「鹿鳴館の夜宴」について
last updated:
2010-11-14
「祝宴」と「夜宴」
以下の引用は、黒岩氏のブログ「古書の森日記 by Hisako」のエントリー:佐瀬得三『続々 当世活人画』(明治33年)のコメント欄からのものです。
なお、引用の際にテキストとリンクを組み合わせる等体裁を変更しました。
「ゆうきり」氏
2007年01月28日 14:20に「ゆうきり」氏が以下のコメントをしました。
時局的思想家福沢諭吉の誕生 ―伝記作家石河幹明の策略: その 3:1 中上川彦次郎時代前期(1882-03/1884-07)の概観←「鹿鳴館の夜宴」について触れられていましたので。(祝宴の誤記のような)
平山氏
2007年02月09日に投稿された平山氏の回答は、以下の通りです。
さて「鹿鳴館の夜宴」についてですが、私が時局的思想家福沢諭吉の誕生 ―伝記作家石河幹明の策略: その 3:1 中上川彦次郎時代前期(1882-03/1884-07)の概観に引用したのは、日本経営史研究所編『中上川彦次郎伝記資料』(東洋経済新報社刊・1969年10月)115頁下段からで、そこにはタイトルとして、
「中上川彦次郎「鹿鳴館の夜宴」(時事新報明治一八年五月六日)」とあります。さっそく時事新報マイクロフィルムで調べたところ、同日には掲載されていませんでした。考えてみれば明治18年5月は内閣官制に移行する前ですので、掲載日はミスプリントであると早く気づくべきでした。
登場人物の肩書きから、明治19・20年のいずれかとあたりをつけて再度調べましたところ、明治20年5月7日雑報欄に、「鹿鳴館の祝宴」というタイトルで、同文が掲載されているのを発見しました。
「祝宴」が正しいということを、ここにお知らせします。