「朝鮮の滅亡は其国の大勢に於て免るべからず」
last updated:
2015-03-12
このテキストについて
『福澤諭吉全集 第 10 巻』(岩波書店、1960 年)所収の論説、
「朝鮮の滅亡は其国の大勢に於て免るべからず」(382 頁から 387 頁)
を公開しています。
「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」の掲載により、「時事新報」は一週間の発行停止処分を受けました。
そのため、本論説の掲載は見送られ、草稿のみが残っていたとのことです。
- 段落は、
本来は二段落(弱肉強食とは…から二段落)ですが、
適宜改行しました。
- 『福澤諭吉著作集』の註を参考にし、
参考リンクを適宜挿入しています。このページ下にある註をご覧下さい。
- テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。
本文
第一段落
朝鮮国民のためには其国の滅亡こそ仕合わせなれとの次第は前号の紙上に記したりしが、或人の所見に、斯る腐敗国の人民は到底自国の支配の下に居て栄誉も生命も私有も共に不安心なれば、寧ろ自国の独立云々に迷わずして、西洋諸国露英仏独の別なく、来て国を奪わんとするものあらば素直に之に服従して心身の安全を求め、又随て文明の進歩を謀るべしとは、一応これを聞て至極尤なるに似たれども、其立論余り劇しきに過ぎて人の耳目を驚かすのみならず、実際に於ても大早計と云わざるを得ず。
朝鮮の国、小弱なりと雖ども、土地あり人民あり、其社会の経営宜しきを得るときは富強に達するの道なきに非ず。
苟も文明の真面目を信じて国民相互に力を協せ、自強して進歩を謀るに於ては、独立の事決して難からざるものを、却て自から滅亡を望むが如きは、自暴自棄の罪なりとて異議を立る者あり。
此異議甚だ立派なり。
我輩とても朝鮮人に成り替わりて説を立れば、斯くこそ云うべきなれども、然りと雖ども議論は議論なり、実際は実際なり、或人の議論果たして実際に行わるべきや、我輩の所見にては断じて行われざるものと云わざるを得ず。
或人の言に、社会の経営宜しきを得るときはと云い、国民協力自強と云うが如き、字面の表は甚だ美なれども、都て無形の話にして実際に取留めたることなし。
即ち事物の数と理とに拠らざるの言にして、苟も数理に根本せざる空論には感服するを得ざるなり。
今我輩が実際に朝鮮の事情を述れば、土地の広さも人口の数も大凡日本国の三分二に当り、海陸山河、天然の富源なきに非ざれども、国中に貴族あり士族あり、貴族の豪大なるものは李氏、金氏、鄭氏、朴氏、崔氏、趙氏の六家を始めとして、他の小族も亦甚だ少なからず、其支流末葉より下て士族、中族、郷族の数を共計すれば、蓋し何十万戸或は百万の数に上るべし。
之を朝鮮国の士大夫と称す。
此士大夫なるものは家に恒の産なく身に勤労の手足なし。
又この中より挙げられて政府の官吏と為りたる者にても、俸給の豊あるに非ず。
国中都鄙の別なく所在に人民と雑居して暴威を恣にし、私に他の財を貪り又随て之を虐使して自から生計と為し、殊にその官吏社会には賄賂公行して、法を枉げ法を作ること甚だ易く、苟も国中に利益の営むべきものあれば、一も官吏の私に帰し、二も貴顕の専らにする所と為りて、人民のこれがために疾苦難渋する其有様は、国中無数の豺狼と共に雑居するに異ならず。
例えば士大夫が平民の田園を奪うが如きは誠に尋常一様の事にして、甚しきは店頭に買物の価を直切りて、その命に従わざれば店の主人を捕らえて之を私獄に繋ぐも咎る者なし。
尚甚だしきは平民の妻に容色あるものを掠めて玩弄するも、その夫は唯密に悲しむのみにして訴るに処なしと云う。
乱暴無法も亦既に極端に達したるものにして、我輩の想像にも及ばざる所なり。
朝鮮に有名なる虎の害は稀に暗夜深山に起ることなれども、横目立行の豺狼は青天白日、都邑の間に大害を為して猛虎の比に非ざるなり。
斯る次第なれば年々歳々、人民の手より出る財物は甚だ少なからざれども、其正味の中央政府に入るものは唯僅に王室の私費と政府の常用に供するに足る歟足らざるの間に在るのみ(朝鮮政府歳入の実学三百万円に足らずと云う)。
左れども今この習慣弊風を非なりとして改革を企てんとする歟、在野の貴族士族は勿論、政府に在る無数の官吏も立どころ糊口の生計を失うて餓死するの外あるべからず。
之を要するに朝鮮国を支配して治者の位に在る者は朝鮮国の士大夫にして、其士大夫は朝鮮国の無法に依頼して生計するものなるが故に、国に公平なる政法を施して人民を富まし随て政府の財政を豊にするが如きは治者の欲せざる所なり。
仮令え或は公に之を欲するも私に能わざる所なり。
例えば貴族士族の数の無用に多きはその族中にても之を知ると雖ども、知て之を沙汰せんとすれば自から沙汰せらるるの厄に当るが故に黙して発言するものなし。
政府の官吏多きに過ぎて啻に無用なるのみか却て事務の妨げたることは、官員自から之を明知して往々窃に不平を鳴らす者ありと雖ども、其これを鳴らすや唯窃にするのみにして之を公言するを得ず、如何となれば之を公言して夫子自から災難の局に当るべければなり。
故に貴族なり官員なり、今日新に其数を増すも之を減ずるの端緒を見ず、国の上流に一貴族を生じ一官員を増すは、其下流に一不幸者を生じ一貧民を増すの理にして、有限の国財以て無限の士大夫に奉じ、唯坐して国の滅亡を俟つの外あるべからず、凡そ国の将さに亡びんとするや、其大勢に於て如何ともすべからざるものあり。
後世より亡国の歴史を読むときは甚だ堪え難きものにして、当年の人は何故に斯くも不明なりしや、何故に彼の一策を用いざりしやと、窃に切歯扼腕に堪えざること多しと雖ども、畢竟其人の罪に非ず、名策妙案と知りながらも之を施すべからざるは即ちその時勢の然らしむる所なり。
例えば近く我国の徳川政府の亡びたるも、今日より考れば亡びざるの策もあらん、否な 20 年前、其未だ亡びざるの時に当て亡びざるの策を案じたる者もあらんなれども、その策の行われずして看す看す亡滅したるは何ぞや、即ち所謂如何ともすべからざる時勢なるものなり。
左れば今日の朝鮮に於ても国を維持するの法、固より無きに非ず、巧みに社会を経営して国民協力自強す、即ち維持の妙案なれども、唯議論上に妙なるのみにして、我輩の眼を以て其実際の大勢を視れば、妙案遂に妙功を奏するを得ずして唯滅亡を期するの外あるべからざるなり。
第二段落
弱肉強食とは机上の談に非ず、今の世界に行われて隠れもなき事実なり。
殊に近年欧洲の各国、交通の利器を利用して東洋に其肉を求るの急なるに於ては、朝鮮の如き弱国は到底其独立の体面を全うするを得べからざるは、甚だ以て睹易きの数なり。
古より国交際の言に国力権衡(バランス・ヲフ・パワル)と云うことなり。
是れは本と大国相互の嫉妬心に起るものにして、其一大国が小国を併するは力に於て易きことなれども、去りとては大国をますます強大にして、自然他の大国のために不利なるが故に、敢て当局の小国を愛するには非ざれども、他より之を保護して独り一大国の慾を逞うするを得せしめず、以て小国をして自然に自立の安を得せしむるものにして、小国は大国の力の釣合のために幸に免かるるを得るなり。
之を国力権衡と云う。
世の論者の迂闊なる者は、動もすれば東洋小弱国の保存を謀りて、此一義に依頼せんとするの説あれども、その説甚だ陳腐にして、1880 年代に通用すべきものに非ず。
或は欧洲の内地に於ては尚その慣行の存するものもあらん。
例えば仏国が西班牙(*1)を取らんとし、独国が荷蘭、白耳義を取らんとするが如きあらば、双方より相互に之を拒み、又他の諸大国も黙止せざることならんなれども、畢竟するに欧羅巴の大陸上にては其利害に感ずる所も甚だ敏くして、且その小国人なるものも欧人種の一部分にして、宗教、歴史、文物、人情を共にして、大国小国共に風俗習慣の兄弟なれば、自から之を愛憐するの意味もありて、国力権衡論も往々実行を現わすことありと雖ども、遙に遠方の東洋地方に向て何の遠慮も会釈もあるべきや。
昔年は西洋の諸大国が内に兵力金力の盛なるを有するも、蒸気も電信もなくして交通の不自由なるがために、遠方の地に手を下だすことを難たんじたりと雖ども、今や此故障は既に除去して、東西恰も咫尺の間に接近し、次第に他の内情を視察すれば、赤手以て大利益の取るべきもあり、而して其人種は如何なるものぞと尋れば、人情風俗全く相異にして、
相互に異類視するのみならず、小弱国の人民等は国力の小弱にも拘わらず其心は甚だ驕傲にして、力に於ては西洋の大国を恐るれども、心の中には窃に之を侮るほどの内実なるが故に、大国の眼を以てすれば毫も愛憐の情あることなくして、其人民を虐し其政府を倒すが如きは、禽獣の巣窟を覆すに異ならず。
唯この一段に臨て故障と申すは、諸大国の中にて誰れが先鞭を着けて大利を占るかと、其着鞭の先後と利益の大小とに由て相互に羨むの苦情なれども、是れとても大国の間に互に相談を遂げ、甲が何れの国を取る其代りに乙は何れの地方に着せん、或は甲乙前後に相援けて、事成るの後は平等に其利を配分せんなどと、綿密に計算を定め、徒に巧妙の虚を争わずして利益の実に眼を着するときは、大なる争論の起るべきにも非ず。
之を喩えば西洋人が東洋国を侵略するは、猟師が獲物の利を求るに異ならず。
其猟師等が猟場を争うて相互に白眼合い、双方共に手を出さざる間は先ず以て穏なれども、若しも仲間中に相談行届き、無益の力身を止めにして利の一点に心を寄せ、相互に銃猟の持場を定めて夫れ夫れに着手することあらば、何れの山にも林にも鳥獣の跡を絶つに至るべし。
蓋し猟師が従前其力を逞うせざりしは、鳥獣を憐むが為に非ず、又其猟法の拙なるが為に非ず、唯仲間同士の力身に由りて利を空うしたるものなれども、漸く自から其迂闊を悟りて互に利益を分つの要を発明したればなり。
今や欧洲の諸大国は既に東洋人に対して愛憐の情なく、又其国土を押領して利益あるを知り、又これを押領するには十分の武力あるを自から信じ、又この利益を一大国に専にせんとするよりも、寧ろ之を平等に分配して均しく其利沢に霑うの得策たるを合点したるものなれば、東洋の小弱国にして滅亡の禍を免かれんとするも、殆ど無益の企望なりと云わざるを得ず。
近くは昨年来の事実(*2)を見ても、仏蘭西が支那に対したる挙動は、随分無理にして名義に乏しきものなれども、欧洲の諸大国は支那に左袒して仏を制止せざるのみならず、寧ろ暗々裡には仏を助けて其進退を自由ならしめたるの跡あるが如し。
唯当局の仏人が存外に不手際にして曖昧に事を終りたるのみなれども、是れとても仏蘭西国が欧洲大陸に国するの勢力を軽重するに足らず。
欧洲人の眼を以て此事の始末を見れば、仏人は支那に猟して労して獲る所なかりしと云わるるに過ぎず。
又本年は英人が突然朝鮮海に現れて巨文島を占領したれども、文明の世界中に其無理非道を咎るものとてはなくして、是れは英が露に対して先鞭を着けたるものなりと云い、或は英人は巨文を取りたる其代りに、露人をして自由に済州を占領せしむるならんと云い、眼中既に朝鮮王国なるものなきが如し。
前年、露人が日本の対州を占領せんとしたる時(*3)には、英人が力を尽して之を退去せしめ、其立言の主意は日本帝国の土地を無名に押領するは非なり、万国公法の許さざる所なりなどにて、露人も之に抗するを得ず、英人の言うがままに対馬を棄てたれども、爾後20 年を経て今日となれば、其英人が自から朝鮮王国の土地を無名に押領して、正しく当時露人が日本に仕向けたる無法を働きながら、欧洲の文明人にして之を非難するものなし。
偶まこれあれば、其理非を論ずるには非ずして、之を羨むの情を含むものに過ぎず。
文明の変遷、日に急にして、其東洋に向かうの気勢、復た前年の比に非ざること明に見るべし。
この急変劇動の衡に当りて、内の腐敗は既に極度に達したる朝鮮国が、尚其独立を維持せんとする歟、我輩の如きは到底其説を得ざる者なり。
註
- ♬スペインのこと。
- ♬清仏戦争のこと。なお、『福澤諭吉著作集 第 8 巻』の 279 頁註 1 では、「清仏抗争」と記されています。
- ♬ポサードニク号事件のこと。