「日独伊三国同盟の利害」

last updated: 2013-08-05

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『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』93ページから101ページに掲載されている、「日独伊三国同盟の利害」(1941-06執筆)を文字に起こしました。

書き起こしに関しては、斎藤隆夫関係の論説等の書き起こしについてをご覧ください。

本文

第1段落

昭和十一年十一月二十五日、我が日本とドイツとの間に防共協定なるものが締結せられた。 其の目的とする所は共産主義の侵入を防御するにあると云うのであるが、当時余は一体何の必要ありて斯かる協定をなすのであるかを怪しんだ。 なぜなれは、共産主義の侵入は固より防御せなくてはならぬが、併し是は我が国の独力を以て十分に為し得べきことである。

顧みれば第一次欧羅巴戦争の末期に当りて露国に革命が勃発し、従来の君主政体を転覆して、世界に曾て例なき共産主義の国家を建設したが、それ以来我が国にも一部不逞の徒が其の熱に冒されて此処彼処に蠢動したることがある。 又現に義勤しつある者もあるかは知らないが、是等の者は我が官権の発動に依りて徹底的に掃蕩することが出来る。

然るに何の必要あって遠く隔たりたるドイツなどと防共協定をなすのであるか。 是が分らない。 唯共産主義を防御すると云うだけのことであるならば、それは我が国として独りドイツのみに限らず、其の他の如何なる国とも協定などをなすの必要はないのである。

其の故に防共協定は表面上には共産主義を防御すると云うのであれども、其の裏面には日独両国が共同してのソ聯を対象とする一種の政治的意味が含まれて居るに相違ない。 然らざれば防共協定は無意味にして且つ無益のものである。

而して此の協定には翌年十一月六日に至り、イタリーが参加して三国間の協定となり、之を以て世界に於ける防共枢軸陣営と称せらるるに至った。

されども此の協定に依りて其の後此の三国が防共工作に付て何をなしたかと云うに、何等為したることを聞かないのである。 実際上為すべき何ものもなかったに相違ない。

然る所から其の頃より日本は東亜に起れる支那事変に向って全力を挙げて居る。 是と同時に他方のヨーロッパに於ては英独仏の国際情勢が益々緊迫して、今にも決裂せんとするの危機に迫った。

恐らく是等の情勢に対処する目的から来たものであろうが、独伊側に於ても亦日本側に於ても此の三国間の防共協定を強化して、一種の軍事同盟までに漕ぎ付けんとするの議が起り、我が国に於ては当時平沼内閣は此の議を決するが為に五相会議と称せらるるものを幾十回となく開いて協議を重ねたようであるが、何分にも世界情勢に対する帝国の態度を決すべき極めて重大なる問題であるから、容易に決断に到達するに至らない。

斯くの如くにして時日を送って居る間にヨーロッパの情勢は急転直下愈々緊迫して、ドイツは最早一日も逡巡して居ることはできない羽目に陥り、裏面密かにソ聯と相結んで英国の対ソ外交を葬り去り、昭和十四年八月二十三日、突如として独ソ不可侵条約を発表したから、世界各国が驚く中で最も驚き且つ周章狼狽したのは我が日本である。 ソ聯を対象として防共協定を締結し、之を以て外交上の枢軸として真正直に遵守して来た日本に対して一言の相談もなく、又一抹(注1)の暗示をも与えずして当面の対象国と斯くの如き条約を締結するに至りては是れこそ国際信義の裏切者である。

我が政府はドイツ政府に対し、独ソ不可侵条約は防共協定の精神に違反するものなりとの抗議をなしたようであるが、如何なる回答のありたるや一向に分らない。 恐らくは黙殺せられたのではないかと思われる。

それのみでなく、其の後外電の報ずる所を見ると、ヒトラー総統は、防共協定は思想問題であり、又国内問題であって、国際問題には関係ないと囁き、同時に国内に拘禁せる共産党員の解放を行ったようである。

茲に至っては防共協定は全く魂の抜け殻と化したるのであるから、斯くの如きものは最早や将来に存続せしむべき価値なく、我方より進んで廃棄を通告すべきものと思わるるが、我が国の政府も国民も、中心には不平満々、切歯憤慨しながら、大声叱呼此の裏切者を攻撃することも出来ず、平沼内閣は、今日の国際情勢は複雑怪奇なりとの悲鳴を残して総辞職を余儀なくせられたるに至れるは、是こそ外交上に於ける咄々怪事と言うべきである。

第2段落

平沼内閣に代りて阿部内閣が成立するに至ったが、それから間もなく愈々ヨーロッパ戦争が始まった。 独ソ不可侵条約に対する軍部の意見として当時新聞に現われたものを見ると、陸軍は之に依りて世界的孤立の覚悟を前提して、時艱克服に邁進すと言い、海軍は従来我が国の対欧政策をドイツが否認したる以上は、飽くまで自主的立場を堅持する外はないと言うて居る。

又政府はヨーロッパ戦争には一切介入せず、専ら支那事変の解決に邁進する旨を声明したから、当時に於ける我が国の態度は是等の声明を総合すれば大体窺い得ることが出来るのであって、帰する所は、ヨーロッパ戦争には関係せず、其の他何れの国とも提携せず、我が国独自の立場を堅持し、独力を以て支那事変を解決すると云うのであって、我が国の外交方針は茲に確立するに至ったのである。

然る所が其の後ヨーロッパ戦争は急速度を以て発展した。 所謂ドイツの電撃戦術の向う所は敗れざるものなく、ポーランドを始めとしてデンマーク、ノルウェー、更に進んでオランダ、ベルギー、フランスに至るまで悉くドイツ軍に蹂躙せられて、結局残る最後の敵は英国となったのである。 併し之を征服することはなかなか容易の業でないから、戦争は一時膠着の形となった。

其の頃から米国の援英政策が漸次表面に現われ、是が進んで止まざれば遂には参戦となることは必至の勢であるが、是がドイツに取りては油断ならざる重大関心事であったに相違なく、之れを牽制せんが為に、有ゆる方策が考えらるのは当然の次第であって、其の結果が日独伊三国同盟と為って現われたのである。

即ち昭和十五年九月初旬、ドイツよりスターマー特派大使が突如として我が国に渡来し、条約の折衝が始められたが、此の折衝は何の障碍もなく、極めて順調に進捗して、同月二十七日には早くも正式調印となって公表せらるるに至った。

第3段落

三国同盟は疑いもなく阿部内閣に依りて定められたる我が国の外交方針に向って一大転換を為したるものである が、此の転換が支那事変の解決其の他我が国の外交上に如何なる影響を及ばすものであるかは後に述べることとして、其の前に一応条約の内容に付て検討して見たいことがある。

即ち条約の第一条には、日本は独伊両国のヨーロッパに於ける新秩序建設に関し指導的地位を認め、且つ之を尊重すと云うのであるが、是は一体何の必要があるのか分らない。 独伊両国が欧洲に於て新秩序の建設をやるなら、別に日本の承認や保障を求めるまでもない。 ドイツに於て自由勝手にやるべきではないか。 日本の承認や保障がなければ新秩序建設はやれないと云う理由は発見せられない。 と共に、其の必要も亦認められないではないか。

それから第二条に於ても是と同様に、独伊両国は日本の東亜に於ける新秩序の建設に関し指導的地位を認め、且つ之を尊重すと云うのであるが、是れ亦何の必要があるのか分らない。 日本は大東亜の新秩序建設をなすに当って別に独伊両国の保障や承認を必要とせない。 独伊両国は日本の新秩序建設に関して何等の援助をなす力もなければ、日本も亦独伊両国の援助を借ろうとも思って居ない。 然らば何の必要があって斯かる条文が生れたのか。 是も分らない。

次に第三条が要点であるが、同条に於ては日本又は独伊両国が欧洲戦争又は支那事変に参入し居らざる第三国から攻撃せられたるときは、軍事的方法に依りて相互に援助すと云うのであって、是が真の軍事同盟と言うべきものである。 所が今日世界を見渡して、日本に向って攻撃しそうな国は何処にあるかと言えば、先ずソ聯より外にはないであろう。 固より今日、日ソ間の戦争などは予想することも出来ないが、仮に何かの機会に触れて戦争が始まると仮定しても、独伊両国は日本を援助する義務はない。 此の事は特に其の第五条に於て、ソ聯に関しては除外の規定が設けられてあるから議論の余地はない。

殊に其の後、昭和十六年四月十三日に至り日ソ間に中立条約が締結せられたから、日ソ間の戦争も起る筈はなく、従って日本は三国同盟に依りて独伊両国より援助を受くるが如き場合は絶対に生ぜないと同時に、条約に依りて何等の利益する所もない。

之に反して独伊側は如何と見るに、前述せる如く米国の援英政策が進んで遂に参戦の暁ともなれば、日本は嫌でも応でも米国と戦わねばならぬ。 換言すれば米国の参戦は独伊に対すると同時に日本に対する宣戦となるのであるから、米国としては茲に最大の悩みがあると同時に、一方独伊として米国の参戦を牽制するには是れ程有力なるものはない。

而して一度戦争が始まらば、米国は全勢力を挙げて独伊に向わしむることは出来ず、少くとも其の大半は日本に向わしめねばならぬ。

斯かる次第であるから同盟条約は、一つには米国の参戦を牽制する点に於て、又一つには戦闘力を両分せしむる点に於て独伊に取っては是れ程利益なる条約はなく、日本に取りては支那事変どころではなく、国家の興亡を賭する大戦争となるに相違ないから、是れ程不利益なる条約はないのである。

然らば何故に斯かる片務的にして而も大なる危険を含む条約を締結したのであるか。 全くドイツに利用せられたと云うより外に我々は理解することが出来ない。

第4段落

政府よりの放送を見ると、三国同盟は全く戦禍の拡大を防止し、世界の平和を目的とするものであって、決して特定国殊に米国を対象とするものではないと言うのであるが、斯くの如き弁明はそれこそ耳を掩うて鈴を盗むの類であって、世界の何人と雖も之を首肯する者はない。

或は又若し米国が欧州戦争に干渉して独伊と戦うが如きことがあるならば、米国は自ら進んで戦争の挑発者となりて世界の平和を撹乱するの責を負わねはならぬと論ずる者もあるが、世界の平和を保たんと欲するならば独伊自らが戦争を止めるのが可いではないか。

自ら戦争を惹き起して何等の罪なき弱小国を片端から撃ち壊して置きながら、他国が戦争に参加すれば世界の平和を撹乱するものなりと言う。 斯くの如き馬鹿気た議論が世界に通用すると思うならばそれこそ非常なる間違いである。

固く断って置くが、余は決して米国の味方をする者でもなければ米国の参戦を彼此れと言う者でもない。 唯公正なる見地に立って議論の正否を批判するのみである。 全く議論を為さないならば止む。

苟くも政治家が意見を述べて、之を世界に発表せんとする以上は、大概常識を備えて、世人を首肯せしむるに足るだけのものでなくてはならぬ。 唯徒らに偏狭なる考えを以て、自分勝手の意見を製造するに至りては、其の愚を世上に曝すのみである。

第5段落

今日は幸いにしてまだ日米戦争は起らないが、仮令戦争は起らないとしても同盟条約が日米関係の悪化に拍車を 加えたことは争うべき余地がない。

其の一端としては援蒋政策の強化と日本に対する経済圧迫の加速度が現われて来た。 支那事変以来日米関係は悪化の一路を辿るのみであるが、是は仕方がない。 利害の衝突する所に摩擦の起るのは自然の勢いであるから之を防ぐことは出来ぬ。 日本の立場より見れば、米国の態度は実に不都合極まるものであるが、米国の立場より見れば、日本のやり方こそ不都合であると言うであろう。

従って余は斯くの如き水掛論は措いて問わないが、聞く所に依れば同盟条約は、之を以て支那事変の解決に役立たせたいとの目的もあったようであるが、其の目的は予期に反して、全くそれとは反対の結果を招来したることは争われない。

何と弁解した所で同盟条約は米国を対象として米国の参戦を牽制せんとしたるものには相違ないから、之に依りて日本に対する米国の敵性は益々露骨に現われて、援蒋政策の強化と為り、延いては支那事変の解決を容易ならしむるどころか、却って益々困難ならしむるに至ったのである。

夫れから他面には日本に対する経済圧迫も速度を加えて来たから、是が因となりて蘭印交渉が始まった訳でもないが、小林、芳沢両使節の前後十ヶ月に亙る努力も、遂に其の効を奏せずして決裂の羽目に陥ったのは、同条約の成立が大なる原因であったことは争われない。

即ち是まで蘭印交渉に関する諸般の通信を見るに、昨年九月小林使節が交渉を開始したる当時に於ては日本に対する蘭印の一般的感情は相当に良好であったのであるが、小林使節の滞在中三国同盟の締結が発表せらるるや、蘭印側は挙って之に驚くと同時に、日本に対する感情も急に一変して、交渉の進路に蹉跌を来したことは蔽うことの出来ない事実である。

特に考えなければならぬことは蘭印の立場である。 蘭印は其の本国が全くドイツ軍に蹂躙せられ、女皇は英国に逃避して居る有様であるから、蘭印から見ればドイツは正面の敵であって、其の敵たるドイツと軍事同盟を結びたる日本も亦敵の一種であると思うのは無理もないことである。 其の日本が蘭印に向って石油其の他軍需品の供給を交渉するのであるから、何人が見た所で此の交渉が円満に進む訳はない。

従って日本側では、日本は東亜共栄圏の確立を目的として進みつつあるのであって、此の共栄圏内には当然蘭印をも含ませて居るに拘らず、蘭印が日本の要求に応ぜないのは日本の目的を阻止する不都合千万なる振舞いであると言うならば、蘭印側は言うであろう。 東亜共栄圏などと云うことは日本が勝手に決めたことであって、蘭印の関する所ではない。 蘭印は左様なる圏内に入ることは真平御免蒙る。 又蘭印内の物資を処分するのは全く蘭印の自由であって、他国から彼此れ強要せらるべき性質のものではない。

何れの言分が正しいかは茲に論断せないが、斯くの如き経過に依って交渉が決裂したる以上は、日本も此の儘手を引く訳には行くまい。

手を引くまいとするならば次には如何なる途を執るか。 強制力を用うるより外に方法はないであろう。

一国が他国に向って物資の供給を要求し、其の要求に応ぜざる場合に当りては強力を用いて之を貫徹せんとする。 今日の国際問題は道理や議論で解決するものではなくして、国際問題を解決する最後の方法は力である。 力以外の何ものもないと云うは此の事である。

蘭印に向って力を用うるも可いが、其の結果として何が起るか。 日本が蘭印に向って武力を行使することになれば米国は黙して居るまい。 日米戦争は必至の勢いであると覚悟せねばならぬ。

斯くの如くにして事態は益々複雑にして且つ困難となる。 其の源は何れより来るかと言えば、矢張り三国同盟である。

第6段落

三国同盟の性質は大体斯くの如きものであって、之を要約すれば、独伊は之に依って米国の参戦を牽制し、参戦の暁には其の戦闘力を東西に両分せしむることとなって、是れ程利益なるものはなく、之に反して日本は之に依りて日米関係を悪化し、米国の援蒋政策を強化せしめて支那事変の解決を益々困難ならしめ、更に日本に対する経済上の圧迫を強化せしめ、蘭印交渉を蹉跌せしめ遂には日米戦争にまで導くの虞れあって、次から次へと日本に取りては不利益なる事態が起って来る。

斯くの如く独伊に取っては絶対有利であって、日本に取っては絶対有害なる同盟条約を締結し、之を以て日本外交の枢軸であるなどと誇称して居る人々の心事が分らない。

日本は曾て日英同盟を締結したことはあるが、其の当時一部の反対論者は、日英同盟は日本が英国の番犬となるものであると攻撃したことがある。 併し日本が此の同盟を力強き後援として日露戦争を起し、彼が如き結果を得たことを忘れてはならぬ。

之に比すれば三国同盟は日本が独伊の番犬となる位のものではない。 事に依れば是が困となりて将来日本は如何なる事態に遭遇するかも知れぬ。

今日国内に於ても一部の思慮ある者は三国同盟に付て確かに反対の意見を有し、危惧の念を抱いて居る者も決して少しとせないが、之を口外せないのは全く政府の弾圧に依るものである。

近頃唯々時流を趁うて走る一部の連中殊にドイツやイタリヤを有難がって、ヒトラーやムソリニーを神様の如くに崇拝して居る連中は、独伊の行動や三国同盟でも批評すれば、直ちに彼は米英依存者なりと悪口を叩くようであるが、米英依存が悪ければ独伊依存も亦悪い。 我々は故なくしては如何なる国にも依存せざるとともに、故あれば互に依存するのが自国の利益を目的として進むべき国際間の通義である。

此の通義を忘れ、極めて偏狭なる心事を以て世界の舞台に乗出すことを以て日本精神などと思う者あらば、それこそ日本精神の履き違えであるのみならず、自ら日本精神を裏切るものなることを悟らねばならぬ。

脚注

(1)
原文では「一沫」と表記されている。