「批判は万人共通の基準で指摘できる」

last updated: 2017-10-25

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平山氏よりの依頼により、静岡市の大学生が編集しているミニコミ誌『静 岡時代』第47号34ページ に掲載されたエッセイ「批判は万人共通の基準で指摘できる」をアップロードし ます。

本文

福沢諭吉の思想について研究しています。福沢に関しては、日本の近代化に大きな貢献をなした、という肯定的な評価がある一方で、その日本の発展のためには近隣諸国を犠牲にしてもよいとするアジア蔑視の侵略論者、という否定的な評価があります。

このうち後者の評価が出てきたのは、1930年代初頭の『続福沢全集』に収録された新聞『時事新報』の社説1200編余が福沢の論説として扱われて以降のことです。明治時代に福沢本人が作った全集や、大正時代に編まれた全集には、今日アジア蔑視の侵略論として批判されている社説は含まれていません。

福沢没後30年にして突然出現したこれらの社説の多くを執筆したのは、実際には福沢が経営していた『時事新報』で論説委員をしていた弟子の石河幹明でした。そこで全集所収の社説のうちどれが福沢で、どれが福沢ではないのかについての結論だけを言うなら、アジア蔑視の侵略論とされる社説はほぼ石河の作だったのです。

ほぼ、というのは、批判を受けがちな「脱亜論」(1885年3月16日掲載)と「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(1885年8月13日掲載)は、いずれも福沢執筆と推定できるからです。しかし私はこれらをアジア蔑視の侵略論だとは思いません。これは民衆を弾圧していた当時の朝鮮や清国の政府に向けられた批判にすぎないのです。

批判と蔑視とはまったく違うことがらです。すなわち批判とは、誰もが同意可能な基準に基づいて相手の不足を指摘することです。一方蔑視とは根拠もなく相手を貶めることです。福沢による批判には明確な根拠があって、それは普遍的文明の観点からいって正当化できるかどうか、によっていました。それが文明政治の六条件です。

そこで文明政治の六条件とは、第一条件・個人の自由を尊重して法律は国民を束縛しないようにすること、第二条件・信教の自由を保証すること、第三条件・科学技術の発展を促進すること、第四条件・学校教育を充実させること、第五条件・適正な法律による安定した政治によって産業を育成すること、第六条件・国民の福祉向上につねに心がけること、の六つです。

これら六条件は『西洋事情』初編(1866年)で初めて提示された後、『学問のすすめ』(72~76 年)と『文明論之概略』(1875年)で詳しく論じられています。また、その後の単行本もこれらの条件とまったく無関係のものはほとんどなく、多くの場合それぞれの条件をより掘り下げた内容を含んでいるのです。

時事問題に関して何らかの批判をおこなう場合、福沢の手元には常にこの六つの条件が書かれたチェックリストがあった、と言うことができます。 その基準は批判の対象が日本政府であっても、西欧諸国やアジアの諸国であろうとも不変で一貫していました。

ともすれば軽妙洒脱で、全体を貫く骨格がないように受け取られがちな福沢の思想ですが、実際には文明政治の六条件という強靭な普遍への志があったのです。