「支那の政變に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那の政變に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那の政變に就て

支那の政變に就て

今回支那の政變は之を目して老論と少論との衝突と云ふも可なり抑も近來の改革は同國皇

帝が少壯改革派の意見を採用し着々斷行したるの結果にして恰も帝の獨斷に出でたるも

のゝ如し盖し改革の必要は彼國上下の一般に認むる所にして政府中の故老輩と雖も從來の

儘にして飽くまでも舊に安んずるの考はなきことならんなれども其輩の眼を以て皇帝の擧

動を見れば恰も民間處士の議論を聞て直に實行するなど如何にも輕卒至極にして危險の掛

念なきを得ず改革は固より必要なりと雖も何百年來の故例舊慣を改むるには自から固有の

秩序を保て漸次に進まざる可らず單に白面書生の言を容れ年少氣鋭の勢に乘じて斷ずると

きは如何なる極端に趨るやも知る可らず容易ならざる大事にして社稷の爲めには代へ難し

とて遽に今回の政變を見るに至りしものならん聞く所に據れば西太后の如き兼て賢明の聞

えある女性にして改革には最も熱心のよしなれども流石に多年來の經驗も乏しからざるが

故に皇帝の擧動に就ては窃に不安の念を懷き居たることゝて或は故老大臣輩の説に同意し

て自から攝政に决心したるやも知る可らずと云ふ左れば今回の政變に皇帝は恰も幽閉せら

れ改革派の政客は捕縛せられたりと云ふも大局の上より見れば單に皇帝を中心として運動

したる一派の政客を黜けたるまでにして北京政府の政權は必ずしも守舊故老輩の手に落ち

たるに非ず隨て今後衝突を見るの掛念はある可らずなど認むるものもあらんなれども我輩

の所見を以てすれば皇帝の改革説は决して一身の特發に非ず彼國の小壯社會には夙に是種

の説を懷くもの少からず政府故老輩の温和説に滿足せずして建白に新聞に氣焔を吐きつゝ

ある折抦、偶然にも若皇帝の意志に投じ帝の手を借りて實行の端を開きたるのみ即ち其改

革説は所謂少論にして到底政府の老論と相容る可らず盖し改革の一事に就ては双方共に目

的を同うするものなれども民間の少論は只管進むに急にして故老輩より見るときは過激一

偏の空論に類する其反對に政府の老論は兎角舊慣に拘泥して敢斷に乏しきの嫌を免かれず

少論の最も喜ばざる所にして因循姑息と認めざるを得ず革新の時代に際すれば老少兩論の

發動は孰れの國にも免かれざるの數にして衝突又衝突の中には遂に少論の勝利に歸するや

疑ふ可らず故に今回支那に於ては老論、勝を制して皇帝及び一派の政客、勢を失ひたりと

するも國中の少論は决して之が爲めに消滅す可きに非ず寧ろ其反動としてますます勢力を

逞うするに至ること必然なれば支那の爲めに謀れば世界進歩の大勢に徴して事の成行を考

へ成る可く其衝突を小にして國の進歩を妨げざるの一事に注意せざる可らず思ふに政府の

故老輩と雖も既に自から改革の必要を悟りたる上は今回の事件の如き從來の歴史に於ける

革命謀反の騒動などゝ同樣に見る可らず實際には改革の目的を同うしながら只その程度を

殊にするまでの相違にこそあれば之に對するには其急激を懲らし今後の擧動を愼ましむる

を主とし反逆の罪人として嚴刑を以て之に臨み其〓類を絶滅するなどの亡状は斷じて避け

ざる可らず若しも然らず急激に對するに急激を以てし國中の少論は飽くまでも根絶せざる

可らずとて一網打盡すの手段に出づることもあらんか一時或は目的を達することある可し

と雖も既に其端を開きたる小壯の改革論は决して政府の威力の爲めに跡を絶つ可きに非ず

ますます反動の勢を呈し更らに一轉して眞正の急激論と爲り飽くまでも政府に反抗する其

成行は殆んど想像外のものある可し從前の時勢ならんには單に國内の騒動、政府の顛覆を

見るのみにて止む可しと雖も今日は决して然らず若しも双方の爭、いよいよ過激に渉り遂

に力を以て相鬪ふに至り勝敗容易に决せずして恰も無政府の有樣を現はすときは自から外

國干渉の端を開かざるを得ず我國王政維新の騒動にも外國人の中には竊に其間に周旋して

勢力を逞うせんとしたるものなきに非ず幸にして事の早く定まりたるが爲めに干渉の實を

見るに至らざりしかども支那今日の有樣に於て一たび外國干渉の端を開くときは恰も今の

朝鮮と同樣の觀を呈して獨立の實を失ふの恐れなきに非ず大に警しむ可き所なれば此一段

に至りては在朝在野老論少論の別に拘はらず苟も支那國民たらんものは第一に自國の獨立

を眼中に置き互に相恕し相容れて衝突の災を避け穩に改革の目的を達するに勉めんこと切

に希望に堪へざるなり

終りに臨んで我國の支那に對する方針は如何と云ふに其改進々歩を望むの情は固より切な

れども彼の主義の變化の爲めに此方の擧動を殊にするが如き斷じて爲さゞる所なり其方針

は始終渝らずして若しも老論家が局に當りて實際改革に躊躇することもあらんには利害を

説て之を促し又少論家が勢を得て漫に急激の變化を企つるときは須らく其輕擧を警む可き

のみ日本人は只隣國の平和進歩を希望するものにして其國内の小變化の如き毫も意に介せ

ず飽くまでも其政府を友として共に文明の事を與にせんとするものなり

憲政黨の長短

政府部内の折合、兎角に妙ならず動もすれば軋轢せんとするの色あるが中に近頃世人をし

て聊か案外の思ひを爲さしめたる一事は彼の豫算問題なり從來豫算の編成に付ては各省思

ひ思ひに經費を要求して大藏省は其始末に困却し交渉又交渉閣議又閣議、議論百出して事、

容易に定まらざるの例なるに今回は意外にも平穩にして格別の押問題もなく只二三度の相

談にて無造作に結了し殊に陸海軍との交渉の如き餘程面倒なる可しとの世評もありしこと

なれども是れもスラスラと進行して直に纏まりしは政府方の得意とする所なる可し盖し從

來の政府には各省割據の弊あり各大臣は一錢にても主務省の經費を增さんとして殆んど國

家の經濟如何を顧みず競ふて多額の錢を要求して恰も國庫金分取りの姿を呈したることな

れども新内閣員は然らず割據の弊は尚ほ免れざるまでも各々大體に着目して初めより無理

なる注文を提出せず事業の緩急、國庫の都合を察して專ら調和を計りしが爲め右の如き結

果を生じたるなりと云ふ果して然らんには當局者の間に協同和合の精神あるは明白にして

時に爭論することあるも此精神をさへ失はざれば以て大破裂を免る可し民黨政府の爲めに

賀す可きことなれども別に一つの困難は黨と政府との關係なり元來政黨内閣に於ては黨議

即ち閣議、閣議即ち黨議にして其間に差別ある可らず若しも内閣は内閣、政黨は政黨なり

とて閣議の外に黨議を定めて強ひて當局者を掣肘するが如きことあらば恰も二箇の政府を

立つるものにして到底政黨政治の美を望む可らず然るに黨員昨今の擧動を察すれば敢て政

府を他人視して少しも信用せず或は黨議と稱して公然改革を迫り若しくは別に團體を組織

して言責實行を促すなど如何にも餘所餘所しきのみならず中には放言漫語當局者の無能を

詈り若しくは其政策を非難する者さへなきに非ず機關新聞の如きも名こそ機關なれ實は敵

か味方か殆んと分らざるほどの次第にして仲間同士が互に論爭することなるのみならず時

としては政府の計畫を攻撃することあり特に甚だしきは官吏を任用するに政黨員が傍より

容喙するが如き奇談中の奇談なり盖し過般以來新に登用したる人物中に面白からざる者あ

りて世間の評判よろしからざるより斯くは黨の干渉を招くに至りしことならんなれども役

人の任免すら自由にすること能はざる樣にては大臣は恰も木偶視せらるゝものにして迚も

活發なる運動は望む可らず固より大臣の擧動悉く是なるに非ず心得違も多かる可しと雖も

之を防ぐには自から法あり表の玄關より公然怒鳴込むが如き如何にも不體裁にして世間に

は爲めに疑惑を抱くもの多かる可きのみならず黨員と閣員との交情を害して遂には双方の

不利益を招くことある可し兎に角に黨中の有力者を推して内閣を組織せしめたる上は例の

兄公女公が嫁を苦むるが如く傍より口喧しく小言を云はず相當に信任して思ふ存分に手腕

を振はしめんこと我輩の敢て忠告する所なり