『洋行之奇禍』 その25

last updated: 2013-01-23

其二十四

大学病院は前病院に比すれば数倍も広大なる建物を有し従て医者看護婦の数も多く諸般の器具は精良にして院内の秩序亦頗る整頓せり、 僕を送り来れる太田、神代の両君は其日は面会日にあらざりしを以て病室に入ることを得ず、次の面会日に来るべきことを約して帰れり、僕が病室に入るや間もなく医士は一人の助手を従えて入り来り、患部を一見し一言をも語らずして直に出て行きしが、暫くして助手は帰り来り明日手術を施すべしと告げ知らせた、 僕は之を聞て驚きしが必要なれば致し方なし、併し何が故に必要なるか、又如何なる手術を施すかを聞きたしと言えば彼は必要なる理由は後に至って説明する時あらんが最早一日も放任して置くことは非常に危険である、 而して此病は肋骨の或る部分を切り取らざれば治らざるが故に肋骨切除の手術を施すなりと答えて去った、是に於て僕は暫く黙思の後徐ろに筆を取りて二通の遺言書を認め之を小鞄の中に入れ、別に太田、神代の両君に宛てたる一通の書面を認め之を投函せしめた、 其書中には僕は明日復もや手術を受くることとなれるが故に万一の場合を慮り二通の遺言書を認めて之を小鞄の中に入れ置けり、必要の時来らば表書に従て一通は之を実家に送り他の一通は両君に於て開封したる上其趣旨に基きて然るべく処分して呉れよとの依頼であった、此仕事を終るや否や僕は疲労の為めに思わず眠に落ちた、

其日より絶食を命ぜられ翌日第二回の手術を受くるが為めに手術場に連れ行かれた、入口に近くや忌まわしき麻薬の臭気は鼻を穿つばかりに襲い来た、僕は此臭気は大嫌い、凡そ世の中に此程嫌いな臭はない、 今でも此の臭を思い出すだけにて胸を悪くする程であるが、今や僕は此臭気を以て充たされたる室内に連れ込まれたから頭の裡も脳の中も掻き廻わされるばかりに揺れ始めた、 見れば五人の医者と七人の看護婦は腕を扼して入り来る僕をば凝視しつつある彼等が纏える、雪の如き白衣は紅の血痕を以て汚され、大小無数の刀圭は見るさえ寒き秋水の光を放ちつつ秩序なく架上に横わるは已に幾人かの治療を終えたる後なるべし、 室内に備付けある数多の器械類は一々眼に留まらざるも中央に据え置かれたる一箇の硝子台、竪(注1)六尺に横三尺、此れぞ人間を料理すべき俎板である、嗚呼人間の料理場!幾千の生霊は此料理場に運れ込まれて此俎上に横わったが僕も亦其一人、

僕は大衰弱、滅茶滅茶に衰弱した、大病、大傷、マラリヤ熱、絶食、此等の悪魔に攻め立てられて殆んど足腰も立たぬばかりに弱り果てた、此上更に肋骨切除と云うが如き大手術に堪えるであろうか、 どうも怪しい、医者は向う見ずの事を為しはしないか、一つ質問せんとせしが最早駄目、此場合に至て何を言うべきことあるか、万事を運命に任かすの外はないと思い、黙して俎上に横われば忽ち臭気は鼻を蔽うた、ワン、ツー、スリー、フォーア、ファイヴ、……後は知らぬ、

フト醒めたときは病室の寝台に横わって居た、扨は治療は済みたかと思いしときは身に大苦痛を感じた時であった、醒めたが可いのやら永久醒めないが可いのやら自ら判断が着かない、 此より床中に横わったまま一歩も動くことは出来ない、寄せ来る苦痛と戦い炎熱と争わねばならぬ、憤激を押え失望を追い慰安を求むるが為めに湧き出づる考は千変万化して止むときはない、

或る時は一心不乱に生れ落ちたる山間を慕うた、アア僕は元の田舎生活に復りたい、実に田舎は奇麗である、自然の美を以て充たされてある、春は山にも野にも愛らしき花が咲く、夏は涼風に暑さを覚えず、秋は名月林間を照し、冬は坐ながら銀世界を眺むることも出来る、 塵深き土臭き無趣味なる都生活、何の楽があるか、田舎人は頗る無邪気である、質朴である、親切である、強欲なる華奢なる冷酷なる都人と交りて何の面白き事がある、古郷には親もある、姉等もある、親戚もある、小児時代より中好き友達もある、彼等は如何に僕を大切にして呉れるよ、 嗚呼懐かしき故郷、僕は何故に古郷を離れたか、何故に山水明媚なる仙境を捨てて紅塵万丈の都生活を思い出たか、 僕は曾て牛を牽きつつ山野の緑草の上に眠ったこともある、鎌を腰にしながら春の峯に上って燃え立つ田園を眺めたることもある、鍬を肩にして花咲く菜園を逍遙したこともある、釣竿を手にして清き渓川の流に一日を費したこともある、 あの自分は何れだけ楽しく、何れだけ面白くありしか、僕は不思議に思わるる程に無病息災であった、病なぞは夢にも知らなかったが、都に出て塵深き書窓に十年の歳月を積む間に知らず知らず僕の健康は弱められた、 僕は決して不養生の事を為さなかった、酒を被り女を弄し汚れし陋室に旭日の照すを覚えざるが如き狂態を演じたことは唯の一度もない、 夫れのみならず僕は尤も衛生に注意した、人よりは衛生家と言わるるばかりに注意しなけれども運命の悪魔は僕を追うて此悲境に落らしめた、 アア熱い、此発熱を如何にするか、氷なぞは迚も役に立たぬ、僕は渓川の水が呑みたい、僕が家の前に潺々と流るる清き冷き渓川の水が呑みたい、あの水を呑めば屹度此発熱は消えるであろう、 身は此処に在るも心は生れ古郷に飛び去れり、

僕は何故に古郷を離れて東京に出たか、東京を去て万里を離つる此地に来たか、目的の為めに、目的とは何にか、功名を得んが為めに、馬鹿!大馬鹿!功名とは一体何事なるか、天下に名を得んとするか、天下に名を得て夫れで何うするか、国家の為めに尽さんとするか、社会の為めに尽さんとするか、国家とは抑も何にか、社会とは抑も何にか、 何ずれも人間の寄合である、人間を離れて国家もなければ社会もない、国家や社会の為めに尽すは他人の為めに尽すのである、 他人の為めに尽すも可し、去れども自分の身を犠牲に供して他人の為めに尽すとは何事ぞ、 一つしかない命までも危険の地位に置て他人の為めに尽すとは何うしても理屈に合わない、功名、富貴、国家、社会、総て命の前には全くゼロである、僕は此身を苦めてまでも功名なぞを得るの要はない、 人間一生何事ぞや、悠々閑々と遊んで死ねば夫れで可いではないか、古郷を離れたは僕が一生の大失敗、名誉も欲しない、富貴も望まない、此病が治ったら直に帰て再び田園生活を為さん、

臆病者!弱虫!汝は病の為めに苦しめられて其本心を失った、が田舎に帰って自然を伴として一生を過ごす、無学文盲の田夫と択ぶ所はない、世間を見捨てたる、否な世間より見捨てたる腐儒の耄碌と択ぶ所はない、悠々と遊で一生を過ごす、遊んで何んが面白いか、何を為して遊ばんとするか、遊んで生活が出来得るか、 麦を食い大根を囓っても尚お遊びたいか、牛馬の尻を追い、泥や芥に汚され、汗水流して鋤鍬を振り舞わして何んの楽があるか、 田舎の土百姓と為るなれば何故に二十年蛍雪の苦を嘗めたか、功名を貪るは何故に馬鹿か、功名心は人間が持て生れたる天性ではないか、 天性を放棄して何くに幸福を得らるるか、金殿玉楼に坐するは茅屋の陋室に坐するより愉快ではないか、 数千の美姫に囲まるるは一人の御多福面を相手にするより愉快ではないか、国家や社会の為めに尽すが何故に可笑いか、此程高尚なる事はないではないか、我身は何にか、我命は何にか、人生は百年にも足らない短い間の夢ではないか、此短い間に幾千万年の後までも残る仕事を為す、幾億万人の為めになる事業を為す、若し之が出来るとするなれば此程大なる愉快はない、何に苦しい、此位の苦に堪えられない様な者が何の役に立つか、世間には之より以上の苦を受くる者は幾許あるか知れない、確かり気を持ち直して、大に奮闘して、速に病鬼を駆逐せねばならぬ、

医者も看護婦も親切である、殊に看護婦等は能う限り便利を与えて大に僕が心を慰めて呉れたるが為めに僕は砂漠中に於て一点の緑地を見出したる心地した、丁度四週間の後に初めて病床を離れ、力めて日光に曝され新鮮の空気を呼吸し徐ろに元気を回復して九月の末に至ては漸く杖に倚て再び庭内の散歩を取り得るまでに至ったが患部は未だ治る模様は見えない、 其中に暑中休暇は過ぎ新旧の同胞学生合せて二十名許り此地に集まりしが、敢なくも彼等の間に於て、又彼等の或る者と僕との間に於て衝突が起り悶着が湧き出で、愚争を醸し陋態を演じたるは笑止千万の事とや云わん、

僕は前に米国に於ける同胞学生の多数は卑屈にして乞食根性を有すと云いしが乞食根性と云うが酷なれば暫く之を奉公人根性と訂正せん、 此卑屈にして奉公人根性を有する者等が、当時僕の所在地に在りしや否は之を知らず、併しながら僕は常に或る同胞等の言行を見て非常なる不快の念を起し心窃かに日本人の特性、否な日本人の短所に付て屡々考を廻らしたることありし、試みに僕をして其何事なるかを語らしめよ、

奇なる哉我が同胞等よ、彼等は食を求めんが為めに時々出でて広き米国を徘徊す、然れども僅に食を得れば忽ちにして帰り狭き天地の間に棲息す、彼等は其身外国に在りと雖ども外国の天地に棲息せずして日本の天地に棲息す、而かも僅に十数の同胞を以て日本村を組織して其中に蟄居閉息し、常に少数なる住民の間を往来して一歩も其外に出づること能わず、 尚お此等少数の住民は互に一致和合せずして常に闘争を事とするに至ては世にも不思議なる動物とや云わん、 而して其闘争の原由を尋ぬれば何れども醜陋にして士人鼻を蔽うものにあらざるはなし、例えば彼等は新なる同胞の来るを見るときは之を迎えざるのみならず百方手を尽して之を排斥せんとす、有福の者を見るときは之を讒し之を妬み稍もすれば之を墜んとす、 彼らが常に語ることは銭にあらざれば同胞の悪評なり、彼らが常に行うことは陋劣にあらざれば卑屈なり、彼等は狭き天地に在りながら何が故に斯くの如き狭き天地を作るか、天涯万里の異郷に在りながら何が故に相和合せずして常に相反目するや、 日本人は島国根性を有すと評せらるるも彼等は之に答うるの言辞を有せざるならん、而かも此の如きは米国至る処に於て同胞兄弟の多数が演じつつある常態なりと知るときは何人と雖ども日本人の特性に付て一考せざるを得ざるべし、

此等の輩は何れも亜米利加ゴロツキと称する部分に属す、此処彼処と米国の各処に転々流浪して賤しむべき所業を為し、甚だしきに至ては日本の風俗より国体に関するが如き事に至る迄、針小棒大に嘘(注2)八百を混入して憚りもなく之を公衆の前に披露し、一時の笑を売て以て僅かなる銭を得、而して銭を得れば或は遊蕩に耽り或は学校に行く、 甲の学校に入れられざれば乙に行く、乙に於て落第すれば丙に行く、素より一定の目的あるにあらず確乎たる決心あるにあらざれば学業の成効する訳はなし、 日本に帰らんが旅費を如何せん、帰りたる後に於いて為すべき職業なきを如何にせん、泛々として浮び漂々として流るる間に五年は過ぎ十年は過ぎ、賤しき社会の方面より吹き来る風に触れ、 恐ろしき生活難の灘より逆捲く浪に打たれて、何んとも蚊とも云われぬ煮ても焼ても食べない鉄面皮の大馬鹿者と為る、 然るに笑うべきは此等の大馬鹿者でも一片の功名心と名づくるものを有するにや、 彼等は長く亜米利加に居りたることを以て己れの名誉なりと心得、功名を遂げたるものの如くに妄想し、口を開けば直に在米の年月を誇る、唯に夫れのみなれば其愚を笑て止めむなれども彼等は在米年月の長短を以て世に所謂先進者後進者の関係が成り立つものの如く心得、 十年の者は七年の者より、七年は五年より、五年は三年、三年は一年と、其年月の長き者は短き者をば御し得るものの如くに心得て之を実際に試みんとするに至ては其愚や遠く及ぶべからず、 彼等は三歳の童子に向ては其志を達することを得んも苟も道理の一端を解し彼等の安価を知るものは一笑の下に彼等を吹き飛ばして尚おも自ら笑うなるべし、是れ小天地に於て児戯に類する愚争が絶えざる所以である、

僕は告白す、名誉を賭して誠実に告白せねばならぬことがある、其はグレース病院に対する関係である、此関係を解決することは頗る面倒である、否な免倒と云うよりも寧ろ嫌である、 其は外の事ではない、此問題には銭と云う物が附着して居るからである、入院料の支払、損害賠償の要求、何れも銭を以て解決すべき問題であるが何人と雖も銭を口にすることを好む者はない、 米人は何うであるか知れない、亜米利加ゴロツキは何と思うか知らない、 併しながら僕は嫌である、僕に限らず少しく書物を読んだ日本人は誰れも銭を談ずることを好まない、 他人の事なればまだしも自分の銭問題を彼是言うことは一層好まない、此は日本人の欠点と言わば言え、 此中に大なる美点が伏在するかも知れない、何れにするも嫌なことは何こまでも嫌である、去りとて之を捨て置く訳には行かない、此所が僕が非常に困る点である、 世人の誤解を招き易き点である、又一部の同胞学生は実際之に付て大なる誤解を為したのである、併し真正に考うれば之は単に銭の問題ではない、

之を銭問題なりと云うは頗る皮想の観察である、無智文盲にして道理の一端をも弁えざる者の言うことである、之は銭問題ではない、人間の権利問題である、道徳問題である、社会問題である、日本人問題であることは前に述べた通り、然る処が世の中には情けないほどに訳の分らぬ者が沢山ある、 横文字が読めるとか深遠なる学問を研究するなぞとは言いながら呆れるほど事理に疎い者がある、権利と云えば直に法律家が堅く苦しきことを言う様に思う、弁護士が屁理屈を捏ねる様に思う、 成る程法律を知らない者の眼には左様に映ずるかも知れないが夫れは其人の眼光の小なること、己れの無智なることを自白するものである、 権利の貴ぶべきこと、之を蹂躙せられては回復の道を取らねばならぬこと位は法律を学ばずとも普通の智識あれば解かる道理である、之が解らぬと云う者あれば其人は常識以外の人である、 人間以下の人間であるから僕は斯る人の批難を恐れて自分の意思を曲げることは出来ない、又道徳に付ても僕は世間多数の人、少くとも一部の宗教家や道徳家とは大に見解を異にして居る、頭を打たれたら笑て忍べよ、右の頬に唾せらるれば左の頬を出せよと云うが如き道徳教は僕の常に排斥する所である、 斯る情けない道徳教の前に何んで服従することが出来るか、斯る道徳教が勢力を得たときは人間は死に絶ゆるときである、国家は滅亡する時である、 然るに妙な宗教や変な道徳教に迷うて居る連中は其をやらねば気に入らない、頭を打たれても顔に唾されてもニコニコと笑うて居る者でなければ道徳教とは云わないが僕は斯る道徳家の夢の相手に為りて一生を過ごすとは当分は御免を被りたい、 尚お一層笑うべき事は此等の道徳家先生が西洋に行くと時々柄にもなき日本人の体面と云うことを口にする、 其実日本人の体面を保つとは如何なることかと質すと、要するに万事万端白人の前に屈従して何事も逆わない様に彼等の鼻息を伺うて戦々兢々と縮み込み慄い上って居ると云うことに帰着する、夫れ故に此大主義に背く者あれば彼等よりは日本人の体面を傷つけたとの汚名を被らねばならぬ、 僕は幸にして此等道徳家先生の知遇を辱うして一生の笑い友達を得たと喜び勇んで居たか、遂には病中此等大先生に襲撃せられて権利問題も道徳問題も社会問題も一括して浅ましき銭問題と為されたのは此程遺憾千万の事はない

僕はグレース病院に入院料なぞを払わないと決めた、払わないではない如何に考えても之を払うべき法律上及び道徳上の義務がないからである、平常人の病を治するを職業と為し人間の生死の鍵を握って居る大責任ある医者が、僅かなる病気に付て非常なる鑑定違を為し、 人の身体に回復すべからざる大傷を負わせ、恐るべき害毒を注ぎ込みたるのみならず、其上詐欺奸計を用いて病人を死地に追い払わんとしたる者に対して銭を与うべきものなるか否かは問題とはならない、 素より僕は初めから斯る考を持て居たのではない、否な此道理は能く弁えて居たなれども大病を扣えながら免倒なる事を見るのは甚だ困るから、此所は例の道徳家の仮面を被りて知らぬ顔して通り越すに如かずと思い肝癪の虫を押えて辛抱して居た、 然る処が後に至て病院の監督者が余り失敬千万なる振舞を為したから僕も已むなく激論を吹き掛けた、そうなれば此方も意地である、 理でも非でも己れの主張を貫きたいは人情である、事小なりと雖ども是れ亦男子の意気地である、先方に七分の理があって此方に三分の理しかないときにても己れを屈することの出来難いは男子の常である、況んや理と云う点に至ては先方には唯の一分もない、 夫れをば此方が十分の理を捨てて尚お其上辱を忍びて屈従せねばならぬと云う訳が何れの世界に在るか、 然るに面唾教を奉ずる先生等は此場合にも屈従を強ゆるのである、事実も知らぬ道理も知らぬ盲目滅法に自分免許の愚断を与えて之に服従せざる者に向て例の不道徳論及び体面論を持ち出して攻め立てんとす、 軌道外れも茲に至ては迚も追い付くことは出来ない、夫れのみならず入院料を支払わないのは銭を惜むからであると言い出した、之が真に亜米利加ゴロツキの本性を曝露した所である、 日本人の亜米利加ゴロツキは常に斯る考より外に持て居ない、唐人の皿洗や、おさん奉公をすると知らず知らず斯る賤しき根性に落るは実に情けないことである、 僕は斯る話を聞く毎に眉を縮むるばかりに嫌な思がする、銭が何にか、僕と雖ども五百円や千円の銭を気に掛ける程の貧乏人でもない、 之を惜んで屁理屈を考え出す如き斗肖(注3)の悪人でもない、 素より人が何んと推測しようが夫れは勝手であるから僕は其を気にする訳もないが、苟も斯る推測を受くだけでも聊か心苦しく思うから僕は其銭は悉皆銭に困る其等の人々に与えんと宣言した、 日本人倶楽部にでも寄附せんと言ったが友人が左様な事をするは却て宜しくないと言ったから其儘になって居るが思えば人間の邪推ほど人を誤るものはない、まだ有る、実に書くに忍びない事がある、 或る者等は僕が預金を調べた、僕が或る銀行に銭を預けて置いたら態々其銀行に行て預金を調べて更に一層の邪言を伝えた、 某は銀行に多額の預金を為して居る、銭が無ければ払わないも宜しいが有るに払わないのは不都合であると言い散らした、 払うか払わないかは銭の有無とは何等の関係はない、払うべきものなれば銭は無くとも是非其払わなければならぬ、又払うべからざるものなれば如何に多くの銭を持つも払うべきでない、最早斯る事を言うに至ては日本人ではない、西洋人は之を猶太人根性と云い日本人は之を穢多根性と云う、嗚呼穢多!此等の穢多連でも日本に帰れば洋行帰りの面を被りて教育社会や宗教者かに身を置くに至ては抑も世は末である

僕は如何にもして銭を口にすることを避けようと思い、病院に対しては僕が法律上の権利を認めしめ十分に病院の過失を謝せしめて我慢することに決した、又彼等をして深く将来を戒ましむる様に誓を為さしむることに決した、 之は僕自身の為めと云わんより将来此地に来るべき日本人の為めである、而して此等の要求は決して不当ではないから彼等は之を拒むの理由を有せない、 苟も一片の良心と幾分の道義心を有するものなれば甘んじて之を承諾せねばならぬ、併し斯る談判は他人にて為し得らるるものにあらず、事実の真想を弁えず又直接の痛痒をも感ぜざる他人に於ては迚も出来得るものでないから面到なれども僕自身、直接の被害者として総ての事実に接触したる僕自身に於て結末を着けるの外はない 此も災難に伴う災難なりと思うて病気全快次第直に監督者に会て今一度彼の妖婦をば思う存分に責めてやらんと思うて居た、

僕がグレース病院を出たときは監督者は旅行の為めに不在であったから、副監督者に向て僕は監督者に面会して種々談ずることあれども彼は今不在である、又僕自身は此の如き病体にて何事も為すことは出来ないから一切の事は病気全快の時を俟つの外はない、 監督者帰らば宜しく此趣を伝えて呉れよと言い残して退院した、然る処が転院の翌日に至て復もや大手術を受け、日夜烈しき苦痛の為めに責め立てられ長き間病床に横わったまま一歩も動くことが出来ない有様と為った、 幸にして其後少しく元気を回復したるも局部は依然として癒えずして液体の排泄は止むの時なく、加うるに甚だしき衰弱の為めに辛うして杖に縋りつつ庭前に歩み出で椅子に腰掛けて休む位が山々の事、一通の手紙すら認めることは容易にあらざりしが故に前病院との談判も未だ開始するに至らず其儘に放任せしは致し方もなき次第である、 又別に目前に迫りたる緊急問題にもあらざれば此病体を冒して事を始むるの必要はなく、仮令之を始むるも中途にして挫折するは疑なきを以て暫く病気全快の時を俟つの外なしと断念して之を念頭に置かざりしが図らずも一の珍事は身方と思う同胞の中より湧き出でた。

脚注

(1)
原文では「堅」と表記されている。
(2)
原文では「虚」と表記されている。
(3)
斗筲のこと。出典は『論語』「子路第十三の二十」。斗筲の人とは - ことわざ・慣用句参照。