『洋行之奇禍』 その10

last updated: 2013-01-23

其九

第三に述ぶべき彼等の弊害は彼等は臣民の義務なることを知らずして時々此義務に撞突する言行を為すことである、 凡そ宗教なるものは仏教に限らず基督教に限らず政治以外のものである、広く人類なる者を土台として作り上げたるものなるが故に宗教家が政治団体たる国家なるものを眼中に置かざるは一応無理はない、 併しながら如何に彼等が之を眼中に置かずとするも彼等自身も亦団体の一員にあらずや、已に団体の一員なる上は之に伴う義務あることを忘れてはならぬ、 此義務を果すことが嫌なれば速に団体名簿より取り除かるることを請求せねばならぬ、然るに之が取除をも請求せず、依然として団体の一員に加わり居りながら、其義務を果さざるのみならず、却て其不利益と為るべき行を為すが如きことあらば是れ実に許すべからざることである、 僕は日本のキリスト教徒の中に於て時々此の如き者を見ることを悲しむ、彼等の思想は頗る単純である、 彼等の眼中には神と称する仮定物より外に一物はない、国家もなければ君主もなし、神の教なるものに背く者は其何者たるを問わず其何人たるを論ぜずドシドシと反対して差支なしと心得て居る、 此は一見すれば頗る高尚にして卓絶せる思想の如くなれども其実は決して然らず、此の如き単純なる考を以て今日の世に処せんとするは尤も笑うべき幼稚なる考と云わざるを得ない、 彼等は遂に其目的を達する能わざるのみならず却て自滅を招かねばならぬ、 昔、或る儒者は孔孟の旗を飜えして日本を攻むる者あらば如何にせんかとの問に答えて、我は最先に行て之を斬り捨てんと言えり、若し基督の旗を飜えして日本を襲う者あらば如何にせんかと問えば彼等基督教徒は何んと答うるか、

最後に述ぶべき彼等の弊害は彼等は実に卑屈である、彼等は彼等の奉ずる宗教は西洋より渡来し、西洋人に依て伝えられたるが故に、西洋人を以て彼等の救世主の如くに仰ぎ、 西洋基督教国を以て極楽浄土の如くに心得て居る、彼等の胸中には日本人は実に情けない人間にして日本国は実に積らない国である、彼等の同胞は唯基督教徒あるのみ、彼等の国家は唯基督教国あるのみ、 僕は茲に至て最早多言するを要せず、唯彼等に一言を呈するは公等は速に行て基督教国に帰化し基督国の民たれよ、 非基督教国たる我日本は公等の希望を満足せしむること能わず、非基督教徒たる我等同胞は公等と齢するには余り無智の民たるが故に、

日本の基督教徒等が以上述べたる弊害を除去せざれば、吾人は国家の為めに彼等に反対せねばならぬ、

又日本の基督教徒は絶えず家庭の快楽を口にし家庭の改良を叫ぶ、僕は此点に付ては熱心に彼等に同情を寄するものである、 元来日本人は余り品行正しき人間とは云えない、何れの国に於ても下等社会の状態は実に言うに忍びざるものあれども、 上等社会、少くとも欧米基督教国の上等社会に於ては相当の秩序あり、又相当の制裁も行わるるものなれども、 日本の上等社会は何うであろうか、華族と云い紳士と云い紳〓と名づくる者等の家庭を窺うときは鼻を蔽い眉を皺むる事は続々として湧き出るであろう、 実に日本の上等社会の或る者等は獣類に近き所業を為すが故に、家庭改良は今日日本の社会事業としては尤も重要なるものである、 此重要なる事業に向て貢献せんとする彼等基督教徒の心事は実に諒とすべきものあり、 去りながら僕の見る所に依れば小心にして臆病なる彼等の手腕を以て此大事業に向て貢献せんとするは望んで得べからざる事である、 思うに彼等の家庭改良は首尾好く成功するとも彼等自身の小家庭をば出づること能わず、六畳の一間に夫婦子供膝を並べて讃美歌を唱え、聖書を三行許り読み上げ「天に居ます我等の父よ」を唸り、終りに「アーメン」の声と共に一同頭を上げる、 之れ彼等が所謂家庭の快楽、家庭の改良を意味するものなりとは扨も情けなき次第にあらずや、 僕が一友米国某大学の神学部に於て三年の業を卒え将に郷国に向て出発せんとす、 横浜埠頭待ち焦れたる細君の温き手を握るは一箇月の内にあり、長途の独旅を淋しく感じ玉うなと、 口悪き誰かに冷やかされて忽ち紅顔を呈するほどの温和なる善人なり、僕は彼を停車場に見送り将に手を別たんとするに当り突然彼に向て「君は此より日本に帰て何を説法せんとするや」と問えば、彼は即時に答うる能わずして躊躇する内に早くも汽車は動き出して見る見る森中に隠れた、 其後十日も経ぬ内に一片の封書は木の葉の如く飛び来て机上に落ちた、急ぎ開封すれば何んぞ図らん此れぞ汽車がカスケード山中を通行するの時、 薄暗き車窓の下に旅の疲も打ち忘れて熱心なる愛友が薄き鉛筆を以て認めたる長文の書面である、 嗚呼カスケード山―、僕は其名を聞かざりし、其名は僕が愛友に依て初めて僕に紹介せられた、二年も経たぬ其内に、此山中に於て僕が如何なる難儀に出遇うかは天も知らねば地も知らず僕も知らねば彼も知らざりし、 何の気もなくして放てる質問の一矢は思いかけなく彼が胸に適中したるやは知らざれども彼が長文は其の問に対する答にてありし、 彼は劈頭第一に親愛なる某君よ、今や余が汽車は其停車場を離れてカスケード山頂に攀らんとす、 余は此れより十時間にしてシアトルに達し、直に太平洋に浮ばざるべからず、 今に至て君に答えずんば余は其機会を逸せんことを恐るるが故に、車中の不便を忍び身体の動揺を押えて此書を認むることに決せりと記載し、 夫れより諄々として日本に於ける家庭の有様を通論し、之が改良の急務なることを説き、此事業に向て貢献するは宗教家の責任なるが故に、 余は及ばずながら宗教家の一人として一生を之が為めに犠牲に供せんと断言せり、何んぞ其志の純潔にして而かも其目的の高尚なるや、 世間幾多の輩若し之を聞かば恐らくは舌を噛んで愧死せんのみ、世には家庭を紊乱して顧みざるの徒あれば之を改良せんが為めに一生を抛たんとする者あり、世は広し人は様々とは善く言ったものかな、僕は此書を読み終って直に筆を取り早急一書を認めて彼に向て投ぜり、

親愛なる某君よ、余は本日午後某々の両君と共にイースト、ロック公園に上り、林檎を採りて噛りつつ、又君に付て語りつつ、只今余が室に帰り来れり、 余は今君がカスケード山中に於て幾多の不便を忍んで特に余が為めに認めたる長文の書面を読み終り、 君が高尚なる目的と其決心の鞏固なるを知るを得て感動の念禁じ難く、思わず筆を取て此書を認めるに至れり、 君よ我国に於て家庭改良の必要なることは一々君の言の如し、実に家庭の事たる一見すれば単に一家の私事に止るが如しと雖ども、広く考うるときは衛生も教育も道徳も経済も其他人間各事に伴う一切の事より社会の事国家の事に至るまで煎じ(注1)詰むれば皆是れ家庭なる二字に帰着せざるものなし、 君夙に茲に着眼し家庭の改良を以て畢世の事業と為なんと欲す、何んぞ其志の雄大にして其目的の高尚なるや、然れども君よ、人間一事を為すは容易にあらず、況んや家庭改良の如き社会の大事業に向て貢献せんとするに当ては、 須く深思熟慮して其取るべき方路を定め、生命を犠牲に供して勇進するにあらざれば其効を奏すること蓋し難かるべし、 我国に於て家庭改良の声を耳にするや已に久しと雖ども未だ何等の功績を見る能わざるのみならず、却て社会万衆の為めに一笑に付し去らるるもの豈に其基く処なくして止まんや、 思うに家庭改良を以て自ら任ずる者は啻に己れの家庭を清潔にするのみならず、他人の家庭に突進して腐敗せる空気を一掃し有害なる物体を破壊するに於て毫も顧慮する処あるべからず、 若し夫れ之に向て反抗する者あれば彼等は人類の強賊、社会の大敵なるが故に、一刀の下に之を両断するも誰が罪を以て問い罰を以て帰する者あらんや、 更に進んで言うときは家庭改良論者は啻に社会の下流に彷徨するに止まらずして進んで上流に遡り其根源を清めざるべからず、 諺に云わずや、水源已に濁る末流の清きを望むも得べからずと、古人は又云わずや、上の好む処下之より甚だしきものありと、 見よや某々等が我国の上流に立て流せる乱倫の害毒は如何に上下一般の社会を腐敗せしめたるや、然れども余は未だ不幸にして滔々たる幾百千の家庭論者中一人の彼等に向て指を染めたるものあるを聞かざるのみならず、 却て基督教徒の先輩者を以て目せられ正義硬直を以て自ら任ずる某々等の輩は、賤むべき名利の為めに自己の本領を忘却し倉皇として彼等の門に走り彼等の膝下に跪き彼等の一声に驚き一笑を見て喜びつつあるにあらずや、 嗚呼斯の如くにして我国の家庭を改良せんとするは抑も木に縁て魚を求むる(注2)と何んぞ択ぶ処あらん、 君にして若し家庭改良の為めに一身を犠牲に供せんと欲せば余は君に向て敢て求むることあり、 君よ、帰朝の後、甲を纏い冑を被り、剣を提げて家門を出づれば、電光一閃先ず某々等の首を斬て血祭を行え、 而して後に走りて家庭改良軍の陣頭に立ち大声疾呼して言えよ、我は某々等を手討にして茲に在り我に刃向う者は速に来れと、

親愛なる某君よ、社会の改良は一朝一夕に成し遂げらるるものにあらざるは余と雖ども之を知れり、性急却て事を損するは古今東西の歴史之を証して余あり、 然れども昏睡せる病者に向ては一滴の激薬は万滴の水よりも其効大なり、惰眠せる社会は天地に轟く砲声にあらざれば之を覚ますこと能わず、幸に余が微意を誤ること勿れ、

余が此書を閉ずるの時は君は渺茫たる太平洋上船頭に立て遙に前程を眺むるならん、君が此書を手にするの時は君は温き家庭に或る人と共に長き歳月の物語を為しつつあらん、健康なれよ、自愛せよ、

爾来三年の間絶えて彼の消息を聞かざりしが、近頃一友の通信に依て彼は関西地方の或る都市に於て某教会の牧師と為り相変らず寝言を唸りシジミの家庭を説いて夢の生涯を送りつつあることを知った、 又某々等は依然として乱倫の所業を働き家庭を蹂躙し傍若無人の振舞を為しつつあることを新聞紙上に瞥見したり。

脚注

(1)
原文では「煮じ」と表記されている。
(2)
木に縁りて魚を求む とは - コトバンク