『洋行之奇禍』 その21

last updated: 2013-01-23

其二十

天涯万里の異郷に客と為りて学窓の下に蛍雪の労を積む者は仮令其身に煩なしとするも時に或は無聊を感じ深く思に沈み遙に郷国の天を眺めて茫然たることあり、 之を見て小心者と笑い臆病者と嘲る者は未だ他郷を踏まざるの人にあらざれば人情の何たるを解せざるの徒なり、 多情多恨は英雄豪傑たるの道にあらずと雖ども無情無心は人間をして木石と化せしむ、嗚呼人間誰か情なからんや、 情ある者誰か多少の感慨なくして止まんや、指を屈すれば已に七年の歳月は過ぎぬ、我れ独り愛宕山上に散歩し葉櫻の下遙に品川沖を眺めたるの時、心機立ろに動いて堅く洋行を誓えり、 爾来苦心し又経営し、百難に堪え万難を排して漸く此地に来れるもの豈に区々たるの虚名を求めんが為めならんや、 月を眺め花を酔うて賤むべき人生の快楽を貪らんが為めならんや、 我れ不肖なりと雖ども心中聊か期する所あればなり、然るに何んぞや、未だ二年ならず学業将に央ならんして一朝此禍に罹る、 独り陋隘なる病室の一隅に横わり、起たんと欲して起つこと能わず眠らんと欲して眠ること能わず、花は咲けども之を見る能わず、鳥は啼けども之を聞く能わず、日夜病苦と戦い生命と争い、身体は憔悴し顔色は蒼白と化し、 頭髪長く乱れて額を隠し粗鬚蓬々として面を蔽う、 嗚呼昔日の紅顔今何くに在るや、昔日の我は已に消え失せたるか、無能にして無責任なる医士は時に来て我を窺うと雖ども彼は如何とも施すの術を知らず、 不親切にして不熟練なる看護婦は病者を苦むるを知て之を安んずるの道を知らず、 文明国の実何くに在るや、基督教国の実何くに在るや、而かも彼等は週の初めに於ては一堂に集り、楽を奏し歌を叫び、天を拝し神に祈り、慈善を口にし博愛を説く、 抑も何等の狂態ぞや、一人の骨肉来て我を慰むるものなく、偶々同胞の訪い来る者あるも言わんと欲すれば病苦の為めに妨げられ、語らんと欲すれば病魔の為めに障ぎられ、 言う能わず語る能わず、唯々相見て茫然たるのみ、

三月は過ぎ四月は過ぎ五月は去て六月も末と為れば学期は茲に終を告げて再び暑中休暇の時期は来れり、集まれる幾多の健児は我も我もと郷里に帰り楽しき家庭に夏の暑さを忘るるならん、 親友実山、西池、柴田の三氏は帰朝の途に上り再び此地に帰り来らず其他の同胞兄弟も亦散じて一人の影を止むる者なく時々に訪婦は来り告げて一人の日本人、病の為めに昨日入院して隣室に在りと言う、 其名を問えば酒田氏なりと答う、扨は不思議なるかな、氏は僕と同じくエール大学に学び業を終えて将に帰朝せんとするの時に当り突然の為めに捉えられて旅行の途に上ること能わず、 病を治せんが為めに此所に入り来れり、然れども悲しむべきは氏は重症にして僕が室に来ること能わず、僕も亦起て氏を訪うの勇気なし、 嗚呼万里の涯、異郷の天、広漠たる荒野に於て、残るは僅か二人の兄弟のみ、而かも彼等は病の為めに苦められて起つこと能わず、 壁一重の為めに障られて相見相語ることを得ず、終日終夜慈愛なき外人の手に懲りて空しく病床に呻吟す、抑も何んたる不運児ぞや、幸にして氏の病気は日を追うて退却し、僕も亦稍々元気を回復して杖に倚りつつ辛うじて(注1)庭内を歩行するに至れりと雖ども、一たび加えられたる創傷は毫も癒えざるのみならず、 益々憂うべき現象を呈し、僕をして心窃かに其前途を気遣わしむるに至れり、 七月の末に至れば酒田氏は病治まりて帰朝の途に就くに至りしかば、 僕は忘るべからざる此病友を送らんが為めに病を冒して停車場に至れり、 汽笛一声長蛇将に動かんとするのとき氏は頭を窓外に現わして「大なる決心を以て帰り玉え」の一言を残して消え失せたり、 氏は常に元気回復して旅行に堪え得るまでに至れば必ず一たび帰朝すべしと熱心に勧めたれども当時僕が念頭には帰朝の考は未だ萌芽(注2)をも発せざりし、

嗚呼僕はトウトウ一人と為った、孤島のロビンソンクルーソーか(注3)鬼界ヶ島の俊寛か(注4)、否な否な、彼等は孤島の中に在りしと雖ども草木の実を取り禽獣を殺して之を食い、皮を剥ぎ葉を集めて身を蔽い、雨の降る日は小屋の中に横わり、 天気好き日は山野を跋渉し、温き日光に曝され、甘き空気を呼吸し、孤島狭しと雖ども之れ我が天地、 上に我を圧するの主なく下に我に諂うの臣なし、 為さんと欲する事を為し行わんと欲する事を行う、人間の自由寧ろ之より大なるはなし、誰か彼等を目して世の不幸者と云うや、 之に反して僕の境遇は如何、此地は絶海の孤島にあらざれば無人の僻地にもあらず、世界に輝く黄金国、食わんと欲せば美味あり、着けんと欲せば錦衣あり、 然れども僕は之を食う能わず、之を着る能わざるを如何せん、 登らんと欲せば百里の山あり走らんと欲せば千里の野あり、然れども僕は之に登り之に走る能わざるを如何せん、 温き日光は天地を照すと雖ども之を受くること能わず、甘き空気は天地に満てりと雖ども之を取るに由なし、 我が天地は孤島の狭きよりも尚お狭く我が陋屋は茅屋の陋きよりも尚お陋し、 春は来れども花は咲かず夏は来れども風は吹かず、満目悽愴として宛然秋の荒野の如し、 嗚呼僕は実に秋の荒野に矢を被りて悲鳴に叫ぶ孤鳥である、僕はロビンソンクルーソーと為るも俊寛と為るも僕は僕たることを欲しない、

酒田氏と別れたる翌日僕は病床を離れ独り安楽椅子に凭れて窓外を眺めた、ああ僕が此病院に来たのは三月の一日であった、其時は庭園の樹木は何れも枯木の如く、地上には一片の草葉をも見えなかった、何つの間にやら木の芽も出て草地も色を帯び、葉も繁り花も咲いた、彼処に見ゆる林檎の樹が今を盛りと花を開いたときは雲か霞かと疑わるるばかりで僕は彼処の樹下まで歩いて行きたくて何れだけ焦れたか知れないが夫れすら出来なかった、 何つしか花も散りて青葉の中に豆の如き実が見えたが今は早やあの通り大きく為った、 最早半面に紅を帯びて間近き内に親の元を離るるであろう、直ぐ窓前に在る梨の樹、オー此樹である、此樹には毎朝夜明前に一羽の小鳥が悲鳴を上げて叫んだが此頃は絶えて其声を聞かない、 何処に行ったであろうか、アアあの時は僕は全く夢中であった、二週間三週間唯の一眠も得なかった、 医者や看護婦は眠られない筈はないと言った、左様に長く眠らなくて人間が生きて居れる訳はないと言った、 併し僕は眠らなかった、確かに眠らなかった、如何に一夜を長く覚えたか、如何に彼の小鳥の声を待ち受けたであろうか、 或る者をして言わしむれば彼の小鳥は神の御使と云うであろう、然り神の御使である、彼の声は尚お耳に在り、忘るることは出来ない、終生忘るることは出来ない、 アア長き間生死の淵に漂うた、医者にも手を放され友人にも思い切られ、僕自身も屡々覚悟を決めたが何が故か死神も見舞わず辛うじて其場を切り抜けてやっと此処まで漕ぎ着けたとは言うものの此から先は何う為るのやら更に見当が着かない、 元気だけは少しばかり回復したが局部は少しも治る模様は見えない、医者は大丈夫直に治ると言うが本当に此儘にて治るであろうか、医者の言は当に為らない、 抑も治療の前から彼の言ったことは一として当に為ったことはない、一から十まで悉く外れて来る、 此危険なる病気をばあんな医者に任せて置て可いであろうか、 取り返しの付かないことは生じないであろうか、何んとかして一たび名医の診察を受けて其意見を聴きたいものであるが去りとて何処に名医が居るのか夫れも分らない、 又分ったとて此体で迚も行くことは出来ない、アア実に困った、他に方法はない、今暫く此所に辛抱せねばなるまいか、夫れにしても学校は如何にすべきか、 休暇の終るまでにはまだ二ヶ月も間がある、何んぼ遅くとも夫れまでには直るであろう、併し治った所で再び復校するだけの元気が回復するであろうか、 此有様では先ず六つヶ敷と思わねばなるまい、 何に学校の事なぞは憂うるには足らない、学校の模様は大概分ったから此上教師なぞは要せない、 何んなりとも自分の独力にて為せない事は無い、幸にして十分に元気が回復したなれば復校しよう、否らざれば暫く各所を漫遊して来年の春を俟て欧州へ出かけよう、 何れにするも二ヶ月後に於て定めるの外はない、夫れにしても何んとかして此病苦より脱れたいものである、

戸扉は開いた、一人の婦人は入り来りて前の椅子に坐を占めた、彼は何人であるか、此より如何なる事が湧き出たか。

脚注

(1)
原文では「辛うして」と表記されている。
(2)
原文では「萌牙」と表記されている。
(3)
原文では「が」と表記されている。
(4)
原文では「が」と表記されている。