『洋行之奇禍』 その12

last updated: 2013-01-23

其十一

面白し可笑しの間に十日は過ぎて集まれる二千の子供等は蜘蛛の子を散らしたる如くに消え失せり、我等同胞組も茲に解散して相互の無礼を謝し笑て手を別ちたる後は近傍のホテルに一人住居と思いの外、 此処は早くも已に次に開かるべき念仏会、否な念神会の為めに集まり来れる女性の一団に依て占領せらる、 辛うじて(注1)一室を供せられ此処に於て夏期を過ごさんと決せしが、顧みれば僕は一朝にして自由の天地より甚だしき不自由の天地に移りしなり、 昨日までは無邪気と無作法とを以て充たされたる同族の群に在って誰一人憚る者もなかりしが、今日は然らず、素より我が室内は我れの領分なり、裸になるも跣足になるも誰ありて叱る者も笑う者もなけれども、 終日終夜此の小天地に閉居するは懲役人ならざる僕に取りては無用の遠慮なるが故に、時々刻々領外に踏み出でて浩然の気を養うに於て何んぞ憚る処あらんや、 然れども踏み出せば必ず女性を見る、食堂に入れば列らなる椅子は何れも女性の大尻を載せてブツブツと不平を鳴らすが如く、 談話室に入れば口八釜敷女性の声は井戸端会議を思い出し、運動場に行けば御転婆娘の跳ね反りを見る、 昨日までは同族を以て充たされたる山も野原も僅に一日経たぬ間に全く女性の為めに占領せられ、右を向くも左を向くも、前を見るも後を見るも一人の同族の影を認めず、 ああ我は独り女軍の為めに擒にせられたるか然らざれば夢に女人国に遊べるならん、而かも米国の花と呼ばるるカレージガールの群中に、或る者之を聞かば僕を呼んで幸運児と言うならんも僕は幸運児にあらざれば不運児にもあらず、 僕は此花を見んが為めに此所に来れるにはあらず、此花を学ばんが為めに太平の波を越えたるにあらず、僕が学ばんと欲するものは外に在り、男子国に在らんか女人国に在らんか是れ僕の関する処にあらず、 さば去りながら目ある者は見ざらんと欲するも得べからず、口ある者は語らざらんと欲するも能わず、他郷の花を見れば我郷の花を思い、他国の人と語れば我国の人を思う、是れ人情の然らしむる所とや云わん、 今我に敵手なし、東西南北の美を語り彼我人民の優劣を論ぜんと欲するも得べからず、然れども物一長あれば一短あり、美なる物は又不美の伴うは是れ万物の免れざる処なり、 然るに何ぞや、彼等常に言う、我等は地球上に於て神の造り賜いし尤も優美なる人種なりと、果して然らば他の人種は神に向て不平を訴えよ、 苟も天地万物を主宰する神なるものは万物を見ること一視同仁ならざるべからず、然るに彼等に或る物を与えて我等に之を与えざるは不公平の処置にあらざるかと、

瞬く間に十月は過ぎて愛すべき此花は大和櫻の夫れならでヒリリパラリと散りにけり、残る葉櫻を見んものと、窓を開けば此は如何に、屋根を翳す林檎の枝は滴る緑に蔽われつつ三伏の此暑さに玉を抱きて弱り果て、やれ重いと言わぬばかりに垂れ掛る、 青実未だ熟せず取て以て噛るに足らずと雖も一箇月を過ぎぬ間に多くは是れ掌中の物と思えば聊か自ら慰るに足るべし、 折節コンコンと戸を叩て入り来りたる者は此家の下女なり、下女と云えば取るに足らざる虫螻の如し、然り多くの下女は何れの国に於ても虫螻同様のものなるが米国に於て時には虫類に属せるが、夏期休養中は此家に雇われ、僅かなる給料を得て是を以て学費を補う、是れ米国に於ては珍しからざることにして富有ならざる男女両学生を通じて行わるる常事なれば誰あって賤む者なければ笑う者もなし、職業の神聖を口にし自働自活を以て旗色と為せる彼等に取りては寧ろ大に賞すべきことならん、 世間多くの婦女子、父兄の脛を噛り、夫の財布を採り、自ら費すを知て自ら得るを知らず、而して動もすれば男尊女卑を愁訴する者抑も其元を知らずして其末を論ずる者にあらざるなきを得んや、 これは(注2)兎も角も彼が日常の仕事は唯一つ、毎朝客間を走り廻りて数十の臥床を直す、是れ彼が此家に起臥し此家の物を食い而して尚お或る物を得んが為めに供する勢力なり、 其他に彼は用事なし、内に在りては「ピアノ」を弾して唱歌を歌い外に在ては山野を跳び歩いて遊び廻る、日本なれば御転婆娘の名が伝わって嫁に貰う者もなからんが、米国に於ては此が娘の状態である、

彼は微笑を含みつつ口を開いた、

「相変らず御勉強ですな」

「いや別に勉強もしません、まあ腰掛けなさい」

「暑中に余り勉強すると身体を弱めますよ」

「有り難う、併し僕にはソンナ心配は更らにありません」

「貴方は斯んな遠方に一人にて来て居て別に淋しいと感じませんか」

「別に淋しいと思うたこともありません僕は元来静なる所が好きですから」

思郷病ホームシックを起したことはありませんか」

「そんな事は曾て一度もありません」

「匿しては可けませんよ」

「何に匿すも匿さないもないのです、僕は思郷病とは何んな病気であるか曾て経験したことがないから一向に知りません」

彼は「貴方は何を読んで居ますか」と言いつつ机上の書物を見て「ハア貴方は拉丁語の書物を読んで居ますな、私も拉丁語を学んだことがありますが大変に面倒なものでしょう」

「ハア大に面倒です、貴方は已に拉丁語を学びましたか、夫れは年若いに実に感心ですな」

「ハイ私は拉丁語も希臘語も日耳曼語も仏蘭語も学びました」

僕は彼の言を聞き少しく不信を起した何に高の知れた二十前後の一女子が如何に怜悧なりとて此の面倒なる語学が左様に沢山に覚えらるるものにあらずと思いしも之を追求するの要もないから、

「左様ですか然らば時々僕に解からない処を教えて呉れませんか」と言えば彼は「宜しゅうございますとも何時にても御遠慮なく御問いなさい」と言ったから、其後二三回質問せしも彼は字書を引いて之に答えた、 字書を見れば僕にも分かるから質問は止めた、或る時に日本服の話が出た、「キモノ」なる語は何つしか英語の仲間入をなし近頃の字書には「キモノ」なる文字が現われて日本人の被る衣服なりとの註釈の外に其図解として日本服を着用せる日本婦人の形が画が書いてある、 故に「キモノ」とは一般の衣服にあらずして特に日本服を意味することは僕の説明を要せざることなるが、 由来珍物好の米婦人は頻りに之を渇望す、現に大統領の夫人すら近頃某呉服店に日本服を註文せりと云う、併しながら彼等は如何に日本服を珍重するとも之を着用するの資格を有せざるを如何せん、 あの蜂腰の大尻、而かも棍棒を立てた様な直立体、其上に亦髪の、縮毛の、目の引き込んだ、鼻の尖った、狐面が、優美なる日本服を着るとも迚も似合う筈がない、 枯木人形ソックリである、彼等は洋服の日本人を見るときは言うならん、あの丈の低い、腰の太い、背の出た、足の曲った、而かも髪の黒い、瞼の腫れた、鼻の丸い、御多福面にて洋服を着たとて似合う訳がないと、 我賢明なる洋服婦人は斯る失体千万なる笑に向ては抗議を申し込むべき十分なる理由を有せらるること信ずるが故に局外者たる某等の別に気を揉むこともなからんか、 〓は兎も角も彼の下女兼女学生は常に日本服を得んが為めに苦心焦慮するや久しと雖ども未だ其志を達せざりしが、幸に日本人の前に於て日本服の話が出たから此機逸すべからずと思い之を得んことを試みた、

「私の友達に日本服を持て居る者がありますが日本服は実に奇麗(注3)ですね―、私は欲しくて堪えられないわ、何うしたら得らるるでしょう、紐育に行けば売て居る店があると云うことを聞きましたけれども夫れも何んと云う店であるか分らないし、 又其が分ったとて其を買うが為に態々紐育まで行くことは出来ないわ、何んとか好き工夫はないでしょうか」

「左様、そんな事は日本に居れば訳もない事ですけれども此国に於ては少々六つヶ敷かも知れません、紐育には日本の商人が沢山居るけれども僕は一向其方には関係がないから何事も知りません、 僕は日本服を持て居るけれども男子のであるから貴方には役に立たない、何んとも僕には差し当り方法がありませんなあ」

「日本に註文したら何でしょう」

「そんな事をした時には大変に費用を要します」

「然らば貴方の宅に手紙を出して取り寄せて下さりませんか」

「手紙を出すのは訳もない事ですが」

「御面倒でも至急出して下さりませんか、何つ頃来るでしょうか」

「手紙の返事は二ヶ月も経たら来るでしょうが衣服は来るか来ないか分かりません」

「何うして」

「其訳は日本と此国との間には小包郵便の設がありませんから郵便にて衣服を送ることは無論出来ない、此国に来る者に託するより外に道はないですが其れも実際に於ては仲々出来る事ではなかろうと思います」

「夫れは困ったものですなあ、兎に角便りが有り次第に寄越して下さる様に書て至急に手紙を出して下さい」

僕は迚も出来ない相談と知りつつ其場逃れの返事に諾と答うれば、彼は毎日手紙の催促をしたから一書を認めて彼に投函を託した、 但し其書中には何事が書てありしやは一の疑問である、翌年四五月頃彼は書を以て着物の問合わせを為せしも僕は生死の間に彷徨する大病人なりしが故に友人が代りて返事を出した、其返事の文句も何も僕は一向に知らず、又着物問題は片付いたるや否や夫れも知らない。

脚注

(1)
原文では「辛うして」と表記されている。
(2)
原文では「开は」と表記されている。
(3)
原文では「寄麗」と表記されている。