『洋行之奇禍』 その8

last updated: 2013-01-23

其七

生へ繁る楡や楓は早や黄金色と変り、秋風颯々面を払うて異境の天地実にも淋しと思う間もなく、 霜は落ち雪は降り来て氷滑の時期と為り、広き湖上には若き男女が手を携えてスラリスラリと滑り行く、 チンチンと響き渡るは道行く橇の鈴なり、ヒラヒラと鳴り渡るは樹末に触るる風の声なり、 雪は地上に撒き散らされて氷りて石と為り、寒風邪凛裂として膚を刺す、 北国の多の景色は亦物凄い哉、初めて出遇うクリスマス祭は慣れぬ異境の孤客に取りては頗る異様の感を起さしめしも之もワイワイの裡に葬りてトウトウ明治三十四年も過ぎ去り、 明くれば三十五年一月元旦、日本に居れば門松も立てたるならん、屠蘇も飲みたるならん、雑煮も引きかけたるならん、 年初の礼にも廻るならんが、所変れば此通り、飲むに一滴の酒なく、食うに一塊の餅なし、 来て我に祝する者なければ行て我が祝する人もなし、狭き一室に引籠り終日机に凭れて汲々として勉むるものは夫れ何事ぞや、嗚呼無味とや云わん、乾燥とや云わん、去りながら一歩転じて考うれば新年とは抑も何事ぞや、元日とは抑も何事ぞや、 天に新年なるものなく地に元日なるものなし、新年と云い元日と云う、皆是れ人間が勝手放題に付けたる名目である、 遊びたい騒ぎたい飲みたい食いたいが為めに賤むべき此動物が賤しき心を満たさんが為めに作り上げたる品物である、 新年と人生、此間に何の関係あるか、新年はなくとも人間は生きるまでは生きる、死ぬるときは死ぬる、酒は飲まずとも餅は食わずとも白髪も生ゆれば皺も寄る、 祝した処で幸福が転げ出る訳でもなければ不幸が引き込む訳もなし、 祝せずとも来るものは来る来ないものは来ないハア新年何事ぞや元日何事ぞや、酒も欲らねば餅も欲らず、酒の代りにコーヒーでも飲むべし、餅の代りに牛肉でも食うべしと、急いで家を立ち出で学校の食堂に行けば光輝燦爛たる無数の電灯は差しも広き堂内を照らし、鳥の色よりも尚お黒き数十の黒人は雲の如き衣服を纏うて来る僕を遅しと待ち受けたるものの如し、彼等は食堂の給仕人である、

一月は去り二月は去り三月は矢の如く飛び去り、雲は消え氷は融けて春風駘蕩たる四月となれば「イースター」と名の付く休暇は来れり、 「イースター」とは抑も何事ぞやと問えば宿のお上さんは寧ろに説て云く、

「貴方は定めし聖書をお読みになったであろうが耶蘇基督は磔刑に処せられて死んでから三日目に蘇生して何々と言い遺こされたことがありましょう、 其日を「イースター」と名つけて此国にては一般の祭日としてあります、日本には此の様な祭日はありませんか」

「無論日本には左様なる祭日はないが、併し不思議ではないか、死んだ者が三日も経てから蘇生したとは、そんな事は無い筈のものであるが」

彼は目を丸くして答えた

「夫れは貴方、普通の人間ならば一旦死んでから蘇生することは出来ませんが基督は人間ではありません、彼は神であります、全智全能を備えたる神の一人息子でありまするから蘇生することが出来たのであります、 夫れが神の神たる所以ではありませんか、普通の人間の事を以て基督の事を論ずることは出来ません、 又基督は死んだと云ても決して死んで居らるるのではありません、生きて居らるるのであります (評に曰く前後矛盾基督は神でありまするから天地間の何れの処にも生きて居らるるのであります、私は確かに左様に信じて居ります)」、

僕は呆れて暫し茫然たる後漸くにして口を開て一言した

「そうか、夫れで能く解った、僕は其説明を聴て大に満足した」

彼は僕が答を聞て満足の体に見えたが僕は其場を去るや否や思わず吹き出した、斯る説明を聴て満足するなれば僕は小児の時から頭を痛めて学問を為さない、 凡そ世の中に奇々怪々なる話は多しと雖ども此程に奇怪なる話はない、幽霊の話よりも化物の話よりも尚お十倍も百倍も奇怪である、去れども現今滔々たる天下の基督教心酔家は此怪談をば有り難たがって涙を流して一心不乱に拝聴する、 苟も之を批難する者あらば其人は天下の謀叛人、宗教界の大罪人であるから神罰立ろに至て地獄の底に蹴落さるるものなりと確信して居る、 至て結構なる確信、僕は天下の衆生に向て汝等悉く来て此等有難家の仲間入を為せよと勧むるものなれども僕一人は暫く高台よりの見物、僕は已むなくんば提灯行列の後に加わりて万歳の一声を叫ばんも有難家連の仲間入は余り有り難く思わない、 僕は今斯る問題を捉えて仰々しく宗教論や哲学論を述べんと企つるものではない、 唯目覚しの為めにたった一言述ぶべきことあり、新約聖書の第一頁を見れば基督はマリアと名づくる女の腹の内から僕等と同じくヲギャアと泣て産れ出たが、 見れば目もあり口もあり、手もあり足もあり、食って息して死んでしまった、全智全能なれば何故に死んだであろうか、 彼が死ぬるから後世に至て僕等の如き謀叛人や大罪人が現われ出でて無神論なぞをば口にするのである、 彼が二千年後の今日までも生き長らえて神は此処に居るぞと大喝一声其形を現わせば天下の悪人原は立ろに消え失せてしまうのであるが、彼は左様なる面倒臭きことは嫌である、 汝等は汝等の勝手に為せよ、我の関する処にあらずと言い捨てて、さっさと天国とやらに向て逃げ出した、遁げ出すも可し、 彼が勝手に遁げ出すなれば誰も引き止めはしないが、一旦遁げ出してから未練にも帰って来るとは何たる不体裁であるか、 言い残すことを忘れたとてオメオメと元の屋敷に立ち帰るとは抑も彼は健忘症に侵されて居たのである、 日本の天神様は彼よりか余程覚の可い御方である、去れども文明国の民は此奇怪なる神に向て一生懸命に祈祷を無し願を掛ける、怪むこと勿れ笑うこと勿れ、穴守稲荷や成田不動が繁盛することを、人間を買い被ると大なる損を為さねばならぬ、

併しながら実を云えばイースター祭の故事来歴なぞは何んでも可なり、一切僕の関する処にあらず、御祭りの由来なぞをば吟味すれば碌なものは一つもない、 豈に独りイースター祭のみならんやである、遠くは希臘のオリンピヤ祭より近くは明神様や水天宮の御祭に至るまで其起りを尋ぬれば論にも句にも掛らない夢の様なることばかりである、 去れども此の夢が元となりて永き年月の間男女老若が飲み且つ食い、有り難たがって踊り舞われば此れ程結構なる夢はない、 一富士二鷹三茄子に優ること確かに百倍である、然るに御祭なぞは古代の遺風である、迷信の遺物である、宮に詣る奴は無智文盲の阿呆であると、一概に之を笑う者は未だ人間世界を知らざる白面の書生たるを免れず、 僕は元来御祭好き、小児時代には氏神様の御祭に太鼓を敲いて赤飯を食うは年中第一の楽にてありしが、 壮年時代の今日遠く此地に在て耶蘇神の御祭に出遇い数日間の休暇を得て気楽に骨休みすることを得るは此に越したる愉快はなし、 之れ全く耶蘇の御蔭なれば耶蘇の悪口なぞは以ての外、耶蘇様々と常に敬い奉らねばならぬ、僕は此祭の休日を以て二三の友人と手を携えて紐育に遊び田舎者の東京見物を為した、 但し赤毛布は持たなかった、中央公園を徘徊して「何んと無闇(注1)に広いじゃないか」と言えば、痩我慢の一友は「何んだ此の位のものはサハラの大沙漠は之より余ほど広い」と言ったから「君はサハラの大沙漠を見たことがあるのかい」と問えば「然り見たよ、小児の時に、地図の上で」と間抜けた返事で僕を玩弄した、 翌日自由の像に上りて目の穴から顔を出して海上を眺めたとき痩我慢先生思わず「ヤア高いなあ、実に驚くべき高いじゃないか」と叫んだから「何んだ此位のもの、高の知れた人間の仕業、ヒマラヤ山より余ほど低い」と言えば「君はヒマラヤ山に上ったことがあるのかい」と諷したから、 「然り上ったよ、小児の時に、地図の上で」と白まくれば他の一友は「ハハアトウトウ返報やられたな」と一同大笑した、 グラント将軍(注2)の墳墓を見ては南北戦争を思い、ハドソン河畔に逍遙しては発見者の名を喚び起しブロード、ウェーに出でては友人を見失わんことを気遣いブルックリン橋を渡ては足を痛め、 数日間の奔走に疲れ果て我が巣に帰るや否や鼾声雷の如し、

間もなくして六月も末となり、茲に第一年の学期は終り、此より休暇は始まった、三箇月間は我がものなり、

脚注

(1)
原文では「無暗」と表記されている。
(2)
原文では「グランド将軍」と表記されている。ユリシーズ・グラント - Wikipedia