「非常時に処する議会政治の得失」

last updated: 2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』113ページから119ページに掲載されている、「非常時に処する議会政治の得失」(1941-05執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

議会政政治と言うた所で議会が自ら政治を行うものではない。 何れの立憲国に於ても議会は予算案、法律案其の他憲法上に認められる諸種の案件を審議決定し、其の決定に基きて政府が政治を行うものである。 それ故に議会政治と云うことは議会が是等の権能を行使することに依って議会自ら政治の中心勢力となり、政府を監督し指導し鞭撻して、議会の向背に依りて政府を動かすに足るべき威力を発揮する。 之を称して議会政治と言うのである。 而して斯くの如き議会政治が国家の非常時局即ち戦争其の他急迫せる国家情勢に処するに当りて如何に運用せらるべきものであるか。 又其の利害得失は如何なるものであるか。 之を研究して見たい。

第2段落

言うまでもなく議会政治は国民の輿論即ち民意を基礎として運用せらるるものであって、民意の基調たるものは議会であるから、政府が内外政治を行うに当りては議会の向背に依りて左右せらるることは無論のこと、又同時に断えず国民輿論の動きに注意し、其の流れに従って諸般の政策を定むることとなるから、一面より見れば国政に対して深く国民の理解を求むるとともに、中心より国民の支援を受くることとなって最も理想的の政治と思われ、又それに相違ないのである。 併し他の一面より見れば、斯くの如き政治は動もすれば遅緩に流れて其の運用敏活を欠くの虞れがあるから、国家競争の激烈なる時代、殊に国家の非常時に当りては捉うべき機会を逸することあるべきのみならず、国難に処すべき大胆なる政策を断行する能わざる場合が起るのである。 例えば今回のヨーロッパ戦争に当りてフランスは戦争の初め脆くも一敗地に塗れて又起つ能わざるの窮地に陥って居るが、其の原因の一つとしては議会政治の短所を挙げねばならぬ。 ヒトラーがドイツの政権を掌握せし以来、第一次ヨーロッパ戦争の結果として押付けられたるベルサイユ条約を破棄して、祖国ドイツを復興せしむるが為め復讐戦を目指して国家の凡ゆる要素を戦争目的に集中し、所謂高度国防国家の建設に向って国民的全精力を集中して居たことは隠れなき要であって、仏国政府と雖も之に気付かない筈はない。 已に気付きたる以上は之に対抗すべき一切の準備を整えねばならぬ筈であるが、フランスの如き議会政治の国に於ては此の種の国策を徹底的に遂行することは実際上容易の業ではない。 それは何事も議会の協賛を経ねばならぬからである。 幸にして傑出して強力な大政治家が現われて、議会勢力を掌中に収め、輿論を指導して意の儘に議会を操縦することが出来れば問題はない。 所が仏国は小党分立して、政界の巨頭等は互いに嫉視反目して政権争奪に熱中し、輿論を指導するよりも却って輿論に迎合すべく習慣付けられて居るから、斯かる民主主義国に於ては国策の決定遅々として進まず、其の時機を失することは免れ難い自然の勢いであって、仏国の敗因が主として此所に伏在して居ることは決して余一人の観察ではあるまい。 是等の苦き経験に鑑みて敗戦後に現われたるペタン内閣は、断然議会制度を廃止して独裁的政治体制の下に時局の収拾に専念して居るが、其の前途に付ては今日予言すべき限りではない。

第3段落

之に比すれば英国は同じ議会政治の国とは言うものの、政治に対する国民性に至りては仏国のそれと全然異なる ものがあるから、議会政治の運用も同一に論ずることは出来ない。 即ち学者の著書にも英仏両国の政治制度の中に付ては「議会」と云ふ文字を除けば他には共通する何ものも見出すことが出来ないと云うことが書いてあるが、大体其の通りである。 今日の英国は昔日の如き議会制度の時代は過ぎて居るが、併し仏国の如く小党分立ではない。 又政界の巨頭等も固より政治家である以上は政権競争も免れないが、仏国政治家の如く私的感情の為に国家の大局を忘れて政治的無意味な寧ろ有害なる政権競争に没頭することは英国国民性の許さざる所である。 従って常時と非常時とを問わず、国家目的の為に議会政治を運用するに当り、緩急其の度を誤らざることは確かに英国国民の政治的特質であつて、今回の戦争に当りても殆ど独裁者に近き権能を政府に附与する件を僅か数分間に議決したる如きは全く其の現われである。 併し既に議会政治が確立している以上は、如何なる場合に於ても政府を動かす権能は議会が握って居る。 而して議会の背後には国民が控えて居るから、政府は断へず輿論の動向に注意すると同時に是を指導して国策遂行の援兵たらしむるが為に凡ゆる努力を怠らない。 本年五月の初めに当りて政府は進んで下院に向って政府に対する信任投票を求めた所、下院は僅々三に対する四百四十七の圧倒的多数を以て政府信任を決議したるが如き、以て此の関係を説明するに足るべきものと思われる。 尤も今回の戦争に当りて英国政府は仏国政府と同じく確かにドイツの再軍備編成に対する真の認識を誤り、之に対抗すべき陸軍軍備の充実を怠って居たことは争われない事実であるが、是は議会政治の罪ではなくして全く政府の罪である。 政府にして此の目的に向って為す所あらんとするならば、議会は決して之を阻止するものではなかったであろう。 然るに茲に気付かずして徒らに現状維持と平和政策を夢見たることが今回の失敗を招きたる最大の原因である。 次は米国であるが、言うまでもなく米国は民主国であり又議会政治の国である。 併し米国の議会政治は英仏のそれとは其の傾きを異にして居る。 米国の政治組織は三権分立の基礎の上に立てられ、政府、議会各々其の独立を保って居るから、政府の力に依って議会を解散することが出来ないとともに、議会の力に依って政府を動かすことも出来ない。 斯くの如く議会が政府を動かす力は有せないが、他の立憲国の議会と同じく政府の政策は法律、予算は言うに及ばず、宣戦布告に至るまで議会の同意を求めねばならぬから、議会は此の権能に依りて政府を指導し牽制するに足るべき十分なる威力を発揮することが出来る。 殊に米国は英仏のそれに比して更に一層国民の輿論が政府の政策を左右するの力を有するから、政府は重要政策を議会に附するとともに絶えず輿論を指導し、其の動向に付ては最大の注意を払わねばならぬ。 茲に政治の遅鈍性が現わるるのである。 最近政府のなす所を見るも、例えば新中立法の制定と言い軍備の拡張に伴う予算の獲得と言い、仮令大統領に或る程度の強権を附して居るとは言うものの、此の急迫せる国際情勢に対する国策の遂行に当り、動もすれは機会を逸し、時期に遅るるが如き憾なきを得ないが、是は議会政治に伴う通弊として已む(注1)を得ない次第である。

第4段落

議会政治に比すればドイツやイタリアの独裁政治は頗る徹底して居る。 第一次ヨーロッパ戦争に制定せられたるドイツ憲法は民主主義の基礎の上に建てられて居たから、大統領は国民が之を選挙し、又国民の投票に依りて自由に之を解任することも出来る。 議会は立法権を独占するのみならず、宰相も国務大臣も議会の不信任投票に依りて其の職を奪うことも出来たのである。 然る所が其の後一九三三年、ナチス政権の確立に依りて此の種の規定は根柢より粉砕せられ、同年三月二日発布の所謂授権法に依りて、一切の法律は議会の協賛を俟たず、政府が独断にて制定することが出来るようになったから議会は全く骨抜きとなり、今日も尚其の形骸は保存するも事実上廃止せられたと同様である。 而してヒトラー総統が独裁者として国家統治の全権を掌握し、彼の意思が其の儘法律と為り政治と為って現わるることとなったのであるから、是れ程便宜なる体制はなく、今回の戦争に当りて彼が如き成功を見るに至りたるは全く茲に原因するものである。 イタリアに於ては国王あれども空位を擁して政治の実際には為す所なく、ムソリーニ首相が内外政治を統率して独裁権を発揮して居ることはドイツに於けるヒトラーの為す所と同様であって、今日のイタリアを建設することを得たるは是れ亦茲に原因して居ることは争われない。

第5段落

議会政治と独裁政治は固より一長一短を免れない。 議会政治は民意を本として行われるものであるから、政治上の責任は政府が之を負うと同時に国民も亦之を負わねばならぬ。 従って戦争に当りては仮令敗戦の苦境に陥ることあるも、其の戦争は国民の同意に依りて起りたるものであるから、敗戦の責任も亦政府国民共に之を負うべく、是が為に民心の不満が爆発して、国内の秩序を紊乱して国家組織を根柢より破壊する如き革命の起る憂はない。 去れども斯くの如き政治体制は、政治の運用が動もすれば緩慢に流れ易く、是が為に急迫せる国家情勢に応ずる能わざる場合が起るから 此の欠点を補う為に議会の権能を利用して、政府に相当範囲の独裁権を附与するのであって、今回の戦争に当り、英米両国に現われたる実例は正に此の間の関係を物語るものである。 議会政治と反対する独裁政治と雖も固より民意を無視するものではなく、今日の文明国に於ては如何なる独裁者も民意を無視して国家統治の大任に当ることは出来るものではない。 従って独伊の独裁者と雖も民意を尊重して、之を指導し之を収攬せんとする努力に至りては決して英米両国の政治家に劣るものでもなかろう。 去りながら議会政治の国に於ては民意を表現し之を政治化せしむる国家機関の設備あれども、独裁国に於ては是が欠けて居る。 固より今日の独伊に於ても、国会なる設備はあれども、それは活動を停止せられたる一種の形骸に過ぎないのみならず、国民は全く政治上の自由を奪われ、唯々無条件にて独裁者の命令に盲従するの外に途はないから茲に国民の不平が欝結せざるを得ない。 さりとて(注2)是等の不平は一は権力の弾圧に依りて屏息し、又は国家内外の状態に照らし独裁政治が最も適当にして、 之を措いて他に救国の方法なく、国民性は寧ろ之を甘受するとともに(注3)傑出せる独裁者の人格は最も有効に独裁権を活動せしめ之に依りて興国の大業は進みつつあるのであるから、国民は全く政治上の自由を忘れて、独裁者の為に平身低頭して居るのが今日の現状である。 去れども独裁政治の裏面には確かに一抹の危険が伏在して居ることは争われない。 即ち戦勝の場合に当っては独裁政治は益々其の基礎を強固にするか、一朝敗戦に至れば立ち所に崩壊する。 殷鑑遠からず、第一次ヨーロッパ戦争が其の教訓を示して居る。 第一次ヨーロッパ戦争の末期に当りてはドイツに於てもロシアに於ても国民的不平が爆発して革命を惹き起し、従来の君主政体を破壊して民主政体を建設すると同時に、両国の独裁者が如何なる運命に遭遇したかは茲に述ぶるも悲惨である。 独裁国民は前大戦に当りては独裁者の為に国を敗られ、今回の戦争に当りては独裁者に依りて国を興す。 前の場合には独裁者を放逐し、後の場合には 独裁者を歓迎して居るが、併し今後の歴史が如何に綴られるかは何人も予言することは出来ない。

第6段落

日本はどうであるか。 今日の日本に於ては議会政治は行われて居ないが、さりとて日本の議会は独伊の議会の如く全く活動を停止せられたる形骸ではなくして、憲法上厳然たる存在を保ち、奪うべからざる権能を附与せられて居る。 而して此の権能は如何なる政府と雖も之を侵すことは出来ない。 唯此の権能を遺憾なく行使して立憲政治の大精神と国家の目的に副うべき威力を発揮し、以て議会政治の実を挙ぐるや否やは一に議会人の能不能に依って定まる問題であるが、今日の議会に之を望むことは無理である。 世間の一部には議会政治は我が国の国体又は天皇政治と相容れないなどと言う者もあるが、斯くの如きは国体の本義も憲法の精神も政治の何たることも一切弁えざる人々の考えであるから取るに足らない。 而して今後議会の活動が如何に高上せられ又如何に低下するも、我国の議会は常時と非常時とを問わず苟くも国家の為に必要なる国策の遂行を阻止するが如き行動を為したることなければ、又為さんとするも為すことが出来ないこととなって居る。 何ぜなれば若し仮に議会が重要なる国策に反対すれば政 府は之を解散して国論に問うことが出来る。 議会を召集する能わざる場合には法律に代るべき緊急勅令を制定することも出来れば財政上の非常処分を為すことも出来るのであって、憲法の用意は至れり尽せりと言うべきである。

第7段落

加之今回の支那事変に当りても議会は毎会を通じ全員一致の態度を以て政府を援助し、事変遂行に必要なる予算、 法律等は時機を誤らずして承認し、其の上更に国家総動員法を初めとして其の他の立法手段に依り政府に対して広範囲の権限を附与する等、進んで政治を指導するの力はなけれども、退いて事変遂行に必要なる政府の政策を阻止したる実例は絶対に之を見出すことが出来ない。 それ故に事変の遂行並に処理其の他急迫せる国際情勢に対する政府の為す所にして若し欠くる所があるならば、それは議会の罪ではなくして全く政府の罪である。 然るに之を顧みずして徒らに議会を責むることにのみ急にして政府を責むるの途を忘れ、甚だしきに至りては独伊の独裁政治に憧憬して議会制度の根本に向って指を染めんとする者のあるに至りては、実に言語道断沙汰の限りである。

第8段落

惟うに国体の如何に拘らず、人文の進歩に伴うて最も自然にして且つ安全なる政治は、人民をして国政に参与せ しむるにあることは極めて明白なる真理であって、古来人類の歴史が此の方向に進みつつあることは争われない事実であるとともに、何ものの力を以てするも之を阻止することは出来ない。 唯一時的の戦争又は急速なる国勢挽回を要する時代に当りては、是と反対なる政治組織の現わるることもあれども、それは決して永遠の政治体制ではないから、政治に志す者は常に之を忘れてはならぬ。

脚注

(1)
原文では「己む」と表記されている。
(2)
原文では「左りとて」と表記されている。
(3)
原文では「とこに」と表記されている。