵道反對論の盛なる所以なれども外國の事を見るま

でもなく今の官有鐵道の有樣に徴して其無稽ならざるを知る可し左れば東京市に於て果し

て其事を行はんとするときは前記の弊害は覺悟の前にして市民をして不便を感ぜしむると

同時に収入の目的は實際に齟齬せざるを得ず不得策申す迄もなきは尚ほ可なれども市自か

ら營利の事業を經營する塲合には其間に種々の情實行はれて或は水道鐵管事件の如き不始

末を釀すこともある可し畢竟人の罪に非ず事業の性質に於て然るものなれども其曉に至り

て事の原因を尋ぬるときは今日市有論を唱へたる其主唱者の不明に歸せざるを得ず當人の

迷惑この上なきことならん况んや實際に於ては目下に施設す可き事業甚だ多々にして市街

鐵道など營利業に着手するの暇ある可らず何人も認むる所なるに漫に市有論など云々して

事を遲滯せしむるは恰も東京市の事を弄ぶものにして眞面目の擧動とは云ふ可らず其輩に

して果して市の公益を謀るの心ならんには速に私立の營業を自由にす可し無理に市有説を

實行して却て他の疑を招くが如きは我輩の取らざる所なり