『比較国会論』 その13

last updated: 2013-01-23

第十章 国会と内閣との関係

一、英吉利、 英国に於ける国会と内閣との関係を知らんと欲せば先ず英国の内閣なるものの起源に付て論述せざるべからず、 現今英国の内閣は一方に於ては国王の名を以て諸般の政務を施行し、他方に於ては国民の輿論を基礎として国家の政策を定むる中央政府機関の地位を有することは疑うべからずと雖も、 英国の法律は内閣なるものの存在を認めず、英国の法令全容を始めより終りまで穿鑿するも内閣官制なるものなければ内閣なる文字すら看出すこと能わず、 是れ蓋し其故なきにあらず、一言にして是を蔽えば英国の内閣は枢密院より発生したるものにして枢密院の一部として法律上の地位を有する外は内閣としては何等の地位を有せず、英国に於ける枢密院の起源を述ぶるは此書の範囲に属せずと雖も、枢密院は過去にて於ても現在に於けるが如く国王の諮問機関として英国の制度に於て尤も早く其存立を認められたるものなり、 而して其議員は国王の任命に出づるものにして其数に制限なく、又英国出生の臣民は何人たりとも之に任命せらるべき資格を有す、 議員の任期は之を任命したる国王の死去と共に終りしが、現今に於ては国王の死後六ヶ月間は其儘にて職を保ち六ヶ月の後に於ては新国王の下に宣誓を為したる上其職を継続することを得べし。

枢密院は議員の数に制限なきが為めに其数は漸次に増加して実際に国王の秘密諮問機関と為りて迅速に其職務を行うに不適当と為るに至れり、 是に於て国王は其議員中より自己の信任する少数者を選び、此等の者に向て重要なる国務を諮問するの習慣を生じたることは則ち内閣の発生したる事由なり、 内閣則ち Cabinetキャビネットなる語は此関係より起りたるものにして、「キャビネット」とは英語本来の意義は小室又は秘密室を意味するものなり、 国王が枢密院内の別室に其議員の少数者を集めて国務を諮問したるより此等の少数者に冠するに「キャビネット」なる名称を附するに至れり、 其初めは軽蔑的の意義に用いられたれども、今日に於ては内閣とは英国政府に於て最上の名誉と権力とを有する国体を意味するに至れり、 内閣の起源は此の如くなるが故に英国の法律は内閣に関して何等の規定することなく今日に於ても内閣は枢密院の一部たるの外法律上何等の地位を有せず、従て内閣に関する一の建築物なく、内閣会議に関する規則又は記録として見るべきもの一として存在することなし、左に有名なる英国の歴史家マコーレー氏が英国内閣の起源に関して記述したる一節を訳すべし、

凡そ吾人の歴史中に於て現今の英国内閣が有する権力の起源及び発達程不思議なるものは他に其例を見出すこと能わず、 最初の時代に於て英国国王は国政を行うに当り枢密院に於て助けられたり、而して当時の枢密院は数多の必要なる職務を有し数世紀の間国家の重要なる事件を審議するの団体なりしが、 此団体は漸次に其議員を増加すると共に其性質も亦変じて秘密的に其職務を行うには不適当と為るに至れり、 是に於て枢密院議員の職は単に一の名誉として与えらるるに至り、国王は必要なる場合に於ては少数の議員に向て国事を諮問するの習慣を生ぜり。

此の如き事由の下に発生したる内閣は英国に於ける他の政治的制度と同じく習慣の勢力に依て漸次に発達して法律以外に於て今日の地位を得るに至れり、然れども正確に其発達の順序を述ぶることは頗る困難の事に属す、 之を歴史に徴するに初めて内閣会議キャビネットカウンシルなる名称の用いられたるはチャーレス一世の時代(千六百二十五年―千六百四十九年)にして、クロムウェルの執政時代に於て内閣なるものなく、 続て千六百六十年王政復古と共にチャーレス二世王位に上り枢密院を復旧せんことを企てたるも到底実際に行われざることを悟り、千六百七十九年に至り宣言して曰く、「枢密院議員は頗る多数なるが故に国家の重要事件を審議するに尤も必要なる迅速と秘密との二条件を充たすに不適当なり」と、 斯る事情よりして王は其中の或る少数議員を選択して之に向て国事を諮問せしが、此団体は頗る不人望を来したるを以て、 王は寵臣サー、ウィリャム、テムプル(注1)に命じて他の方法を案ぜしめたるも遂に失敗に終れり、 此の如くにして内閣制度は政治学者の考案を俟たずして自然に発達し、ウィリアム三世は王権党及び民権党を合併して内閣を組織せしも其結果宜しからず、 種々の争論を生じたる末千六百九十三年に至り当時優勢なる民権党一派を以て内閣の組織を命ぜり、此内閣は内閣歴史中に一新時期を与えたるものにして近世内閣の元祖と云うも不可なきなり、 然れども当時未だ内閣の連帯責任なるもの生ぜず、又政党の勢力の為めに内閣の更迭を見るが如きことなかりし、此等の習慣の生じたるは遠く下りて十八世紀の末に在り、 今「英国中央政府セントラル、ガバーメント」の著者トレール氏の記する所に従て内閣発達の歴史を区別すれば左の四期に分つことを得べし。

第一期、チャーレス一世以前、此時代に於ては未だ「キャビネット」なる名称生ぜず、国王は枢密院中の或る議員に向て窃かに国事を諮問せり、 而して其諮問事項并に議事録等に関して素より何等の見るべきものなく、又其少数議員は枢密院の承諾を得ずして表面上政府に関する何等の事務を行うの権力を有せず。

第二期、チャーレス一世(千六百二十五年―千六百四十九年)及びチャーレス二世(千六百六十年―千六百八十九年)時代、此時代に於ては「キャビネット」なる名称は軽蔑的の意味に用いられたるのみならず、 此不法団体の発達を妨碍するが為めに種々なる手段の講ぜられたることあるも一も其効を奏すること能わざりし、 是れ枢密院議員は単に名誉の為めに任命せらるるに至り、其数益々増加して本来の職務を行うに不適当と為りたればなり、 然れども此時代に於ても内閣は単に事実上枢密院に代りて国王の諮問に答うるのみにして未だ権力的団体として枢密院を排斥するの程度には至らざりしなり。

第三期、ウィリアム三世の時代(千六百八十九年―千七百二年)此時代に於ては内閣は一段の進歩を為して事実上国王の諮問機関なるのみならず、更に最高行政機関の地位を取得せり、然れども未だ政治社会に於て一般に承認せられたる制度とは為らざりしなり。

第四期、内閣が公然行政の首脳と為り現今の如き組織を生じたるは十八世紀の末葉に在り、此時代に於ける内閣の特質は、内閣は立法部の議員を以て組織せざるべからず、内閣員は同一の政見を有し下院に於て多数を有する政党に属せざるべからず、下院に於て信任を失いたるときは連帯して辞職せざるべからず、 内閣員は一人の首脳を戴きて其下に共同服従を為さざるべからず、凡そ此等の事は英国に於ける憲法的習慣の一部と為りて百余年の間確乎として動揺したることなし。

右に述べたる所に依て国会と内閣との関係は略ぼ了知することを得れども、更に此関係を明にせんが為めには左の二箇の事項に付て論述せざるべからず。

第一、国務大臣が国会に於ける出席及び発言の権利、 日本憲法に依れば国務大臣は仮令議員たらずと雖も国務大臣たるの資格を以て何時にても議会に出席し発言を為すの権利を有すれども英国に於ては然らず、 英国の国務大臣は大臣たるの資格を以て議員に出席するあらずして国会議員たるの資格を以て出席及び発言す、 故に国務大臣は如何なる場合に於ても同時に国会議員たらざるべからず、最も国会議員にして国務大臣に任命せらるるときは一時議員の職を失えども直に再選せられて議員と為るは従来の慣習なり、 唯之に関して記載すべき一事あり、千八百四十八年グラッドストンサー、ロバート、ピールの内閣に於て殖民大臣に任命せられたることありしが、再選を得るが為めの競争に於て敢なく失敗を取り、 議員たるの資格を有せずして其後六ヶ月間ピール内閣の倒るるまで其職を俟ちたることあり、 然れども是れ近世に於ける唯一の例外にして当時下院に於ては之に関して批難の声を高むるに至れり、此の如く国務大臣は議員たるの資格を持って国会議員に出席するものなるが故に、貴族院議員たる国務大臣は貴族院のみに出席し、庶民院議員たる国務大臣は庶民院のみに出席して政府提出の議案を説明し弁護し之が通過を力むることを得べし、 従来の事跡に徴すれば国務大臣は貴族院に多数なることあり、庶務院に多数なることあり、総理大臣は通例貴族なるが故に貴族院に席を有す、 此例外に属せし者はグラッドストンにして氏は平民大臣として其名声を博したることは世人の知る所の如し。

第二、国会に対する内閣の責任、内閣は国会に対して責任を有するは英国憲法上の一定言なるが、正確に云うときは内閣は単に庶民院のみに対して責任を有し、貴族院に対しては何等の責任を有せずと云うを以て至当とす、 屡々論述したる如く英国は世界に於て円満に政党内閣の行わるる唯一の国にして内閣は何れの時に於ても下院に多数議員を有する政党の出張所なり、 従て内閣の運命は政党の勢力の消長に依て決せらる、内閣は下院の信任を有する間は持続し其信任を失うときは辞職せざるべからず、下院が内閣の信任を決するには直接の方法と間接の方法との二種あり、 直接の方法は所謂信任欠乏の決議にして其決議には通例何等の理由を附せず、間接の方法は政府の提出したる重要議案を否決するに在り、如何なる議案を否決せられたるときは信任の欠乏と看做すべきと云うに、従来の慣例に依れば財政案の否決は何れも信任欠乏を表示し、其他議事進行中に於て国務大臣が此議案は内閣の運命に関する必要なる議案なりと宣言したるときは、其議案の否決は厳しく信任の欠乏を意味するものなり、直接の方法と間接の方法とを問わず苟も下院に於て信任欠乏の意思を表示したるときは内閣の取るべき方法は唯二あるのみ、一は総辞職にして二は下院の解散なり、 下院を解散して政府党多数を占むるの見込みあるときは之を解散して輿論に訴うることを得べく、否らざるときは総辞職を為して反対党をして内閣を組織せしめざるべからず、 又下院を解散したる場合に於て選挙の結果政府党多数を占むるときは依然として其職に留まるべく、否らざるときは必ず総辞職を為さざるべからず、 引続き再度の解散を行うは絶対に憲法的慣習の禁ずる所なり、総選挙の後に於て内閣の辞職する時期は新議会を開会して政府党議員の少数なること判然したる時にあれども、其前に於ても此事実明白なるときは辞職することを得べく又辞職したる例は少からず。

二、合衆国、 合衆国国会と内閣との関係は英国とは全く異なり、 (イ)合衆国には政党内閣なるもの存在せず、国務大臣は総て大統領に依て任命せられ罷免せらるるものにして、大統領に従属し国会の意思に依て之を左右すること能わず、 大統領は国務大臣を採用するに当り之を各種の方面より求むることを得べし、政党員なると非政党員なるとは問う所にあらず、大統領の選挙終り新大統領其職に上るときは前大統領の下に在りし国務大臣を更迭するは普通の慣例なれども、新旧大統領共に同一の党派に属するときは其更迭を見ざることあり、 数年以前マッキンレーの死に因りて現大統領ルーズベルト氏が其職を継ぎし時彼は一人の国務大臣をも更迭せしめざりしは其適例なり、 (ロ)国務大臣は大統領に対して其責に任ずれども国会に対して何等の責任を負わず、故に国会に於て信任欠乏の決議を為すことあるも之が為めに国務大臣は辞職を要せらるることなく、又国会が財政案を否決するときは国務大臣は之が為めに政務を中止するに止まり其他の影響を受くることなし、 大臣の責任は単独にして連帯にあらず、是れ大臣は各々自己の管轄する政務を行うに止まり、英国に於けるが如く内閣会議に於て国家の全政務に関する方針を定むるが如きは合衆国制度の認めざる所なればなり、 大統領は彼を選挙したる人民に対して責任を負えども国会に対して責任を負わず、而して人民に対する大統領の責任は之を強制するの方法なし、大統領は国会及び人民の信任を失うことあるも其任期中辞職を要せらるることなし、但し或る種類の犯罪に関して弾劾を受くるときは格別なりとす、 (ハ)合衆国の官吏は国会議員と為ることを得ざるを以て国務大臣は議員を兼ぬることを得ず、従て議員として国会議場に出席する能わざるは論なし、 又憲法は国務大臣の国会出席権を規定せざれども之を禁止するの条文もなきが故に憲法解釈家は出席の権利ありと論ぜり、 実際に於ては大臣は議会に出席せず、時々委員会に出席して議員の質問に答うることあり。

三、独逸、 独逸国会と政府との関係は略ぼ合衆国に於けると同一なり、 (イ)独逸には内閣なるもの存在せず、一人の宰相及び内務、外務、司法、大蔵、海軍及び逓信の六大臣あれども此等の者は内閣を組織せず、宰相及び大臣は皇帝に対して責任を負えども国会に対して何等の責任を負わず、 故に国会の反対決議に依て辞職を強制せらるることなし、又憲法は国会に大臣を弾劾するの権利を与えざるが故に此手段に依て大臣の職を失わしむること能わざるべし、 (ロ)宰相は宰相たる資格を持っては代議院に出席するの権利を有せず、彼は参議院議員の一人なるが故に他の議員と等しく議員たる資格を以て代議院に出席し発言することを得べし、 参議院議員は何時にても代議院に出席して発言することを得るは特に憲法第九条の保障する所なり、各大臣も亦大臣として議会に出席するの権利を有せず、但し議員たるの資格を有するときは其資格を以て出席することを得るは論なきなり、 要するに独逸に於ては英国の如く国会に対する大臣の責任なるものは理論に於ても実際に於ても決して認められざるなり。

四、仏蘭西、 仏国国会と内閣との関係は略ぼ英国に於けると同一なれども又多少の差異なき能わず、 (イ)仏国内閣の議会に対する責任は英国の如く習慣的にあらずして法律的なり、千八百七十五年二月二十五日の憲法第六条には「国務大臣は政府一般の政務に関しては連帯して又自己所轄の行為に関しては格別に議会に対して其責に任ず」と規定するを以て大臣の責任は法律的にして其責任を問うものは議会なることを知るべし、 法律上の解釈としては大臣は両院に対して其責に任ずれども、実際に於ては英国の如く下院のみに対して其責に任ず、下院は反対投票を以て大臣の辞職を強制することを得べし、 (ロ)仏国には十一人の国務大臣在り、即ち内務兼宗務大臣、大蔵大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、殖民大臣、文部大臣、司法大臣、商務大臣、農務大臣及び工務大臣是れなり、 此等の大臣中に於て通常軍人たる陸軍大臣を除くの外は殆んど国会議員中より選任するは英国に於けると同一なり、但し国務大臣は仮令国会議員たらずとも国会に出席して発言を為すことを得べし。

五、日本、 日本の内閣は総理大臣、内務大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、大蔵大臣、農商務大臣、逓信大臣及び文部大臣を以て組織す、大臣を任免するは天皇の特権にして議会は之に対して毫も容喙することを得ず、 一部の政事家は英国流の政党内閣を建設せんが為めに力むるものの如しと雖も、一方に於ては藩閥の余力未だ尽きず、他方に於ては政党の基礎鞏固ならざるが為めに近き将来に於ては之を現実にするは頗る困難の業たるべし、 法律上よりするときは大臣は天皇に対して責任を負えども国会に対して其責に任ぜず然れども実際に於ては国会に於て内閣不信任の決議を為すか、又は政府提出の重要問題を否決するときは内閣は総辞職を為すか、又は国会を解散するかの二途あるのみ、 其間に於て天皇の詔勅を発して一時を弥縫したることあれども是れ何れの立憲国にも其例なき異常の甚しきものなり、 下院の解散は英国流の解散とは大に趣を異にす、英国に於ける下院の解散は国民の輿論に訴うるが為めに行わるるものなれども、 日本に於ける下院の解散は屡々下院の抵抗力を挫くが為めに行われしことあり、此点は独逸に於ける下院の解散と相似たるものあり、 又英国に於ては引続き二回の解散を為すは絶対的に習慣の認めざる所なれども、日本の政治社会には未だ此の如き習慣の存在を見ず、之を要するに日本に於ては未だ大臣の責任及び国会の解散に関して定まりたる政治的習慣の存在するものなし、 是れ立憲政治の実施以来日尚お浅く政治社会の進歩未だ充分ならざればなり、天皇が国務大臣を任命するは之を国会議員中より選定すると否とは全く自由なり、 而して国務大臣は議員たると否とを問わず国務大臣たるの資格を以て何時にても議会に出席して発言することを得べし。

六、伊太利、 伊太利国会と内閣との関係は略ぼ日本と同一なり、伊太利内閣には十一人の大臣あり、内閣議長兼内務大臣、外務大臣、大蔵大臣、財務大臣、工務大臣、司法及び宗務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、文部大臣、農商務大臣及び逓信大臣是れなり、 此等の大臣を任免するは国王の特権にして国王は如何なる方面より大臣を採用するも全く自由なり、英国の如く政党内閣の習慣確立せず、又憲法第六十七条には単に国務大臣は責任を負うべしとのみ規定して、国王のみに対して責任を負うや又国会に対しても責任を負わざるべからざるや甚だ明瞭ならず、 千八百七十八年国務大臣の責任法を制定するが為めに委員を設けたることありしも之を完成するに至らざりし、国務大臣は議員にあらざるときは議会に於て投票することを得ざれども、国務大臣たるの資格を以て何時にても議会に出席して発言するの権利あることは日本に於けると異なることなし。

七、瑞西、 瑞西の中央行政機関は前述せる六ヶ国に比して其性質并に組織を異にせり、 瑞西の中央行政事務は連邦評議会に委託せらる、連邦評議会は国会に於て選挙する七人の議員を以て組織す、 其任期は三年とす、国会は評議会議員中より各々一年の任期を以て大統領及び副大統領を選挙す、評議会議員は一団体として政務を施行すれども其事務を分担するが為めに之を外務、司法及び警察、内務、陸軍、大蔵、農商務及び郵便鉄道の七部に分ち、各自其一部を長官として其管轄事務を鞅掌す、 連邦評議会は議員制度に謂う所の責任を負わず、故に其提出議案の否決せらるることあるも辞職を要せらるることなし、立法又は行政事項に関し国会と評議会と意見一致せざるときは、後者は最終に於ては議会の意思に服従し誠実に其命令を実行するの外他に方法を有せざるなり、 官吏は自己の意見の採用せられざることあるも其地位を辞するの義務なしとは瑞西に於ける公法的格言なり、 此格言は実際に於ては著しく効力を有し、千八百四十八年連邦評議会の創設以来政治上の理由に因て評議員の辞職したること僅に二回にして而かも立法部との衝突に依りたることは唯の一回に過ぎざるは大に注目すべきことなりとす、 是れ連邦評議会は一の実務機関にして評議員は事務官の地位を有す、而して政治上の意見の異同に依りて有用なる事務官を失うは国家の為めに不利なること瑞西人の確く信ずる所なればなり、 評議会議員は国会議員たることを得ず、然れども何時にても両院に出席して発言を為すの権利を有することは多数の立憲大臣と異なることなし。

八、比較論、 国会と内閣との関係を比較研究するに当り述ぶべきこと二あり、 第一は国務大臣が国会に対する責任にして、大には国会に於ける国務大臣の出席権なり、 憲法の明文を以て国務大臣が国会に対する責任を規定するものは仏蘭西一ヶ国あるのみ、其他英国に於ては憲法の明文なしと雖も、国会に対する国務大臣の責任は習慣の勢力に依て確乎として動くことなく、 英国憲法政治の骨髄は大臣責任の一事に在りと云うも敢て不可なし、合衆国は立法、行政の独立主義を固持せる結果として行政部は立法部を解散するの権利を有せず、又立法部は行政部を監督するの権利を有せず、従て国会に対する大臣責任の因て生ずる根拠を欠くものなり、 独逸国務大臣は法律上に於ても実際上に於ても皇帝に対して責任を負うの外、国会に対して何等の責を負わず、 日本及び伊太利に於ては国務大臣の責任未だ確定せず、 瑞西の国務大臣は国会の選定すべきものなれども国会の決議に依て辞職を要せらるることなし、 此の如く国会に対する大臣の責任は各国其趣を異にするが故に、今日の立憲国を通じて国務大臣の責任は未だ一定せず従て大臣の責任は立憲政治の要素にあらずと云うことを得べし、 然れども立憲政治の本性に照して大臣の責任は必要なるや否や、是れ茲に攻究せざるべからざる問題なり、此問題に答うるには勢い立憲政治の性質に論及せざるべからず、 現今世界各国に行わるる立憲政治は各々其特質を有し決して一致するものにあらざれども、其間より共通する要素を抽出するときは立憲政治は二ヶの特徴を持って之を表示することを得べし、 即ち一は国会なる機関を設けて国家の立法事業に参与せしむることにして、二は国会中の少くとも一院は人民の選出する議員を以て組織すること是れなり、此二ヶの特徴を有する政治を称して立憲政治と云うは形式上より之れを定義したるものにして、実質上より論ずるときは立憲政治は国民の共同意思を以て国家の意思と為すものにして純然たる民主政治なり、換言せば国民の共同意思を以て国家の政治を行うは立憲政治の本質なるが故に、此の本質に添わざる政治は如何なる形体を有するに拘わらず真の立憲政治にあらずして仮装的立憲政治なりと云わざるべからず、 然り而して国民の共同意思は国会なる機関に依て表示せられ、国会の意思は即ち国民の意思なるが故に、国会の意思を実行する能わざる政治は真の立憲政治にあらずと論結することを得べし、 斯く論ずるときは国会に対する大臣の責任は立憲政治の要素なること自ら了解するを得べし、 若し国会にして大臣の責任を負うこと能わず大臣は国会より独立して政治を行うことを得るとするときは、国会の意思は実際に於て其効力を現わす能わず従て国会の存立する根拠は全く消滅するに至るべし、 現今世界に於て余が定義する立憲政治を行うものは独り英国あるのみにして独逸、日本及び伊太利は此目的に向て進行中に在るものの如し、合衆国、仏蘭西及び瑞西は他の諸国と大に趣を異にす、此三ヶ国は形式上に於ても実質上に於ても純然たる民主国なるが故に国民の共同意思に於て国家の政治を行うは論なしと雖も、大臣責任の点に至ては一様ならず、 前に述べたる如く仏蘭西国に於ては憲法を以て国家に対する大臣の責任を規定すれども他の二国は之を規定せざるのみならず実際に於ても大臣は国会の意思に依て其地位を動かさるることなし、 是れ一は大臣を以て政務官と為し、他は之を以て事務官と為したるより生じたるものにして、合衆国及び瑞西に於て大臣責任の制度なきが為めに之を以て大臣は国会に対して独立の地位を有するものと解すべからず、 此二国に於ては大臣は国会の意思を行う機関に過ぎざるが故に、其他諸国の大臣に比して一層劣等の地位に在るものなり、 故に此二国に大臣責任の制度なきは立憲政治の原理に違背せざるのみならず、最も適切に之を応用したるものなり、従て合衆国及び瑞西流の立憲主義に於ては国会に対する大臣の責任を要求せざるは特に注意すべき事柄なりとす。

国会に於ける大臣の出席権に付ては二種の差異あり、英国に於ては大臣として出席することを得ざれども、大臣は悉く議員なるが故に事実に於て大臣は各々其所属議院に出席することを得べく、合衆国の憲法は大臣出席権を禁止せざるも実際に於ては大臣は国会議場に出席せず、 独逸国務大臣は議員たるときの外は大臣としては出席権を認められず、仏蘭西、日本、伊太利及び瑞西に於ては大臣は仮令議員にあらざるも大臣たる資格を以て出席するの権利を有するは前に述べたる所の如し、 国会に於ける国務大臣の出席権は発案権と関係を有す、合衆国及び独逸に於ては行政部は発案権を有せざるが故に国会議場に大臣を派して政府案を弁明せしむるの要を見ずと雖も、其他の諸国に於ては行政部に発案権を与うるが故に、行政部の代表者たる国務大臣は国会に出席して之を弁明するの必要あり、 然れども一歩進で攻究するときは仮令行政部に発案権なしとするも大臣の出席は立法事業を補助し之を実際的ならしむるに付て尤も必要なり、蓋し立法の事は行政の経験に依て案出せらるるもの多く、 又行政の実際に適合せざる立法は立法の目的を達すること能わざるが故に、行政官をして立法事業に接触せしむるは益ありて害なし、 唯之が為めに「デマゴウグ」と称する大野心家現れて国会を蹂躙するの危険あることは一部政治学者の恐るる所なれども、此の如きは殆んど稀有の事に属す、 合衆国の国会は行政部との関係密ならざるが為めに迂遠なる立法を企つることあるは夙に彼国学者の認むる所なり。

比較国会論 終

脚注

(1)
原文では「サー、ウィリリャム、テムプル」と表記されている。