昭和版『続福沢全集』「時事論集例言」
昭和版『続福沢全集』第1巻(1933年05月20日発行)1~2頁所収の「時事論集例言」を公開しています。
『福沢諭吉の真実』では、72頁と74頁に一部の引用が掲載されています。
- 「福澤」を「福沢」と表記しています。
- 「筆政」を「筆致」と表記しています。
以上の点を踏まえ、原則として『福沢諭吉の真実』に掲載されている表記を採用します。 例外として、繰り返し点の不採用等の処理を行うことで読みやすくしました。また、「筆政」(一般的な辞書には掲載されていない言葉ですが、毎日新聞社編集綱領での用法から察するに、「論説内容・執筆の決定権限」の意でしょうか)の表記を採用しました。
本文
福沢先生が「時事新報」に筆を執られたのは、明治十五年三月の創刊以来、同三十一年九月脳溢血の大患に罹らるるまでの十五年間にして、其間先生の手に成った社説は、既に単行本として刊行し「福澤全集」に収めたるもの及び大正十五年再版同全集の「時事論集」中に抄録したるものを除き、総て此集に収録した。 先生は「時事新報」の発刊後以前の如く著書を出されず(単行本として刊行せる諸論説も一旦「時事新報」に提出した上更に刊行したのである)其議論主張は常に「時事新報」の紙上に於て発表せられたから、此十五年間の社説は、其時代に於ける内外大小の問題に対する先生の意見批評を見るべきものにして、明治史の研究に欠くべからざる資料たるはいうに及ばず、しかも当面即時の問題のみならず居家処世経国経世に関する長篇大作も総て此集中に収められてある。
「時事論集」の編纂法は、明治十五年より同三十四年に至るまで年次を逐うて、其一年分を何年篇と名づけ、毎篇、政治外交、財政経済等の各項に分類し、且つ時事に関する先生執筆の「漫言」を篇末に附記した。 而して読者のためには其各年間に展開せる問題事実の大要と「時事新報」がこれに対して意見を述べ批評を下したる理由とを知るの便利なるべきを思い、毎篇の初頭にこれを一括概説した。 概説の文中に「先生」又は「時事新報」と記したのは文勢上用語を異にせるまでで、総て「先生」と解すべきものである。
「時事新報」の社説中には先生が其趣旨を記者に語って起草せしめられたものもあり、又記者の草したる原稿を添削して採用せられたものもあるが、元来先生の筆政は極めて厳密にして、文字は勿論その論旨までも自身の意に適するまで改竄補正を施し、殆ど原文の形を留めないものもあった。 或は此集を注意して通読する読者は間々生硬不熟なる文字用語を発見することがあろう。 先生の削正は常に一字一句の末にまで及んだけれども、非常に繁忙の際もしくは印刷の急を要する場合などには多少の字句は看過せられたこともあるが、併しながらかかる場合は極めて稀れであった。 而して先生の校閲を経て社説に掲げたものでも他人の草稿に係る分はこれを省いた。
序ながら読者に告げんとする一事がある。 「凡そ如何なる名論卓説にても、ただ一度気焔を吐いたばかりで筆を収めてしまっては、実際に其効果を見ることは出来ない。 人間の感覚は案外鈍いものであるから、苟も自説の貫徹を期せんとするには、其主張を何遍でも繰返して、人をして耳を傾けしむるに至るまでは已まない根気と熱心とを以てしなければ駄目である」 というのが先生の筆法であって、其主義持論に関する主張に就て「時事新報」の社説は常に此筆法を用いている。 しかも其所論は時に処し場合に従て更に切実を加え、徒に陳言を繰返すのでないことはいうまでもない。 以て先生が如何に其主義主張に熱心忠実であったかを知るべきであろう。