『福翁自伝』の舞台は今――京阪神編
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2010-11-14
1.生誕地関連
福沢諭吉は天保5年12月12日(西暦1835年1月10日)、この場所に建っていた中津藩大阪蔵屋敷で誕生した。
「始終道を聞くには、幼少のときから中津の蔵屋敷は大阪堂島玉江橋ということを知っているから、ただ大阪の玉江橋へはどう行くかとばかり尋ねて」(「長崎遊学」の章「夜道十五里歩きづめ」の節)
2.適塾関係
諭吉が安政2年(1855)3月から5年(1858)8月まで学んだ適塾。建物は現存している。
「松岡の言うに、ぼくがみごとにあの女どもを物干しから追い払って見せようと言いながら、真っ裸で一人つかつかと物干しに出て行き」(「緒方の塾風」の章「裸体の奇談失策」の節)
3.桃の里
諭吉たち適塾生が安政5年2月25日に桃の花見をした場所は、今は幼稚園となっている。
「ころは三月桃の花の時節で、大阪の城の東に桃山という所があって、盛りだというから花見に行こうと相談ができた」 (「緒方の塾風」の章「桃山から帰って火事場に働く」の節)
4.中津藩京屋敷跡
自伝では言及されていないが、中津藩士の京都での拠点はここであった。