『洋行之奇禍』 その14

last updated: 2013-01-23

其十三

僕がニューヘブンに帰りしは九月の三日、暫く彼と分れて再び会う、心窃かに楽むは人情なり、去りながら或る者は言う、西洋に行き西洋美人を見て日本に帰ると日本美人が嫁になると、 僕は此言の当否は知らざれども若し果たして然りとせば日本美人は言うならん、西洋に行き西洋男子を見て日本に帰ると日本男子が嫁になると、 嗚呼誰か鳥の雌雄を知らんや、然れども僕が一友は帰朝早々細君を離縁せしを以て見れば再会必ずしも楽むに足らず、僕がニューヘブンと会う実に友人と其感を同うせり、 僕は彼の顔を見るや直に嘔気を催し早速離縁状を認めて彼になげ(注1)付けんとしたるも前後の利害を打算して暫く之を控えた、 稀代の文豪バイロンが婚姻は愛に因かずして利害に基く真の愛は婚姻以外に在りと言いしは一種の真理である、 僕は常に田舎の自然的美人を愛すれども東京の人工的美人は大嫌い、人間の小刀細工にて作り上げたる物に碌なる者はない、 一本の庭樹を見ても自然の儘に生い繁りて天を蔽い雲を突くばかりのものなれば非常に壮快なる感を起し、其樹木と共に精神の伸びるを覚ゆれども、伸びんと欲すれば頭を切り、右に行かんと欲せば右を断ち、左に逃れんと欲せば左を縛り、自然の自由を拘束し、惨刑を以て苦しめられたる樹木を見る時は何人と雖ども不快の感を起さざる者なからん、 之を見て愉快と思う者は圧制政治の暴君と択ぶ処はない、暫く山紫水明の仙境に遊び自然を伴として其日を送りし一時的仙人をしてニューヘブン停車場に着し市街を見るや思わずアア不愉快と叫ばしめたるものは此観念である、 見渡せば市街の天は大蛇がはき出す毒煙を以て蔽われ、天照大御神は煙に捲かれてアア煙いと言わぬばかりに微かに顔を現わして遁げ出すこともできず余儀なく其日の役目を勤むるが如し、檐を並べて整列する煉瓦屋は何れも煙や塵に汚されて、 我等は生れ落ちてから清き世界を見しことなしと呟くが如く、市街を駆け廻る人造動物は重荷を負わされてうんうんと唸声を発しつつ縦横に走り行き、命が欲しさに動き出す数多の生霊は眼を光らし手を振りて東西南北に馳せ廻る、冷しと思い帰りしは大間違、残暑未だ消えずして天地は蒸すが如し、 去れども再び退くは身の為めにあらず、僕が友人は断然として彼が細君を離縁せしも僕は汚れたる此少女を離別すること能わず、再び彼と同居せねばならぬ、扨も意気地なき話とや云わん、

ニューヘブンは人口十万余の一小都市にして紐育や市俄古の地獄世界と比ぶれば一種の極楽浄土である、殊に少しく雑沓するは割合に狭き下町のみにして一歩上町に踏み込めば樹木繁茂し空気清潔にして頗る閑静なり、僕は新に一軒の宿屋を見出して其処に居を定めしが、休暇の終までにはまだ彼是一ヶ月ある、其間手を空くして遊ぶは詮なきことと直に何事にか取り掛りしが、 此時己れに身体少しく異状を呈し飲食当の如くならずして気分甚だ勝れず、 斯る有様にては学校開くれば迚も遣り切れぬと思い一考の末に案出したるは宿替である、 此宿屋は閑静なれども僕をして満足せしむるに足らない、此辺は空気清潔なれども僕は尚お一層清潔なるものを望む、 庭園には見るべき樹木がない、商売的宿屋は大嫌い、顔洗水が十分でない、浴室は奇麗でない、毎朝掃除に来る老婆の顔が気に入らぬ、 豈に啻に夫れのみまらんや、此辺は書生の巣窟、彼等一たび帰り来れば時々戸を叩て無益なる愚談の為めに貴重なる時間を浪費せねばならぬ、此は尤も恐るべき敵なれば、敵の来らぬ其内に戈を倒にして退去するは君子危うきに近かざる支那兵法の認むる所、凡そ此等の理由は僕を促して宿替を決定せしめた、

此宿屋を引き払うは容易なれども行先の宿屋を見出すことは頗る困難である、多くの宿屋は休暇過ぎて帰り来る数千の学生を待ちつつある、貸間あるものは千百を以て数うべからず、 見取り択り取り、一つにても、二つにても、十にても、二十にても、最良と最醜を論ぜず、己れの意に任せて択び上ぐることを得れども、何が故にや僕が意に適うものは唯の一つもない、 一日二日三日遂に良縁を求むる能わずして更に一策を案出した、

閑静にして学校に近き場所に於て素人家の貸間を求む

エール郵便局 日本学生 花 山 香

此は新聞の広告文である、エール郵便局と記載せしは学校内には特に学生の為めに取扱う郵便局の設けありて学生は其局に一言して己れに宛てたる一切の郵便物を保管せしむることが出来る、 而して現在の宿屋に返事が来れば宿屋の者が変に思うを気遣うて斯くはなした、 又姓名を変えしは斯る事に本名を出すの必要はないからである、 僕は之を市内の三新聞に広告を依頼し、翌日の晩景に至り斯る事に付ても一人の返事を出す者があるかと疑いつつ郵便局に至りて僕宛の郵便はなきやと問えば、書記は笑て今日僕は君の書記を勤めて居るようなものだと言いつつ百通許りの手紙を渡せしが、見れば何れも広告に対する返事である、 翌日行けば五六十通、其翌日は二十通許り、合計二百余通の返事には僕も聊か驚いたが、考うれば別に驚くこともない、米人は常に新聞を見るも論説や雑報は第二に置て先ず広告の部分を片端から見る、而して、利用すべきことあれば直に之を捉うるが故に三行半に足らない僕が広告も直に彼等の目に留りたるに相違ない、 此広告に依て確めることを得たるは市民が日本学生に対する感情である、彼等は室を貸すには米学生よりも日本学生を好む、 何故なれば日本学生は静にして騒がず又室を汚さざれども米学生はどんどんと騒ぎ立て喫煙を以て室内を煙臭くすることもある故である、 僕は此多数の手紙を得て面白半分一々開封して見れば十通十色、種々なる文句を並ぶれども自分の室を賞め立てる点に付ては何れも一致せるには呆れざるを得ない、 日本人は自分の物は決して賞めざるのみならず却て悪く言うは古来よりの習慣である、 此点に付ては日本人は消極主義を採り米人は極端なる積極主義を採る、彼等は自分の物を賞める、去りとて他人の物をば、悪くも言わず、何んでも蚊でも賞め立てて人を喜ばせ人を馬鹿にして自分が甘い事を為すは彼等が社交上の秘訣なるが如し、 自分の内の室は至て静である、奇麗である、風通が可い、道具類は新である、学校には近い、家族は少ない、日本学生は大好き、自分の内には曾て日本学生の某氏が居ったことがあると、 種々なる文句を書き立てて人を誘えども、行きて見れば往々にして反対の事実を発見し、戸を出づるや否や伴う友人と共に屡々大笑せしことがあった、

択べば限りなしとは経験ある老父母が結婚盛りの我子を戒むるの語なるが、此語は其儘取りて以て僕が宝探しに適当することが出来る、 一週間に僅か十円以外の室代を払うて良室を得んとす、其目的を達することのできないは当り前である、 恰も貧乏人の息子が華族の令嬢と結婚を望むが如し、僕不肖なりと雖も其位の事に気付かざる程の子供にもあらざるが故に大抵の処にて決心して、直に或る家に移転し、先ず先ず安心と思いしが、是れぞ将来に起るべき禍に向て一の動機を与えたりとは誰れありて知る者はない、

移転先は殆んど僕が注文に添うた、家は三階造にして大小十五六の間数を有し、前は人馬の往来稀にして後には広き庭園を扣え、閑静又閑静、一室に閉じ籠るときは終日終夜絶て人声を聞かず、 近傍一帯は樹木繁茂して林の如く、空気亦頗る清潔である、窓を開けば遙か小丘の上に見ゆるは名に負うイーストロック公園にして其中央に高く聳ゆる独立戦争の記念碑なり、 郊外の森林は遠く十里に亘りて宛全大洋の如く、眼界一望限りなし、ああ是れ容易に得べからざる絶景、家族六人に下婢一人、七十有余のお婆さんは耳が遠くて常に二尺許りの聴管を携帯し、彼に語らんと欲せば彼は其一端を耳に附け我は他の一端に口を当て大声を出して発音せねばならぬ、 夫れにも拘わらず彼は仲々の話好きの戯言家にして屡々冗話を持ち掛け僕をして奇妙なる聴管に口を当つるの免到を取らしめた、 主人は或る会社の役員にして日々出勤し、お上さんは内に在て家婢を使うて家事を営む、兄は大学に、娘は中学に、弟は小学校に、何れも日々通学し、遊び相手、話し相手には尤も好伴侶である、 彼等は僕と語り日本語を聞くを以て非常に愉快を感ずると共に之が為めに僕を妨げんことを恐れ、室内に入り来るや先ず「勉強の妨げにはなりませんか」と尋ね、僕が「否な決して」と答うるを俟て椅子に坐を占むるを例とせり、 家族一同下女に至るまで頗る親切丁寧にして就中お上さんは、僕が其内に居るを自慢らしく近隣の者に吹聴す、其上一同は基督教の有難家なるが故に日曜日の朝は必ず僕を誘うて一同教会に出かける、 教会に至れば見当り次第誰彼の差別なく紹介して手を握らす、若い者の手なれば喜んで握るも、時々翁さん婆さんの皺だらけの手を握らざるるには聊か閉口せしことありしも、 一ヶ月経たぬ間に多数の知己を得たるは全くお上さんの御蔭なれば此位な不平は我慢せねばならぬと思った、

唯僕に取りて都合悪き事は食事である、米国に於ては普通に室を貸せると食事は全く別であるから、僕は此家に室を借りて居るのみで食事は他の処に於て為さねばならぬ、 学校附近なれば学校の食堂もある、書生の倶楽部もある、料理屋もある、其他食事の場所は幾らも在るなれども、少く偏鄙なる此近所に於ては其れが無いから初め此家に移ることは止めようと思いしが、 此れも気転好きお上さんの周旋にて近所の或る素人家にて食事を為し得ることとなった、其家は頗る気楽なる内にて夫婦の外に子供なし、 学校教師の若娘が四人下宿して、食卓に就く者は僕と共に七人、食前食中食後に喋々として語る彼等の談話は僕に取りては一種の楽なりしが一つ困る事は食物が好くない、 西洋人は肉食すと云うが夫れは昼のみにして普通の家にては朝晩は牛乳や麺麭や野菜類にて済ます、 而かも其分量や甚だ乏し、弁々たる大腹を抱えて三十貫目も目方ある大男にても其食物に至ては驚く程に少量である、 然る処が僕は左様なる食物にて満足することは出来ない、此迄三度ながら勝手次第に肉食を為せし者が一朝にして斯る急激なる変動に出遇うては堪えられたるものでない、 去りとて他に行くべき場所もない、又一つには食事仲間の面白きに引かされて暫く辛抱せしが、或る日一友来り君は近頃非常に憔悴して見ゆるが何か身体に故障は起らざるかと問うたから、別に故障は感ぜざるも斯う云う事があるが或は其関係にはあらざるかと答うれば、 夫れに相違ないから早速変えるが可かろうと忠告して呉れたから、直に其忠告を容れて再び学校の食堂に通うこととしたが扨是れが甚だ免到である、

学校迄は歩て行けば少くも二十分を要す、戸口から一丁許り歩て電車を捕へ之を下って更に一丁許り歩むとすれば十分にて足る、 此間をば一日に一回往復するですら聊か免到を感ぜしに、其他に日曜日の休もなき食事の為めに三回往復せざるを得ざるに至ては迚も堪えられたるものでない、 去ればとて今又此家を去って他に転宅するは好ましからざる故に、一輌の自転車を買求め車上学生の列に加った、 自転車なれば僅かに五分間、道路頗る滑かにして、降雨泥を生ぜず、一天雲晴るれば復た滴水を見ず、人道車道は何処までも分たれ、行く者は右に、来る者は左の慣習は誰一人ありて破るものなければ、僕の如き下手乗の名人すら車馬に突き当って転倒するの心配は更に無用、 時しも秋の頃にて天気晴朗、道の両側に繁茂せる楡や楓は今を盛りと金剛色を呈して道路は宛全黄葉の隧道(注2)と化した、黄葉隧道(注3)中の自転車乗り、ああ愉快、斯んな愉快が何れの処に求めらるべきやと思いしが、秋は何つ迄も留まらず、迎えずと雖も冬は到来した。

脚注

(1)
原文では「抛け」と表記されている。
(2)
原文では「墜道」と表記されている。
(3)
原文では「墜道」と表記されている。