『洋行之奇禍』 その3

last updated: 2013-01-23

其二

専制君主―奥深き宮殿に沈座し宮女千人従者万人に取り囲まれて悠々自適、常に娯楽に耽りて国家の政を顧みず、民の膏血を啜って酔生夢死を事とせしは昔も昔も大昔の天竺時代の昔話である、今の君主は斯る暢気には構えて居れない、国家事なきの日には万機を親裁し、国家事あるの時は自ら兵馬の労を取り、常に民の疾苦を問い、民と共に楽しみ、民と共に苦しまねばならぬ、大国の君主に於てすら已に然り、 豈んや小国も小国も十間四方の小天地に棲息し、昔の蟻の女王よりも尚お憐れなる一家の君主は其為すべき仕事は頗る多く而して其仕事や何れも夏蝿し、此夏蝿き仕事を果たさんと欲せば常に忙なる物と闘わねばならぬ、忙を追い払うが為めに日夜東西に奔走せねばならぬ、 然れども忙の来るや尚お蝿の来るが如し、一忙を払えば又一忙、一忙を殺せば更に他忙、忙々交々飛び来て遂に限りなし、嗚呼憐れなる小国王よ、汲々として勤むるものは夫れ何事ぞや、汝が仕事は忙無視を追うに在り、夏の天気に蜻蛉を追い、秋の日晴に鈴虫を捕うる児女の戯と何んぞ択ぶ処あらん、 然れども汝は勤めて之を追うべし、昼も休まず夜の目も寝ずに、多く見付けて多く追い、多く追うて多く殺せば汝は遂に天下に名を為すべし、天下に名を為さんが為めに忙虫を追わんと欲する者は勝手に追うべし、我の関り知る処にあらず、我は山青く水清き辺に遊んで暫く浩然の気を養わんと、 或は大磯の海岸に逍遙し、或は鎌倉の海浜に嘯き、山に上り海を眺めて悠々自適と暫く或る時の来るを待ちしが、 烏兎匆々(注1)白駒の隙を過ぐるが如しとかや、一年は過ぎ二年は過ぎ三年は過ぎ五年は過ぎて心に期したる三十四年も早や六月となれば、櫻は散り躑躅は散り藤も牡丹も飛び散りて花の都に花は尽き緑滴る武蔵野は夏の暑さに眠りけり、時こそ来れと附き纏いし召使を呼び寄せて跡片付の始末を命じ、暫し別を告げたる後は住み慣れし家門を見捨てて新橋の停車場へと急ぎしも未だ洋行の途に上るにはあらず、此より二人の老親と行き別れ死に別れの為めに生れ古郷に出立するのである、 停車場の楼上に於て無二の親友と晩餐を共にし神戸直行の夜汽車に投ぜしは六月の二十二日、三年の小国王、六年間の東京弁護士、一つ変れば一介の書生、家もなければ妻もなし、気楽か不気楽か僕は唯々前途に横わる一導の希望の為めに総ての事を忘れて居た、

素より期せしこととは云いながら此度の帰郷は忘れがたなき憂目を残した、一洋行の為めに払いし犠牲は決して少なくはない、已往六年間に孜々として積み上げたる職業的基礎は一朝にして破壊せられた、 思慮ある職業者は其無謀を笑うならんか斯る笑は何んでもない、斯る小利をなげ(注2)棄てることは惜しくも思わないが、之が為めに払いたる精神上の犠牲は永く一生の小歴史に留って滅せんとするも滅することは出来ない、 僕には一人の兄があった、彼は屡々書を寄せて家庭を作れと追ったが僕は之に応じなかった、一個の家庭を作る僕に取りて何程の事かある、 一挙手一投足の労であるが、僕は之を見合せなくてはならない事情があった、一洋行の為めに之をも犠牲に供せねばならぬ必要に迫られたが、田舎の気楽者は斯る事には気が付かない、昨年の春自ら上京して彼や是やと話しかけたるも一笑に付し去られて復た言う所を知らず、花の都の春を眺めて思いがけなき愉快を得たと喜び勇んで帰りたるときは早や已に死神は手を広げて帰る彼を待ち受けて居た、 間もなくして病鬼に擢まれたが運の果、如何なる薬石も効目なく、其年の秋に至て遂に遁て黄泉とやらに向て旅立した、 病気危篤の電報に驚かされて急行帰りたるときは彼は殆んど人事不省の有様であったが、僕を見るや否や糸より細き声を出して「宜しく頼む」と言いしは彼が臨終の唯の一言、 四十六歳を一期として十二歳を頭に五人の幼児を後に残して彼が霊魂は何れの処にか飛び去った、 僕は今に至るまで、否な終生其場の悲景を忘るることは出来ない、取り残されたる未亡人は死体に取り縋がりて号泣した、 夜の目も寝ずに看護して疲れ果て弱り果て、蒼醒めたる顔は涙を以て瀑わされ、見るも憫れを催すばかり、母も泣いた、姉等も泣いた、小供等も泣いた、集り来れる近隣の者等は老若男女何れも悲鳴を発して泣き出した、泣かぬ者は父と僕と頑是なき二人の幼児のみであったが、僕も心の中では確かに泣て居たに相違いない、

僕は元来気楽者、尻より数えて一番の長子、責任知らずの気楽者である、独立独行、為さんと欲する事を為し行かんと欲する処に行く、天下広しと雖も我身の自由を拘束する者は一人もない、 弟と生れたるは身の仕合せ、兄と為りて数多の系累に纏い付かれ、重病を負うて遠き路の夫れならで近き路をも歩むこと能わず、区々たる家事経済の為めに貴重なる脳漿を絞りて人間の驥足を伸ばす能わざる者は世の不幸者である、幸なる哉、僕は天の恵に依りて弟と生れ、国の法度に依りて家督相続と称する蒼蝿き役目より脱れたり、 去る上は生れ落ちたる家なぞは焼けるも倒れるも僕の関する処ではない、先祖が作り上げたる田畑山林は埋るも流るるも僕の気を揉むことではない、 骨肉や親戚は生きるも死するも勝手に為すべし、僕は僕たり、僕一人の僕たり、天上天下に唯一人、何事も言わんと欲する者は兄の処に行けよ、語らんと欲する者は彼の処に行けよ、求めんと欲する者も与えんと欲する者も悉く行て彼を訪えよ、何んとなれば彼は兄と名の付く不幸者、有りと有らゆる重荷を負うて行きつ、戻りつ、上りつ下りつ、狭き道や険しき山にて其日を暮す人間の動物である、 僕は弟と名の付く幸運児、雲は傘なり天下は家なり、飛ばんと欲せば千里も万里も、海の上でも、山の上でも、眠らんと欲せば花の中でも月の下でも又は王侯の頭の上でも時には貴女の懐までも、四海を狭しと自由自在に飛び廻わる人間の鳥である、 人間須らく鳥と為りて天に中し四海を両眼の中に収むべし、獣と為りて小天地に跼蹐すること勿れとは僕が平生の持論なるが、此持論は僕一人の身の上より割り出したる得手勝手の持論にして取て以て其儘広き人間社会に行うことは出来ない、 人間社会には獣と為りて重荷を負うて遠きに致す者あるが故に鳥と為りて空中に飛揚する者がある、鳥と為りて空中に飛揚し広き世界を見渡す者あるが故に獣と為りて狭き世界に安息する者がある、獣あるが故に鳥あり、鳥あるが故に獣あり、 鳥獣相俟て社会を作るものなれば鳥たるが故に必ずしも高からず、獣たるが故に必ずしも低からず、鳥と為りて誇る者は愚者の徒である、獣と為りて屈する者は怯懦の輩である、

何れの場合に於ても人間の死に依て不幸を受くる者は死者にあらずして生者である、死者は死と共に人間界を脱して人間の苦楽を感ぜざれども生者は然らず、一人の死が因と為りて種々の不幸を小事、其不幸が因と為りて更に他の不幸を産み出すことは世には珍しからざる事である、 彼は逝いた、身に纏う重荷は悉く振り捨てて冥土の旅へ出立した、冥土の旅は易けれども残る荷物は軽からず、軽き荷物は誰でも負うが重き荷物は誰が負う、 僕に二人の親あれども彼等は老て世外の者なり、僕に四人の姉あれども彼は已に他人の掌中に帰せり、 僕に一人の嫂あれども彼は五人の幼児を抱て日夜暗涙に咽べり、此時に当りて尚も僕は僕たり、僕一人の僕たり、天の恵みに依て弟と生れたり、国の法度に依て相続の役目を脱れたり、 家は焼けるも倒るるも、田畑は埋まるも流るるも、汝等は死するも生きるとも勝手次第に為して可なり、 僕は元来気楽者、鳥の生涯は持て生れたる僕が幸福、上りては空中に飛揚し下りては四海に遊泳し、花に眠り月に酔うて面白く可笑く此世を過ごすは僕の持前、世界広しと雖も僕を拘束する者は一人もなし、来らば来れ僕は是に応ぜざるなりと、優々閑々一切の俗事を振り捨てて唯々我が身一つの安楽を求め、我が身一つの栄達を計るは是れ世に所謂勇者なるか、僕は然かく考えないのである、

人間は須らく重荷を負わざるべからず、重荷を負うて遠きに致すとは人間の生涯をば形容したるの語である、重荷を負う能わざる者は病者である、弱者である、小児である、女子である、臆病者である、懶惰者である、 何れにするも競争場裡に立て土俵の真中に投げ倒されて観客の笑を買い、拭うべからざる辱を受けねばならぬ、 然れども徒らに重荷を負うが人間の能事にならず、重荷を負うてたちどころ(注3)に倒るる者は之を負わざるに如かず、 重荷を負うは目的にあらずして、之を運ぶが即ち目的なれば苟も之を負いたる者は之を運ばざるべからず、 然れども之を運びたる者は必ずしも勇者たるの名を得るにあらず、勇者たらんが為めには之を遠きに運ばざるべからず、一丁よりは二丁、一里よりは二里、十里よりは百里、百里よりは千里と、益々遠きに至れば益々勇者たるの名を得べし、 尚お一歩進んで言えば、唯に遠きに運ぶのみが勇者にあらず、勇者の名を得んと欲せば速に之を運ばざるべからず、五十年よりは三十年、三十年よりは十年、十年よりは五年、五年よりは一年、一年よりは一月、一月よりは一日と、其早力弥々早ければ弥々勇者たるの名を得べし、 去れば勇者たらんが為めには須らく重荷を負わざるべからず、重荷を負うて速に之を遠きに運ばざるべからず、速に之を運ばんと欲せば大に急がざるべからず、 昔、徳川家康は人間の一生は重荷を負うて遠き路を行くが如し、決して急ぐべからずと言て急ぐ者をば戒めたれども、急ぐ者は必ずしも不可ならず、 中途にして倒るるを知らずして急ぐ者は不可なるが故に彼は之を戒めたるに過ぎず、倒るるの恐なき者は大に急ぐべし、大に急いで何人よりも速かに、何人よりも遠くに、又何人よりも重き荷物を運ぶべし、 されば汝は何人よりも速かに、何人よりも遠くに、又何人よりも重き荷物を運ぶべし、されば何人よりも優れる勇名を博するを得ん、僕は勇者たらんと欲するものにあらず、否な勇者たらんと欲するも能わざるを如何せん、然れども落ち来る責任を避けんが為めに走りて身を隠す卑怯の振舞は誰とて好むものはない、

僕は亡き兄を送りて北邙(注4)に至り、一片の煙の消え失せるを俟て帰て彼が取り残せし荷物を調べしとき其意外なるに驚いた、独り僕が驚きたるのみならず之を見て驚かざる者は一人も無った、 近来政治上の争は独り中央都府に於て行わるるのみならず田舎の隅々に至るまで行き渡り、之が為めに身を誤り産を覆す者は枚挙するに暇はない、 政治上の争は頗る可なり、殊に立憲政治の下に於ては政治上の争は拒がんと欲するも拒ぐこと能わず、 之を拒がんとするは啻に無益なるのみならず、政海の水をして腐敗せしむるものなれば大に之を掻き廻わすは可なり、然れども己れの力を計らずして徒に区々たる虚名を貪らんが為めに蝸牛角上の争に狂奔して独り己れを傷くるのみならず、之が為めに禍を他人に及ぼすが如きは愚の極である、 此等の愚者を欺きて己れの爪牙と為し賤むべき野心を遂げんとする東京下りの悪人政治家に至ては狐狸犲狼と何んぞ択ぶ処あらん、 僕が兄は実に此等悪人政治家の爪牙と為って狐狸犲狼の為めに貪食せられたる愚者の一人である、彼は是が為めに柄にもなき負債を起して僅かなる先祖伝来の財産は今や我家を去って他人の家に移らんとす、何人か出でて之を止むるにあらざれば老幼相携えて路頭に迷うの日は遠きにあらざるべし、 而して之を止むる者は何人なるか、法律は何人に向って之を命ずるか、道徳は何人に向て之を要求するか、此問に答うることは頗る容易なれども、僕は之に答うることを潔しとしない、 断然無き責任を引受て葬式の翌日飄然として東京に帰りしが、是れぞ此度の帰郷中に於て果さねばならぬ役目の一つである、

銭あれば財政の整理ほど易すきことはなく、銭なければ財政の整理ほど難きことはない、銭あれば俗吏の末輩と雖も一国の財産を整理するを得べく、銭なければ如何に経験ある宰相と雖も手を拱して為す所を知らざるのみ、此理は一国の財政と一家の財政との間に何等の差異はない、 去れば一家の財政を整理せんと欲する者は先ず之に向て銭を投ぜねばならぬ、銭を投ずる能わざる者は之を整理するの資格なきものである、 眇たる一家の財政を整理するが為めに銭を投ずるは僕に於て何程の事かあらん、 併しながら僕は洋行せねばならぬ、如何なる事情の湧き出づるとも之を中止する訳には行かぬ、洋行は多額の銭を要す、 僕は貧乏旅行は大嫌い、貧乏書生の経験は已に既に十分嘗め尽して余りあり、此上に西洋までも出張して西洋的貧乏書生の経験を嘗むることは僕に取りては徒労なるのみならず、甚だしき有害の結果を生ずることは鏡に懸けて見るが如し、 是に於てか両々相対して多くの銭を要す、然れども僕は元来金満家ではない、或は此より金満家と為ることもあらん、 「ロックフェロー」や「カーネギー」岩崎や三井の如き小金持をば千人許りも寄せ集めて僕が草履を持たすることもあらんが、 夫れは遠き未来の事にして今は暫く人目を憚りて清貧に甘んぜなくてはならぬ、否な僕が自由自在に遊び廻わるが如く銭にも運動の自由を与えねばならぬ、深く之を筺底に押し込めて彼が自由を奪い、得たり賢しと破顔一笑以て喜ぶが如きは古代に於ける圧制治下の民、自由人権を貴ぶ立憲治下の民は銭の自由と雖も故なく之を拘束すべきものにあらずとは、僕が常に天下の守銭奴に向て鼓吹する尤も進歩したる政治学の一端なれば、銭に対する僕が施政の方針は言わずして明かである、 宣なる哉、銭なる者は屡々入れがと屡々出でて何れの処に流連するや呼べども更に帰り来らず、国家危急の際に当りて其義務を空くし、遂に懸命なる宰相をして一時の弥縫策を施して以て国家の顛覆を支うるの已むを得ざるに至らしめたり、 之を約束すれば圧制に泣き、之を放任すれば逸楽に流る、銭を御するの路も亦難い哉。

脚注

(1)
烏兎匆匆 とは - コトバンク
(2)
原文では「抛け」と表記されている。
(3)
原文では「立ろ」と表記されている。
(4)
北ぼう とは - コトバンク