『帝国憲法論』 その6

last updated: 2013-01-23

第二編 各論

第四章 日本臣民

第一節 日本臣民の意義

如何なるものを以て日本臣民と称すべきやは、憲法に於て之を定めず、別に法律を以て定むるものとす(第十八条)。 而して憲法は明治二十二年に発布せられたるに拘わらず、爾来十年間日本臣民たるの要件を定めたるの法律存在せざりしが、漸く明治三十二年に至り、法律第六十六号を以て国籍法を発布し、初めて日本臣民たるものを明にするに至れり。

日本臣民とは外国臣民と区別するが為めに称するものなり。 而して之を区別するの必要は、憲法其他の法律上に権利義務に差等の生ずるものあればなり。 例えば外国臣民は日本国内の土地を所有すること、日本人の養子となること、或る会社の株主となることを許さざるが如し。

第二節 日本臣民の権利

日本臣民が憲法上於て有する所の権利、分て十種となす。 左に順次之を論述すべし。

第一、公務に就くの権
「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」とは、憲法第十九条の規定する所なり。 我国昔時封建制度の下に在ては、士族あり門閥ありて、幕吏と為り廷吏と為るは此等の者に限れり。 此等の者は学識技能を有せずと雖も、祖先若くは門閥の関係よりして其身枢要なる地位に上り、身に余る所の俸禄を受け、其意の欲する所に従て権勢を振いたりと雖ども、其他農工商の如きに至ては、仮令学識技能の秀でたのものありと雖ども、国家の栄職に上ることを得ざりしなり。 是れ万民平等の主義に戻り、国家の発達を計る所以にあらざるを以て、維新以降断然此制を廃止し、苟も日本臣民たる者は華士平民の区別を論ぜず、一定の条件に従い、文官武官其他百般の政務に就くことを得ることとせり。 本条は之を明定して益々此事を確保せしなり。
第二、自由に住居及移転を為すの権
憲法第二十二条には「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス」と規定せり。 蓋し我国と外国とを問わず、封建時代に在ては各藩各国境を限り、各々関柵を設けて、人民は互いに其境外に居住するを許されず、又其筋の許可なくして旅行及移転することを得ず。 其自然の運動及営業の自由を束縛せしや、甚だしと云うべし。 維新以来之を廃止せしが、本条に於ては法律を以てするにあらざれば、其自由を制限することを得ずと規定せるを以て、日本臣民は法律に触れざる限りは帝国の境内何れの場所たるを問わず、自由に住居及移転することを得べし。
第三、人身自由の権利
自由は人間最大の幸福なり、自由なき人間は世界に於ける最大不幸なる人間と云べし。 今夫れ故なくして吏我を逮捕す、我之を拒むこと能わず、故なくして強者我を殴打す、我之を訴うることを得ざるときは、吾人は何に依て安堵することを得んや。 西洋の学者某が、自由な天地は野蛮の天地なり、自由なき世界は野蛮の世界なりと絶叫せしは、故なきにあらざるなり。 是を以て現今文明諸国に於ては自由の声は至る所に歓迎せられ、自由に反対するものは至る所に排斥せらる。 憲法廿三条に於て「日本臣民は法律に依るにあらずして逮捕監禁審問処罰を受くることなし」と規定せるは、人身の自由を確保せるものなり。。 然れども自由は我儘勝手と混同すべからず、自由は法律の範囲内に於ける吾人の行動なることを忘るべからず。
第四、法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権
憲法第二十四条に依れば、日本臣民は法律に於て定められたる裁判官の裁判を受くるの外他の官吏又は一己人の判断を受くるの義務なし。 是れ公平なる裁判を受けしめ、冤罪又は失権に陥るの処なからしめんが為めなり。 抑も法律に定めたる裁判官は、他の制肘を受けずして公平なる裁判を為さしめんが為め、其官を終身とし其地位を独立ならしめたり。 故に之が裁判を受くるときは、抂屈の恐れなしと雖ども、妄りに特別の裁判官を設け、又は君主臨時に人を指名して裁判を為さしむるが如きことあらば、百弊茲に其端を開き、其結果罪なき者をして獄中に呻吟せしめ、権利あるものをして其権利を失わしむるに至る。 昔時憲法の原理未だ明かならず、専制の余風未だ払わざるの時ありては、一朝政府と人民との間に軋轢を生じたるに当り、此規定なきが為めに幾多の志士無辜の霊となりたるの例実に乏しからざるなり。 去れば各国憲法を制定するに当ては、概ね此規定を設けざるなく、為めに臣民の幸福を増進せること其幾許なるを知らず。
第五、住所安全の権
凡そ家宅は吾人の城郭なり、妄りに侵入し又は捜索せらるるが如きことあらば、吾人の安全は保持する能わざるなり。 故に憲法第二十五条に於ては、法律に定めたる場合又は其持主の承諾を受けたる時にあらざれば、何人と雖ども他人の住所に侵入し又は之を捜索することを得ざる旨を規定せり。 故に一己人は勿論、司法官、検察官、収税官と雖ども、他人の住所に入り及家宅捜索を為さんとするには、必ず法律に定めたる場合に於て、法律に定めたる手続きに依らざるべからず。
第六、信書秘密の権
信書とは、音信を通ずる書面なり。 憲法第二十六条に日本臣民は法律に定めたる場合を除くの外信書の秘密を侵さるることなき旨を規定せり。 想うに信書の秘密は、近世文明の賜なり。 之れあるが為めに吾人は安堵して信書の往復を為すことを得べし。 然れども利の存する所は害の伏する所にして、此秘密ある為めに、信書は往々にして犯罪の媒介となることなきにあらず。 故に憲法は、法律に定めある場合には、信書の秘密を侵すことを許せり。 法律に定めたる場合とは例えば裁判官が被告人の罪の有無を断ずるに当り信書を差押え、之を開封して其証拠に供する場合の如し。
第七、所有権を侵害せられざるの権
抑も所有権は、人間生活の基本なるを以て之を貴重せざるべからざるは論を俟たず。 若し夫れ妄りに所有権を侵害せらるるが如きことあらば、誰か業務に勉励して財産を貯うる者あらんや。 其極人民は生活の基本を失い、国家は衰滅せずんば止まざるなり。 故に憲法第二十七条第一項に於ては日本臣民は其所有権を侵さるることなき旨を規定せり。 然れども私益は以て公益に勝つこと能わざるが故に、公益の為めに必要なる場合に於ては、所有権を侵さるることあるも、是れ止むを得ざるなり。 然れども此場合は特に法律を以て規定すべく、勅令以下の行政命令を以てすることを得ず。 即ち憲法第二十七条第二項は、公益の為め必要なる処分は法律の定むる所に依ると、規定せる所以なり。
公益の為めに必要なる処分を為すを規定したる法律は、一二に止まらずと雖ども、其主たるものは土地収用法是なり。 此法律は明治二十二年法律第十九号を以て発布せられ、公益の為めに人民の土地を収用することを規定せり。 其詳細は同法に就きて之を見るべし。
第八、信教自由の権
我国人民は、古来より宗教に熱心なることは、西洋各国の人民の如くならず。 去れば国史中に於ても、信教の自由に関する事を見ること、極めて罕なりと雖ども、西洋各国の歴史は、其大部分を宗教問題の為めに占めらるると云うも、敢て過言にあらざるなり。 想うに宗教の事たる、専ら人心の内部に存し、国法の得て関渉すべきものにあらざれば、之を自由ならしむるは素より論なしと雖ども、其事の外部に現われて安寧秩序を妨ぐるか、若くは人民たるの義務に背くときは、国家は之に関渉せざるを得ざるなり。 而して之を為すに当りては専ら警察の処分を要し、予め法律を以て定め難き行政処分を行わざるべからざることあり。 是れ憲法第廿八条に「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定し、他の条の如く法律云々の文字なき所以なり。
第九、言論自由の権
憲法第二十九条は「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と規定せり。 言論は言語を以て思想を発表するものなり。 著作は書籍を以て思想を発表する者なり。 印行は新聞雑誌其他の摺物を出版し、思想を発表するものなり。 集会は一時の目的の為めに、数人の会合するものなり。 結社は一定せる永久の目的の為めに、数人の団結するものなり。 此等の事は政治上及社会上に勢力を及ぼすものなるに依り、之に自由を与え、以て思想の交換を発達せしめ、人文進化の為に有益なる資料たらしむるは、立憲国の本分なりと云わざるべからず。 抑も此等諸種の自由の為に、身を碎き骨を粉にし、今の所謂立憲国の人民をして其余慶を得せしめたるは、偏に英国人の力なり。 英国憲法史を繙かば、彼等英国人が、如何に此等自由の為めに努力したるやを知べし。 本条に依れば、日本臣民は法律の範囲に於て、此等の自由を有す。 之を解する者曰く、此等の所為は容易に濫用するに鋭利なる器械なるが故に、之に依て他人の栄誉、権利を害し、治安を妨ぐるの罪悪を教唆するに至ては、法律を以て之を処罰し、又は法律の委任に依る警察処分に依て之を防御せざるを得ず、是れ公共の秩序を保持するの必要に出づ云々と。 蓋し思想の未だ外部に発表せざるに当ては、素より関渉すべき限りにあらずと雖も、已に外部に表れ人心を動かすに於ては、或は法律を以て之を制限するの必要あるべく、集会結社の如きも国家の権利を害し、社会の安寧を乱すが如き場合に於ては、亦法律を以て之を制肘するの必要あればなり。 然れども此等の法律にして厳酷に過ぐるときは、遂に所謂自由をして、其名あるも其実なきに至らしむるなきを保せず。 法律の範囲云々とありて、其範囲狭隘なるときは、殆んど自由なきと同一に帰すべし。 故に其局に当る物は、須く社会の情態を考え適当の法律を制定するを務めざるべからず。
第十、請願を為すの権
憲法第三十条は「日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得」と規定せり。 請願は各己人の利益に関すると、又公益に拘わるとを問わず、凡て臣民より国家に対して為す所の請求を云う。 而して請願は、上は天皇陛下より下は国会議院及各官庁に対して之為すを得べしと雖ども、天皇親行の大権に属する事の外は、多く議院に対して為すを至当とす。 外国の状況を見るに、請願の権利は十九世紀の終に至て大に発達し、貴重なる立法の端緒之に依て開かれたること頗る多く、其勢力の大なるは皆人の認むる所なり。 然れども請願を為すに当ては、相当の敬礼を守り、無礼の言論等あるべからず。 而して之に関する諸種の規定は、議院法及び衆議院規則等に詳かなるが故に、今茲に贅するを要せず。

第三節 日本臣民の義務

憲法上臣民の義務として規定せるもの二種あり左に之を説明す。

第一、兵役の義務
憲法第二十条には「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」と規程せり。」 想うに兵は国家の生存、独立及光栄を護るに於て、最も必要なるものに属するが故に、国家の独立に依て利益を受くる所の臣民は、彼是の差別なく、一般に其の義務を負担すべきは論を俟たざるをり。 抑も徴兵の制度は之を四種に分つことを得べし。 即ち第一抽籤法、第二民兵法第三国民皆兵法、第四傭兵法是なり。 第一の制度は曾て仏国ナポレオン之れを用い、ナポレオン制度の名あり。 即ち丁年者の中の一部分を、抽籤を以て兵役に服せしむるの方たり。 此の制度の下には例外極めて多く、血税を払て代人を出し、貴族学生の如きは義務を免るることありし。 第二の制度は、戦時のみに一般に義務を負わしめ平時には唯時々鍛錬を為すに過ぎず。 此法は古より英国に行われ、米国亦之を用ゆ。 第三の国民皆兵法は、仏国革命の時初めて之を布告し而かも実行するに至らずして止み、千八百十四年に至て普国初めて之を実行し、仏国は千八百七十二年以来此制度に依る。 而して我国現今の制度即ち是なり。 第四の制度は、英米国に於て、第二の制度と並び用いらるるものなり。
史を按ずるに、我国大寶(注1)以来軍国の設けあり。 海内の壮丁にして兵役に堪ゆる者を募る。 而して持統天皇の時、国毎に壮丁四分の一を採れるは、徴兵制度の因て始まる所なり。 中世に至て所謂武門武士なる者起り、兵事は一主族専有の業となり、旧制全く滅びたりしが、維新後明治四年、武士の掌職を解き同五年、古制に基き徴兵令を布き、全国の男子二十歳に至る者は陸海軍の役に当てしめ、平時毎年の徴員は常備軍の編成に従い、而して十七歳より四十歳に至る迄の人員は国民軍となし、戦時に当り臨時召集するの制となれり。
第二、納税の義務
憲法第二十一条には「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス」と規定せり。 想うに租税を納むることは、一国共同生存の必要に応ずるものなるを以て、兵役と同じく臣民の国家に対する義務の一として規定したるは、其当を得たるものなり。 而して此義務の分配を定むるには、法律に依らざるべからず。 法律以外に納税の義務なしとせるは、即ち間接に臣民の権利を保護せる為めにして立憲政体の要義茲に存す。 抑も租税の性質に付ては、古来より種々の議論あり。 仏国に於て曾て民約説を主唱し、其名を天下に轟かしたる、碩儒モンテスキュー氏及其一派の学者は、租税を解して人民が政府の勤労に対して支払う所の報酬なりと云えり。 之を詳言せば、政府は人民の為めに勤労を為し、人民は政府に対して其代償を支払う、此代償を称して租税とは云うなり。 尚換言せば租税は交換の一種なりと云うにあり。 此説に従うときは、租税は支払うと否とは人民の自由なりと云わざるべからず。 何となれば、交換の事たる元来人間の自由意思に依て成立するものなり。 一方に於て之を拒むに拘わらず、強て之を取らんとするは、交換にあらずして奪取なり。 今租税を支払うと否とは、人民の自由なりやと云うに、決して然らず。 政府は人民の意思如何に拘わらず、徴収すべき租税は威力を以て之を徴収するを以て、租税を以て交換の性質を有すとするが如きは、蓋し誤謬の見解たるを免れず。 想うに租税は国家が其公費を弁せんが為めに、強制的に臣民より徴収するものなりと解し置かば、夫れ誤りならんか。 我国於て租税法の因て来る所久し。 而して其二大変革とも称すべきは、孝徳天皇租庸調の制を行い、維新後地租の改正を行えること是なり。 然り而して議会の決議を経るにあらざれば租税を賦課するを得ざるの大義は、英国に始まりたることを記憶すべし。

第四節 附則

第一、憲法第三十一条には「本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と規定せり。 蓋し本章に掲ぐる所の規定は皆是臣民の権利を保障するが為めなりと雖ども、一朝外国と戦端を開くか、又は国家に騒乱の起りたる等非常の場合に当ては、非常の処置を為すを要す。 此の時に於て法律の明文に拘わらず、臣民の権利を侵すも尚一国の存立を計るは、元首たる者の権利なると同時に、又義務なりと云うべし。 是れ決して臣民の権利を軽んずるが為めにあらず、一己人の自由に比すれば、国家の存立は遙に其上に在ればなり。 故に此の如き場合に於て、人民の自由を侵すことあるも必ずしも批難すべきにあらずと雖ども、之を侵すに当ては其必要の度を超過すべからず。 若し之れを侵すこと其度を超過するときは、時の国務大臣は其責を免るる能わず。 本条に天皇大権の施行とあるは、緊急勅令を発し、又は戒厳令を宣告するの類なり。 此等の権利を施行するに当て、本章に規定せる制限を受けずと云うは、即ち本条の精神に外ならず。

第二、憲法第三十二条には「本章ニ掲ケタル条規ハ陸海軍ノ法令又ハ紀律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス」と規定せり。 蓋し軍人と雖ども同じく日本臣民なるが故に、本章に定むる所の権利義務を有するは勿論なるも、軍人は一般臣民と異なり、特別なる権利義務を有するのみならず、軍旗の下に在て軍法軍令を遵守する第一の義務を有す。 故に本章に定むる権利義務にして、軍法軍令に抵触するときは、之を軍人に準行せざるなり。 即ち現役の軍人は、集会結社して軍政又は政治を論ずるの自由を有せず。 又政治に関して言論、著作、印行及び請願の自由を有せざるの類、即ち是れなり。

脚注

(1)
大宝律令 - Wikipediaのこと。