平成30年度日本思想史B試験問題

last updated: 2019-02-10

このテキストについて

平山氏の依頼により2019年2月8日に静岡県立大学国際関係学部で実施され た 「日本思想史B」の試験問題をアップします。

日本思想史B期末試験問題

2019年02月08日実施

設問Ⅰ

下の文章はテレビドラマ「坂の上の雲」冒頭のナレーションである。このナレーションと福沢諭吉の思想との関係をナレーションの一部を適宜引用しつつ述べなさい。なお引用部には下線を引くこと。(30点)

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。財政が成り立つはずは無い。が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は伊予の松山に、三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。

設問Ⅱ

大正時代から昭和時代にかけての日本の思想の流れを、講義で用いた映像の内容に適宜言及しつつ説明せよ。ただし次の5つの用語「丸山真男」「サラリーマン」「民本主義」「治安維持法」「一九四〇年体制」を必ず用いること(使用にあたっては下線を引く)。(30点)

参考 講義で用いた映像のタイトル : 「狂った一頁」(1926)、「朝日は輝く」(1929)、「学生ロマンス」(1929)、「大学は出たけれど」(1929)、「西部戦線異状なし」(1930)、「落第はしたけれど」(1931)、「淑女とヒゲ」(1931)、「生まれてはみたけれど」(1932)、「意志の勝利(ヒトラーの演説)」(1934)、「となりの八重ちゃん」(1934)、「1936年夏のベルリン」(1936)、「ありがとうさん」(1936)、「奥様に知らすべからず」(1937)、「風の女王」(1938)、「鴛鴦歌合戦」(1939)、「秀子の応援団長」(1940)、「独裁者」(1940)、「愉しきかな人生」(1944)、「陸軍」(1944)、「日本ニュース」(1945)、「そよかぜ」(1945)、「雲流るる果てに」(1953)、「巨人と玩具」(1958)  映像タイトルは全部使う必要はない