信州福沢11カ所めぐり
このテキストについて
平山洋氏から、次のようなメールと写真が送られてきました。平山氏の許可のもと公開します。
福沢諭吉の先祖の出身地については、明治6(1873)年に東京三田の龍源寺に代々の墓を移した時、自ら書いた記念碑に、『福沢氏の先祖は信州福沢(地名)の人なり、元禄、宝永の際、其の子孫兵助なるもの、豊前中津の海岸下小路に住し、宝永六年五月二三日死して中津櫻町明蓮寺内に葬る。これより以前の事は得てして詳に可らず』とあることから、信濃国の福沢という場所であることが分かっていました。
小平雪人氏はこの福沢を現在の茅野市豊平福沢に比定しましたが、富田正文氏(『考証福沢諭吉』)は信州には11ヵ所もの福沢が存在することを理由にそれに疑義をはさんで、以来約20年が経過しています。現在のところその決着をみていません。
私も伝記『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)の執筆に際して一度は調べかけたのですが、諭吉本人が重要とも思っていなかった先祖の出身地を私が調べたところで意味はないと考え直して、途中でやめにしました。ただ、どうにも気にかかっていることでもあって、この春に暇ができたのを幸いに、その11ヵ所をすべて踏査することにしました。
方法は簡単です。明治の初めに作成された各村ごとの地図『明治初期長野県町村絵地図大鑑』(郷土出版)と現在の地図を比較して、ともかく地名福沢がある場所に行ってみたのです。意外と簡単に信州福沢11ヵ所すべての位置が判明しました。この中に福沢諭吉の先祖が住んでいた場所があるはずです。さらに実地に聴取して得られた情報により、かなりな確度で父祖の地福沢を比定できたと確信できましたが、それがどの福沢であるのかについては後日公表する予定です。
なお、予告の通り『福沢諭吉先祖考』(常葉叢書13・2014年1月10日)がアマゾ ンキンドルより 刊行されています。
画像情報一覧
通し番号 | 地名 | 画像 | 現在の住所 | 緯度と経度 |
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1 | 諏訪郡長地村福沢 | 下諏訪郡下諏訪町東山田第四、第五地番 | 36.085237,138.075314 | |
2 | 諏訪郡上諏訪村福沢 | 諏訪市元町22近辺 | 36.040422,138.130894 | |
3 | 下伊那郡生田村福沢 | 下伊那郡松川町生田福沢 | 35.591121,137.92923 | |
4 | 東築摩郡塩尻町福澤 | 塩尻市贄川長瀬福沢 | 35.990377,137.846596 | |
5 | 上伊那郡伊那村福澤 | 伊那市山寺2000近辺 | 35.845696,137.963203 | |
6 | 上伊那郡東箕輪村福澤 | 上伊那郡蓑輪町東箕輪2500近辺 | 35.928902,137.989236 | |
7 | 小県郡前山村福澤 | 上田市前山300近辺 | 36.341056,138.197494 | |
8 | 上水内郡富濃村福沢 | 上水内郡信濃町富濃100近辺 | 36.784514,138.229734 | |
9 | 上高井郡仁礼村福沢 | 須坂市仁礼1500近辺 | 36.601031,138.342596 | |
10 | 諏訪郡豊平村福沢 | 茅野市豊平福沢 | 36.014784,138.178214 | |
11 | 更級郡村上村網掛福沢 | 坂城町網掛2900近辺 | 36.442733,138.164529 |