『「福沢諭吉」とは誰か』について
このテキストについて
平山洋氏から新著書出版の案内がありました。平山氏の許可 のもとアップロード します。
書誌情報
平山 洋(静岡県立大学国際関係学部助教)著
MINERVA 歴史・文化ライブラリー 32
『「福沢諭吉」とは誰か――先祖考から社説真偽判定まで』
- ISBN9784623080694
- 4-6・270ページ
- 予価本体3,500円+税
- ミネルヴァ書房
- 2017年11月刊行予定
- 「福沢諭吉」とは誰か - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社
- 「福沢諭吉」とは誰か:先祖考から社説真偽判定まで (MINERVA歴史・文化ライブラリー) | 平山 洋 |本 | 通販 | Amazon
- 「福沢諭吉」とは誰か / 平山 洋【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
目次
はじめに 第一章 福沢諭吉先祖考 1 天保五年夏、福沢百助自家の系図を作成する 2 福沢家系図の概略 3 飯田家系図の提供 4 人物データを整理する 5 福沢家飯田家統合家系図の作成 6 小笠原家分限帳による飯田古右衛門と福沢兵助に関する調査 7 在中津史料による小笠原家改易までの調査 8 初代小笠原長次 9 二代小笠原長勝 10 三代小笠原長胤 11 地獄浜 12 荒瀬井路 13 今一つの問題、信州福沢の所在 14 小平雪人による茅野福沢説の論証 15 天正10年、善徳入道と太郎左衛門、武田家に殉ず 16 では信州福沢とはどこのことなのか 17 信州福沢11カ所めぐり 18 信濃国福沢についての暫定的結論 第二章 『西洋事情』の衝撃と日本人——赤松「口上書」・龍馬「八策」・天皇「誓文」・覚馬「管見」等へ与えた影響 1 赤松小三郎「口上書」は『西洋事情』の日本化 2 嵯峨根良吉「時勢改正」は赤松「口上書」と同一 3 坂本龍馬「船中八策」は偽文書 4 坂本龍馬「新政府綱領八策」は『西洋事情』の抜粋 5 明治天皇「五箇条の誓文」は『西洋事情』の換骨奪胎 6 山本覚馬「書付」は赤松との協同を示唆する 7 太政官「政体書」は『西洋事情』の復古的解釈 8 山本覚馬「管見」は『西洋事情』への応答 9 『西洋事情』の衝撃 第三章 福沢諭吉の「脱亜論」と〈アジア蔑視〉観 1 『時事新報』社説としての「脱亜論」 2 「脱亜論」を書いたのは誰か 3 「脱亜論」批判の不当性 4 「脱亜論」は朝鮮の甲申政変後の情勢を前提に書かれている 5 支那人・朝鮮人とは誰か 6 批判と蔑視の違い 7 「脱亜論」はアジア蔑視ではなく、清国・朝鮮両政府批判である 第四章 福沢諭吉と慰安婦 1 福沢は天皇に娼婦の出稼ぎの指示を与えたか 2 全集への収録状況と文体の判定 3 『福翁百話』と『福澤先生浮世談』での娼婦出稼論 4 慰安婦問題と娼婦出稼論 第五章 武士道・ビジネスマインド・愛国心——福沢諭吉と大西祝の場合 1 福沢と大西における人格と良心 2 福沢と大西にとっての人格 3 福沢と大西にとっての良心 4 福沢と大西にとっての武士道・ビジネスマインド・愛国心 5 福沢と大西の共通点と相違点 第六章 福沢署名著作の原型について 1 『時事新報』社説はいかにして刊行されたか 2 長編論説と原型の関係 3 明治15年刊行の著作 4 明治16年・明治17年刊行の著作 5 明治18年・明治19年刊行の著作 6 明治21年刊行の著作 7 明治25年・明治26年刊行の著作 8 発見された新事実 9 本章の研究史上の意義 文献目録 おわりに——『時事新報』社説研究の現状と安川平山論争の帰趨について 福沢諭吉演説一覧 事項索引 人名索引
書評等
2018-10-06 | いいね!信州スゴヂカラ » 福澤諭吉のルーツは信州だった!(10月6日 土曜 午前11時) |
---|---|
2018-09-10 | 可哀そうな赤松小三郎をご存知?: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2018-08-03 | 福沢諭吉はお風呂屋(銭湯)を経営していた! | 川崎・矢向 縄文天然温泉「志楽の湯」 |
2018-06-01 | 21世紀の客観的な福沢像を示す 平山洋さん「『福沢諭吉』とは誰か―先祖考から社説真偽判定まで」|好書好日 |
2018-03-10 | 出版ニュース2018年3月中旬号インデックス ブックガイド |
2018-02-27 | 福沢諭吉の「娼婦輸出」論(1896年1月) 日清戦争(1894-95年)後、日本は台湾を領有し、朝鮮を事実上の「保護国」とした。国民の海外「進出」熱は、いっそうあおられ、軍隊も「外地」へと出ていった。 ( 歴史 ) - 情報収集中&放電中 - Yahoo!ブログ |
2018-02-24 | 西郷隆盛、緻密にして大胆な戦略 : 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2018-02-08 | 「新政府綱領八策」と『西洋事情』初編: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2018-02-07 | 「船中八策」は偽文書とする研究: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2018-02-06 | 盟主○○○と「他見を憚る」理由: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2018-01-24 | 伝統・科学・世界を知りマネジメントに活かす 福沢諭吉の「脱亜論」とアジア蔑視観/平山洋 |
2018-01-14 | 平山洋氏著『「福沢諭吉」とは誰か 先祖考から社説真偽判定まで』14日朝日新聞・「著者に会いたい」欄 | 知的漫遊紀行 - 楽天ブログ |
2017-12-23 | 平山洋 『「福沢諭吉」とは誰か 先祖考から社説真偽判定まで』 - 書籍之海 漂流記 |
2017-12-15 | [書評] 「福沢諭吉」とは誰か(平山洋): 極東ブログ |
2017-11-21 | 『西洋事情』の衝撃<等々力短信 第1101号 2017.11.25.>: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二 |
2016-05-10 | 帝国の功罪(17)【ていこくのこうざい(じゅうなな)】 | 現代用語のクソ知識2018 @ 非 有吉弘行 |
はじめに
本書は「福沢諭吉」とは誰か、について探究した全六章からなる論文集である。誰か、というのは曖昧な物言いではあるが、第二次世界大戦の終結以来議論されてきた、福沢の本質は市民的自由主義者なのか、それとも侵略的絶対主義者なのか、という問題を簡潔に示す言葉として使うことにした。名前にかぎ括弧が付されているのは、人物の規定に関する事態を取り扱っているからである。
全六章の配列は、おおむね各章が扱っている年代の順である。
すなわち第一章「福沢諭吉先祖考」は、諭吉の先祖はどこから来てどのような生活を営んでいたのかを探っていて、記述の上限は一七世紀初頭、下限は天保五年(一八三四)である。本章は伝記『福澤諭吉』を準備していた平成一七年(二〇〇五)三月に最初に構想されたが、本格的に調べ始めたのは平成二三年(二〇一一)一二月になってからである。平成二五年三月の実地調査終了後、同年五月に電子書籍(アマゾン・ダイレクト・パブリッシング)として刊行された。なお、本論文集収録に際して構成と節名に変更がある。
幕末最大のベストセラー『西洋事情』が幕末明治維新期の政治改革へ与えた影響について調査した第二章「『西洋事情』の衝撃と日本人」は、慶應二年(一八六六)から明治元年(一八六八)までが対象年代である。現在読み難くなっている軍学者赤松小三郎の「口上書」や同じく山本覚馬の「管見」などの史料を全文収録している。本章は、平成二五年(二〇一三)の五月から六月にかけて執筆され、同年六月に電子書籍化された。
しばしば福沢のアジア蔑視や侵略論として誤解されがちな『時事新報』社説「脱亜論」や「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」が扱われている第三章「福沢諭吉の「脱亜論」と<アジア蔑視>観」の年代は、朝鮮独立党が起こしたクーデタ甲申政変の翌年となる明治一八年(一八八五)である。本章は、すでに他の書籍に収録されている論文「福沢諭吉の西洋理解と「脱亜論」」(二〇〇二年)や「「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の六条件」(二〇〇六年)と一部重なっている。平成二五年四月に執筆され、直後に電子書籍として刊行された。また初出では「です・ます」調であったものを、他の章と合わせるために「である」調に改めてある。
第四章「福沢諭吉と慰安婦」は近年問題化しているネット・デマを扱っている。直接対象とされているのは明治二九年(一八九六)発表の社説「人民の移住と娼婦の出稼」であるが、それまでに明治八年(一八七五)の『文明論之概略』以降の著作も引用されている。主に無署名社説を用いて、福沢へのネガティブ・キャンペーンがいかにして広められたかを調査した本章は、平成二五年五月に執筆され、直後に電子書籍として刊行された。
人格と良心、そして善心を鍵概念に福沢と大西祝の思想を比較した第五章「武士道・ビジネスマインド・愛国心」が扱っているのは、主として『文明論之概略』後の著作である。福沢の子世代に相当する大西は、福沢を代表とする明治前期の啓蒙主義と新渡戸稲造ら明治教養主義を繋ぐ架け橋の役割を果たした。それを明らかにする本章は、平成二六年六月に青山学院大学で開催された日本ピューリタニズム学会でのシンポジウム発表をもとに執筆され、翌年三月刊行の『ピューリタニズム研究』第九号に掲載された。
福沢の署名著作と原型となる『時事新報』社説の関係を追った第六章「福沢書名著作の原型について」では、明治一五年(一八八二)から明治二六年(一八九三)までの著作が扱われている。そこで明らかになったのは、大正版『全集』・昭和版『続全集』の編纂者だった弟子の石河幹明は、署名著作の原型となった社説の大半を全集未収録としていたことである。本章は平成二七年三月に執筆され、同年一〇月に日本思想史学会誌『日本思想史学』第四七号に掲載された。また平成二八年一二月刊行の福澤諭吉協会編『福澤諭吉年鑑』第四三号に再録されている。
以上が本書の構成であるが、収録にあたり初出にあった誤植の修正のほか「本論文」を「本章」とするなど、最小限の手直しにとどめている。
平成一六年(二〇〇四)に拙著『福沢諭吉の真実』(文春新書)が刊行されるまで、福沢諭吉とは誰かを説明するには解きがたい困難があると認識されていた。すなわち、現行版『全集』に収録されている無署名社説の範囲があまりに広すぎて、福沢は結局「市民的自由主義者」なのか、それとも「侵略的絶対主義者」なのかについて、いずれにも根拠を与えるものだったのである。『福沢諭吉の真実』と前著『アジア独立論者福沢諭吉』(二〇一二年)によって後者の立場は否定されたのであったが、本書は前者の立場をさらに明確化するべく、多方面からの検討を試みたものである。