「植木雅俊著『仏教、本当の教え』」
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2014年3月の比較思想研究第40号(比較思想学会)に掲載された、植木雅俊著『仏教、本当の教え』(中央公論新社、2011年)の書評です。
書評
植木雅敏著『仏教、本当の教え―インド、中国、日本の理解と誤解』(平山担当)
評者は形式的には仏教徒ではあるが、仏教の成り立ちや、その教えの本質について実のところ何も知らない。知らなくても何となく格好がつくところが日本仏教のよいところではあるのだが、いずれかの機会にその本当のところをざっくりと知りたいとは常々考えていて、密かに自分の目的にかないそうな本を探していたのだが、いずれも帯に短したすきに長しで、なかなか良本にめぐり会えなかった。このたび偶然にも本書を読むことができて、やっと謎が解けた。ああ、すっきりした、というのが率直な感想である。
仏教は紀元前五世紀のインドで生まれ、紀元二世紀ごろ中国に伝わって漢訳が開始された。朝鮮を経由して日本に公伝したのは六世紀のことである。その時以来日本の仏教は漢訳によって広まり、日本人は中国というフィルターを通して仏教を見ているとは意識せずに、それを本当の仏教と思い込んできた。しかしそこにはインドで発祥したもともとの仏教とは相当に異なる教えが含まれていたのである。
本書はその経緯を、序章「日本における文化的誤解」で北枕の風習などその具体例を端的に示した後、ほぼ時間系列に従って記述してゆく。すなわち、第一章「インド仏教の基本思想」、第二章「中国での漢訳と仏教受容」、第三章「漢訳仏典を通しての日本の仏教受容」というように。そして第四章「日中印の比較文化」では、仏教受容のあり方の違いを通してこれら三つの地域の文化的な違いを摘出している。以下内容を要約する。
インド仏教の歴史は、①釈尊在世(前四六三~前三八三)のころ、および直弟子たちによる原始仏教の時代、②前三世紀、アショーカ王の命によるセイロンへの仏教流伝の時代、③前三世紀末以降の部派仏教(小乗仏教)の時代、④小乗仏教に対する、紀元前後の大乗仏教の興隆と大小並存の時代、⑤七世紀以降の呪術的世界観やヒンドゥー教と融合した密教勃興の時代、という経過をたどる(第一章)。
中国に伝わったのは主に④で、二世紀以後千年にわたって行われた漢訳は、鳩摩羅什より前の古訳、鳩摩羅什以後玄奘より前の旧訳、玄奘以後の新訳の三つに区分できる。著者は原典との比較から、日本で重視されている新訳よりも旧訳のほうが優れていることを指摘している(第二章)。
こうして日本には漢訳仏典が伝わったわけだが、ここで著者が戒めるのは、漢字だからと分かったつもりは危険、ということである。道元・日蓮・親鸞ともに漢訳仏典を再解釈することによって、独自な日本仏教の宗派を立てている(第三章)。
さらに比較文化については、日中印各地域での国家と仏教の関係についての比較が興味深かった。印では国家は弱い存在で仏教が高く位置づけられ、中では仏教は国家とは独立に活動し、日では仏教は国家に奉仕する存在と位置づけられた、ということである(第四章)。