「福沢諭吉著『修業立志編』注釈」

last updated: 2018-08-30

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平山氏の依頼により、出版ニュース社刊『出版ニュース』2018年8月上旬号「書 きたいテーマ・出したい本」欄に 掲載された「福沢諭吉著『修業立志編』注釈」(50頁)をアップロードします。

本文

題名だけは誰でも知っていながら、容易には読むことができない本がある。福沢諭吉が自らの名前で出版したにも関わらず、今までのいかなる全集や選集にも収められたことのない『修業立志編』(初版一八九八年刊)はそうした書籍の一つである。

同書には福沢主宰の新聞『時事新報』に掲載された一七回の演説と二五編の論説が収録されている。ところが、そのうちの論説九編は現行版の『福沢諭吉全集』に収められていない。

現在『修業立志編』は単独の書籍として読むことができないばかりでなく、所収の「独立の精神」「一身独立して主義議論の独立を見る可し」「人生の快楽何れの辺に在りや」「活発なる楽を楽む可し」「礼儀作法は粗忽にす可らず」「忠孝論」「衛生の進歩」「心養」「英国の学風」は、福沢の逸文を網羅的に集めたとされている学士院賞を受賞した『全集』の「時事新報論集」に入っていないのである。

福沢名の序文をもつ同書は当初は慶應義塾の生徒向けに編纂され、実際にも一九三六年まで教科書として使用されていた。だが、折からの国体明徴運動の余波をかって絶版とされ、第二次世界大戦後も復刊されることはなく、その後の全集や選集の選にも漏れてきた。

かつて私は論文「なぜ『修業立志編』は『福沢全集』に収録されていないのか」(二〇〇四年発表)においてこの事態の重大性を指摘し、さらに『福沢諭吉の真実』(二〇〇四年刊)と『アジア独立論者福沢諭吉』(二〇一二年刊)でも、同書を軽視する風潮を批判してきた。

この『修業立志編』は晩年の福沢の思想を知るために不可避の文献である。その本文を掲げるばかりでなく、さらに詳細な注釈と解説を加えた書籍を刊行するのには大きな意義がある。