「カント先生に漱石文芸を聴く: 望月俊孝著『漱石とカントの反転光学』を読む」
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2013年8月の日本カント研究第14号191~194頁(日本カント協会)に掲載された、望月俊孝著『漱石とカントの反転光学―行人・道草・明暗双双』(九州大学出版会、2012年)の書評です。
書評
カント先生に漱石文芸を聴く
望月俊孝著『漱石とカントの反転光学』を読む
夏目漱石の講演に「文芸の哲学的基礎」(1907年4月)というものがある。読む前の私は、本書はこの講演の内容を吟味しつつ、漱石文芸の基礎となりうる諸哲学者の思想と小説の実際を比較検討し、最後にカントの思想こそが漱石文芸の基礎たるにふさわしいという結論が導かれているのだろう、と予想していた。ところがその推測はまったく外れてしまった。漱石文芸の基礎はカントの思想にあるというのは結論ではなく前提として最初に掲げられ、そうだとするならばそれはどのようにしてであるか、という方向から、主として『行人』・『道草』・『明暗』の三作品が分析の俎上に載せられていたのである。
そこで先ずその内容はといえば、本文406頁の本書は、序論「漱石とカントの反転光学」・第Ⅰ部「漱石、晩年の心境」・第Ⅱ部「漱石、帰還の実相」・第Ⅲ部「現象即実在の反転光学」・結論「漱石文芸の根本視座」の2論3部(12章)で構成されている。
反転光学とは耳慣れない用語であるが、著者へ問い合わせたところ「前代未聞の鋳造語」だそうである。序論(9頁)中にある説明を評者なりにまとめるなら、同じ紙面の模様が一つの盃にも向かい合った二人の人物の横顔にも見えるいわゆる「ルビンの盃」現象を、哲学的立場全体に広げた比喩のことである。すなわちカントの立場は超越論的観念論にして経験論的実在論であるように、漱石の文芸も人間界の理想と現実が相即していて、いずれの立場をも含んでいる、というのである。さらに漱石晩年の標語である「則天去私」とは、安易な実人生からの逃避を指すのでも、意識の流れそのままを重んじるベルグソンやジェームズの立場を意味するのではなく、常に超越論的な立場と実存的なそれを往還することでより高められた場所へ至るというカントの立場の表明であるのだという。
次に本文の内容についていうと、第Ⅰ部では『明暗』執筆にあたっての心構えと、それへと至る自伝的三人称小説『道草』が分析されている。執筆の順序とは逆になっているが、要するに『道草』で試みられた自身を三人称で表現する方法が、よりストーリー性を有する『明暗』で、いっそう周到に用いられているということである。本書では『明暗』の内容には立ち入らないが、執筆していた漱石の身辺の出来事を丹念にたどることで、その方法論としてカントの批判的手法がとられていたのではないかと推測している。
ついで第Ⅱ部では、『道草』の主人公健三と漱石を重ね合わせつつ、小説内の健三と同じく書き手である漱石もまた超越論的な観点から自己の現実を分析するあり方をとっていることが示されている。著者はこの方法を仏教用語で読み替えて、大乗的と世間的の相互返照とも呼ぶが、これは要するに、1908年夏のカントの本格的受容以後の作品には、超越論的自我の立場によって個別的自我が直面している世俗的問題を解決するという構図がはっきり現れている、ということでもある。その解決への道筋が漱石文芸に示されるのであるが、著者はそれを真の厭世的文学と呼んでいる。ただしこの場合の厭世とは、世俗を厭うということではなく、それをより高い次元から視野に収めるということである。
さらに第Ⅲ部では、漱石文芸と初期の西田哲学との比較思想を試みることで、同時期の日本哲学と比較しての漱石文芸の独自性を抽出している。第Ⅱ部の記述からは『善の研究』(1911年)との強い親和性が類推されるのであるが、実際に比較してみると両者は相当に違っている。というのも、西田はジェームズの意識の流れから一足飛びに宗教意識による一切の解決を導き出しているのに対し、漱石はあくまで超越論的自我の立場から世俗を分析し、その範囲内での解決を求めているからである。宗教による安易な解決を求めないところが、漱石文芸の深さにつながっているのである。
最後に結論では、漱石文芸の根本視座を次のようにまとめている。すなわち漱石とカントは洋の東西を隔てて、それぞれの流儀で言語批判を試み、人間理性の限界を見据えながら、かたや文芸、かたや哲学の奥義を極めようとした。漱石晩年の講演「私の個人主義」(1914年11月)が、カントと同様偏狭な国家主義でも利己的な個人主義でもない世界市民的で批判的道徳的な「自己本位」の自律を訴えていたのは、偶然ではなかったのである。
本書の論旨は多岐にわたり、また用語上も分かり易いものではないため、この要約が正確に本書全体を映しているかどうかについては確信が持てない。あくまで評者の見方ということにして、以下では本書のもつ長所と短所を評者なりにまとめたい。
まず長所の第一は、従来まで看過されてきた漱石とカントの思想的継受関係が、相当程度まで明らかになったことである。1908年夏にカントを集中的に勉強してから、漱石の作風には確かに変化が見られるようだ。従来までは修善寺の大患を画期とするという考えが一般的だったが、なぜ病気によって批判的手法がとられるようになったのかの説明が十分ではなかった。その変化の要因はカント受容にある、という本書の主張には一定の説得力があるように思われる。
また長所の第二は、作品執筆時の漱石の日常が、哲学者ならではの問題関心から、鮮やかに切り取られていることである。その一例として著者は絶筆『明暗』の直前に書かれた『点頭録』の同時代哲学批評に注目する(第1章第2節)。その中で漱石は、世界大戦の開始からドイツの敵国であるイギリスとフランスでドイツ思想そのものが批判の的になっている現状をやや皮肉っぽく語り、ドイツの哲学者で軍国主義を唱えていたトライチュケが、ドイツ観念論を継いだハルトマンの影響下にあることを指摘している。このことは日本の軍国主義の背後に、ハルトマンの孫弟子にあたる井上哲次郎らの存在を漱石が危惧していたことを意味し、さらには意志の哲学が主流となっている日本の思想界への彼の懸念を表しているのだという。
さらに長所の第三は、過剰とも思える註釈によって、漱石研究への多様な読みが提示されていることである。本書で言及されている漱石研究者の数は巻末「参考文献」によれば142名にものぼる。多くは註の中で触れられているのであるが、それらを順に読んだとしても、著者の真意を掴みにくい場合がある。そんなときは巻末の「人名索引」を使って、各所に散在している同一研究者への評価を見ることで、研究界全体と著者との距離が測れるわけである。
以上が本書の長所であるが、以下では短所を三点指摘したい。
まず短所の第一は、あまりにも一般性に欠ける諸用語の無制限な使用である。長年の経験を積んだカント研究者として、カント哲学のターミノロジーは正確で、評者でも理解が可能である。ところがそれらを漱石文芸の分析に援用しようとするとき、両者を接合する用語は、日常では使われない比喩的な言葉が使われているのである。たとえば本書の目論見が示された「はじめに」の第二段落は、「つまり漱石の徹底的に批判的な哲学的文学は、修善寺での「三十分の死」の断絶をも乗り超えて、そのつどの地道な実作による方法探求を継続更新することで、「明暗双双」の四文字に暗示される世界反転光学の詩学制作論をついに達成しえたのだ、というのが本書全体の根底をなす解釈仮説である」、で締めくくられている。文中の「世界反転光学」の意味が分からなければ理解不能にもかかわらず、明確な定義は後の部分にも示されていない。ほかにも、「批判光学」、「詩学」(アリストテレスに準拠してはいない模様)、「哲学的視力」、「世界観的な不断反転光学」など、直面する毎にいちいち意味を測りかねて読み進むのが難しかった。
ついで短所の第二は、時系列に拠らない各章の配列によって、漱石文芸におけるカント哲学受容の深まりを追うのが困難になっていることである。具体的には、第1章では絶筆『明暗』(1916年)が、第2章では『三四郎』(1908年)が、第3章では『道草』(1915年)が、そして第9章で『行人』(1913年)がと、扱われている作品の発表年代は前後する。論文集ならばともかくも、既発表の論文5編を中核にして成されているとはいえ、本書は書き下ろしの体裁をとっている。そうであるなら、既発表分をいったん解体して、より理解しやすいように配列しなおし、読者の利便を図るべきだったと思う。
さらに短所の第三は、漱石の「則天去私」「明暗双双」の立場を、研究史上重要視されてきた禅仏教・ジェームズ・ベルグソン・ヘーゲル・西田等ではなくカントの立場である、と判定するときの、否定された側の思想の矮小化が指摘できることである。西田哲学を専門の一部とする評者の立場からいえば、西田を井上哲次郎と同列に置く著者の判定(第Ⅲ部参照)はどうかと思う。西田は素朴な経験即実在論の立場を維持していたがゆえに非近代的で、自我への徹底した批判を旨とするカントを受容した漱石はより近代的だ、と言っているように聞こえる。もしそうだとしたら、既に十分カントを読み込んでいた1910年代の読者から『善の研究』があれほどの高評価を得たことの説明がつかないであろう。
以上が本書について評者が感じたところの長所・短所であるが、用語の点からは極めて読みにくいとはいえ、いやだからこそ読了時には複雑なパズルを解いた時のような一種の快感を味わえる著作でもある。