「增税計畫都て非なり」
このページについて
時事新報に掲載された「增税計畫都て非なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
增税計畫都て非なり
歳入の不足は增税に依て補ふの外ある可らず一時の遣繰算段は我輩の斷じて取らざる所な
りとして扨その方法を如何す可きやと云ふに國家必要の費用を國民に負擔せしむるは政治
上當然の行爲にして別に考を要せざるが如くなれども實際增税を行はんとするには自から
人氣を害せざるの略なきを得ず政治家の注意す可き所のものなり抑も增税とは人民より金
を取ることにして租税は國民の義務とは云ひながら銘々の私情に於て之を喜ぶものはある
可らず否な實際には全く無税こそ望む所にして即ち增税に苦情の多き由縁なれば政治家の
身としては成る可く苦情の少なきものに增して目的を達すること税略の得たるものなれ本
來租税は如何なる種類に取るも其負擔は詰り全國民の間に平均するの結果を見るものにし
て孰れを取るも差支ある可らず既に差支なしとすれば成る可く苦情の多きものを避けて其
少なきものに取る可し強ひて苦情を犯して之を取らんとして果して取り得れば妙なれども
世間の反對の爲めに增税の目的を達する能はざるは毎度の經驗、明白なるにも拘はらず更
らに其失策を繰返さんとするは何事ぞや昨今世上に傳ふる政府の增税計畫なりと云ふを聞
くに砂糖と云ひ煙草と云ひ宅地と云ひ又は所得税と云ひ孰れも選み得て苦情の多きものゝ
みなるを見る可し砂糖税は前號にも論じたる如く日獨條約の規定上、一割以上の關税を課
するを得ず或は輸入の上にて内地の製産品と同率の税率を課するは差支なけれども僅々の
税額を収むる爲めに恰も一種の營業税を課して徒に手數の煩雜を贏ち得るの結果に過ぎざ
るのみ煙草税は漸く葉煙草の專賣法を設けて之を行ふや行はざるに更らに税率を增し或は
法の根抵より改めて其製造賣捌までも政府に引受けんとするが如き他の苦情は兎も角もと
して果して實行の成算あるや否や覺束なきことなる可し宅地税に至りては近年來地價の騰
貴は著しくして現に東京府下の地面の如き前年に比すれば何十倍の高價を呈したるは云ふ
までもなく隨て全國の市街地孰れも價を增さゞるはなし相違もなき事實にして此點よりす
れば宅地税の如き大に增加して差支なけれども實際に事の容易ならざる其次第は宅地を所
有する者の中には法律の心得もあり政論にも喙を容るゝなど所謂口利の輩多くして其勢力
自から侮る可らずいよいよ增税とあらんには苦情の喧しきは必然にして或は政黨の仲間な
どにも反對論の傳染を見ることならん容易に實行の〓きを知る可し又所得税の如きは我輩
の〓度述べたる如く其調査甚だ困難にして恰も人の寢室に踏込み箪笥の引出しまでも探る
に非ざれば眞實の目的を達す可らず財産の秘密を旨とする我國人の習慣に反する税法にし
て增税はおろか寧ろ廢止を希望する所のものなり右の如く計へ來れば增税の計畫は孰れも
苦情の多き税目のみにして若しも斯る税目に對して增率を行ふこともあらんには徴収の手
數甚だ困難にして實際の収入、意の如くならんざる其上に苦情百出、大に世間の反對を招
かざるを得ず骨折損と云ふ可きのみ政府に果して增税の决心あらんには斯る無益の勞は止
めにして專ら酒税を增す可きのみ酒税の增加亦自から苦情を免かる可らずと雖も實際に酒
税は金額の大なる割合に營業者の數、少なきが故に反對の聲も自から低きのみならず酒造
の營業人を見れば各地方にても多くは中以上の社會に位して智慮分別にも乏しからざる人
物なれば漫に不通の苦情を唱ふるの愚を爲すものはある可らず既に增税の免かる可らざる
を覺悟するときは自から其負擔を甘んずる其代りに税源保護の方法に付き政府に向て實行
を望むことならん左れば政府に於ては酒造營業人を以て恰も収税吏と見做して税法其他酒
造業に關する一切の取締法を其手にて起艸せしめ當局者に於ては單に之を修正するに止ま
るの心得を以て增税を行はんには今の税率を二倍し三倍する决して難事に非ず我輩の斷言
する所なり聞く所に據れば政府歳計の不足額は或は四千萬圓と云ひ或は五千萬圓と云ふも
實際は凡そ三千萬圓餘にて濟むの見込なりと云ふ酒税增加の一斷、其不足を補ふて綽々餘
裕ある可し我輩の差當り斷行を望む所なり然らば其他の增税は徹頭徹尾反對なるやと云ふ
に今の歳計の不足三千萬圓餘と云ふも其不足額の年々增加するは必然の成行なれば若しも
酒税のみにていよいよ間に合はざるの塲合に至らば始めて他に及ぼす可きのみ眼前に酒税
と名くる税源を控へながら強ひて世間の苦情を犯して細くの税目を增さんとするが如き我
輩の斷じて取らざる所なり