「袞龍の袖に隠る」

last updated: 2013-08-05

昭和版『続福沢全集』第 5 巻所収の石河幹明執筆社説「袞龍の袖に隠る」(742頁)を公開しています。

詳細は、昭和版『続福沢全集』「附記」をご覧下さい。体裁等については、昭和版『続福沢全集』第 5 巻からの書き起こしについてをご覧下さい。

本文

明治政府歴代の当局者輩が栄誉と実権とを一身に併せ両手に花の得意を極めて得々たるは我輩の視て以て小児の戯と為す所なれども其児戯心を満足せしむる為めに栄誉の高きを貪りて天下の人心が如何に趨りつつあるを顧みざるのみならず一方には其政権を維持するの窮策として其結果、政治上の責任の自から皇室に帰するの挙措を憚からざりしが如き全く経世上の考慮を欠きたるものと言わざるを得ず

我輩の素論に我皇室が万世一系国の元首として統治権を総攬し給うは勿論ながら其神聖永久に維持してますます恩徳を天下に普からしめんとせば政治上の責任は一切政府の当局者に引受け仮初めにも皇室を煩わし奉るべからず

皇徳の光は無偏無私、一般国民の上に遍照して苟も其間に陰陽厚薄の差を生ぜしめざるこそ所謂輔弼翼賛の職に在るものの責任なりとは毎度論説したる所にして其微意は天下識者の諒とする所ならん

固より一国の栄辱安危に関し全国一致して之に当るべき大事件には皇室を運動の中心として其威徳に依頼し奉らざるべからず

彼の両度の外戦の如きは即ち此場合にして国力を集中して国威を発揚したる其成績は皇室の威徳に負う所甚だ大なり

我々臣民の一般に感謝し奉る所なりと雖も国内に於ける政治上の紛争に至りては皇室の高きより視れば唯是れ下界の小争にして然も其争たる多くは政府当局者の施設措置に対して其理非曲直を争うに過ぎざれば斯る小事件は断じて皇室を煩わし奉るべきに非ず

当局者が自ら責任を執て処置すべき性質のものなるに然るに議会開設以来の事実に於て当局者が議会の政争に就き詔勅の渙発を奏請し自から難局を脱するの地を成したること啻に一再のみならざるは如何に窮余の窮策とは云え思わざるの甚だしきものと云わざるを得ず

抑も議会難局の原因は当局者輩が維新当初の精神を忘却し態度一変、政治上に社交上に傍若無人の振舞を敢てし天下の人心を失いたる其結果が議会の開会を待て一時に勃発したるものにして当然の因果、今更ら怪しむを須いず自から播きたる種は自から刈らざるべからず

其責任は一に当局者に存することなるに議会の形勢次第に難色を呈して遂に政府の城門に肉薄し来り殆ど施すべきの策なきに至れば忽ち詔勅を奏請し大詔の渙発に依り其難関を免かるるを殆ど対議会の慣手段と為したるが如き政治の小争に皇室を煩わし奉りたるものに非ずして何ぞや

古来忠誠無二なる日本臣民は詔勅に対して誰れか拝服せざるものあらんや

如何なる難関紛争も一たび詔勅に接するときは恰も春雪の忽ち解けて跡を留めざるに至るの常なりと雖も更に人情の裏面に立入りて其微妙なる運動を観察せんか

例えば訴訟の裁判の如き独立公平を旨とし其判決は神聖を以て目すべきものなれども勝ちたる一方の得意なるに反して敗れたる一方に窃に不平なきを得ざるは浮世の人情に免かれざる所なり

況や政治上の紛争は其理非曲直孰れに在るや容易に明白ならざる場合多きに於てをや

我に信ずる所ありと云えば彼れにも亦信ずる所あり

互に所信を主張して相下らざる其争の裁判を一視同仁遍照無偏の皇室に仰ぎ奉るとは恐入りたる次第にして皇室の御裁断とあれば之に承服せざるものあるべからずと雖も其事たる一再ならずして常に一方の所信の徹底せざるを見るときは内心深き処に感ずる其感情は甚だ面白からざるものなきを得ざるべし

斯くの如きは臣民の忠誠心を抵当にし袞龍の袖の蔭に自家の地位を維持せんと謀りたるものにして其無責任不徳は云うまでもなく一般の感情に於て皇室は恰も政府官人の一類の専ら奉ずる所なるが如き観を成さしめたるは傍若無人、不謹慎至極の振舞と評せざるを得ず

此他皇室に対する政府当局者の行為に就き尚お言うべきこと少なからずと雖も余り世間に公ならざる事実を指摘するは我輩の敢てせざる所なりとして之を擱き以上の始末は過去に属する事実にして現在の当局者には此種の不心得なきやと云うに議会の政争に関して詔勅を奏請するの沙汰は近年その例を見ずと雖も当局者の不心得は歴代の政府を通じて同一様なる其一例として茲に見逃すべからざるは当局者が動もすれば他に対し陛下の御信任を云々して憚からざること是れなり

若しも其言にして御信用のある間は政府の地位を去る能わずとの意味なりとせば他日辞職の場合には御信用を失いたるものと解せざるべからず

御信用の得失は重大なる事柄にして一旦これを失うて職を罷めたる輩は再び大臣の地位に就くこと能わざるの道理なるに更迭出入頻繁なる政治家が其地位に就て漫に御信用を云々するは何事ぞや

宜しく自家の責任を持ってすべき一身の進退に御信用を云々するが如きは畢竟御信用を我が物顔(注1)振舞うものにして此一事亦以て平素の心得の如何を見るに足るべし

前後の政府当局者が斯くの如くにして一身の不心得よりして自から招くの因果は我輩の関せざる所なれども之が為めに人情の機微を犯して社会の人心に間隙を生ぜしめ其間に容易ならざる禍機を醸し更に恐るべき類の及ぶ所あらんとするをも悟らざるは無智無考も亦甚だし

今日は正に反省自覚の時に非ざるや否や我輩の問わんと欲する所なり

(明治四十四年一月二十六日)

脚注

(1)
原文では「我は顔に」と表記されている。