『洋行之奇禍』 その27
其二十六
乞う之より僕をして現われ出でたる三人の同胞に付て聊か語らしめよ、甲者は年の頃は三十を超ゆること六七にして在米已に十三年、其初めは何れの処に居られしや僕の伺い知ることにあらざれども、当市に来り富を論ずる経済学の研究と云う名目を以てエール大学に籍を置きしより已に七年の長きに達すれども、
何が故にや君が唯一の目的たる免状と称する怪しき守札は君の掌中には落ち来らず、年々歳々後の鳥に先んぜられて残念無念遺る方なく、本年こそは奮起一番首尾(注1)能く年来の志望を遂げて錦衣故山を照すは愚かな事、洋服高帽に鍍金時計、頸の廻らぬハイカラに赤色のネクタイをばくるりと結び着けて、
之が米国最近流行の紳士風なり、我は洋行帰り、在米十三年、エール大学に学ぶこと七年、経済学の深奥を究め之が運用の妙を得たり、
経済学なる哉、経済なる哉、経済学は富を論ずるの学なり、富を論ずるとは富を得んことを講ずるの意なり、人間富なければ死せざるべからず、
国家富なければ滅びざるべからず、富は人間生命の母にして国家生存の父なり、富を有する者は繁え富を失う者は衰う、
富を有すれば目に一丁字なき阿呆男と雖ども金殿玉楼に阿呆威張を為すことを得べく、富を有せざれば胸に万巻の書を貯うと雖ども下宿屋楼上に閉息せざるべからず、
富の嚢は底深し、小野の小町も入るべし楊貴妃も入るべし、山も入るべし川も入るべし、家も入るべし倉も入るべし、賢者も愚者も、盲者も唖者も、酒も肴も、菓子も団子も、凡そ世の中に有りと有らゆる品物は其大小を問わず軽重を論ぜず取て以て富の嚢中に入るる能わざるものなし、
智恵の嚢は底浅し以て一個のお多福面を入るるに足らず、以て一本の焼芋をも匿すに足らず、一升の米一合の醤油、一匹の鰯に一把の薪、取て以て之を嚢中に押し込むは容易の事にならず、
豈んや山をや川をや、家をや倉をや、小野の小町をや楊貴妃をや、智恵の嚢に入り来る虫は夏の夕の蚊群にあらざれば冬の寒さを凌ぐ虱連なり、
扨も広大なる哉富の嚢、不潔なる哉智恵の嚢、人間須らく智恵の嚢を抛げ棄てて富の嚢を求むべし、
人間の仕事は富の嚢を得るに在り、国家の仕事も亦然り、国に富なければ兵を養うことを得ず、軍艦を製すること能わず、
兵なく軍艦なければ戦に敗けざるを得ず、何くんぞ世界に雄飛するを得んや、ああ富なる哉々々々々、此より我が島帝国をして東洋の商業国たらしめ富国の実を挙げしむるの責任は掛つて乃公の双肩に在り、
汝等日本の馬鹿野郎共謹んで我輩が高説を拝聴し我輩が指導の下に汗水流してせっせと働くべしと、
吹て吹て吹き飛ばし、某々等一派のハイカラ株をば根抜き葉抜きに倒し呉れんと思いしは一夜の夢にてありし、翌朝ひらりと舞い込んだ一片の端書を、取る手遅して見つめたときは、然しも色好き君の顔も見る見る土の如く灰の如く死人の如くに変化して、之を見たる同室の友は唖と為り鼠と化けて窃に戸外に忍び出て終日我家に帰らざりし、
君は是に於て最早事の為す能わざるを悟り檄を四方に飛ばして哀訴嘆願以て或る物を要求せしが、捨てる神あれば拾う神ありとかや、米国四百有余の大学中君の願を聞き届くるもの
次に現れたる乙者の来歴如何と尋ぬるに、君は在米年限并に年令に於ては甲者に比して稍々遜色ありと雖ども所謂「稍」なるが故に甚だしき懸隔なきことは何人も推測し得るならん、
君はエール大学に在りしこと六年、本年を以て第七年目と為す、其年限や短しと云うべからず、哲学を研究すと云うには其名のみにして其志の向う所はパンにあり、パンの為めには哲学も
夫れから次に来るは丙者、此人は僕より二年以前に此地に来り、追々と秩序的進歩を為して元老の末席に列なるは最早遠きにあらず、元老の候補者としては第一に指を折らるるの人なり、 此人北陸地方に於ける某寺院の住職なるが夙に東京に出て名ある某学校に学ぶこと数年にして、奮然此地に来り西洋哲学を研究し、尚お進んでは印度哲学の蘊奥をを究めて天晴なる名僧智識為り、親弯、日蓮、蓮如、弘法は尻食え、我は彼等が建立したる日本の仏教社会に大改革を行い、生臭坊主の円頭をば片端から打ち砕き、 愚夫愚婦の迷夢を破り、有り難き仏の光明を放って日本の天地を輝かさんとは、彼が常に抱持せる理想にはあらずして、 彼は矢張り食の為めに法を説き衣の為めに木像を拝し、愚夫愚婦を欺て臍操銭を投ぜしめ、之を以て肉を食い酒を飲み大黒を囲まんと欲する平々凡々たる偽僧の一人である、日本の仏教社会は改革すべきものにあらずして根底より破壊すべきものである、 仏の光明なぞは日本の天地には最早必要なきのみならず却て有害である、猶太の産物が大和民族の嗜好に適せざると均しく、印度の衣服は日本人に取りては不便にして不経済、衛生を害し発達を妨ぐるものである、 見よや西京に行き本願寺の建物を見よ、如何に此建物が幾十万の愚夫愚婦の懐を寒からしめたるや、 此内に住する坊主は常に何事を為しつつあるや、彼が戸籍を一覧したる者は何人も彼が作りし数多の私生子を見て驚かざる者なからん、 此の如く人倫を破壊し人道(注6)を蹂躙する天下の破戒坊主を押し戴いて王と為し、 彼が号令に服従する日本のお仏教社会は改革の問題にあらずして破壊の問題である、又歩を転じて何れかの山寺を訪えよ、 ゴンゴンと鳴り渡る鐘の音は諸業無常を告ぐるにあらずや、 ポンポンと響き渡る木魚の声は瞑途に迷う亡者の泣声に非ずや、 棚に列る位牌も墓場に立てる卒都婆も、細煙を吹き出す線香も坊主が唸る御経の声も、其他見る物聞く物一として陰気の種と為り悲観の思を起さしめざるはなし、 青年一たび其門に入れば立ろに勇気を阻喪し、老者一たび其堂に上れば思わず南無阿弥陀仏を唱う、此の如く未来を説て現在を説かず、死あるを知て生あるを知らず、 因循なれよ臆病なれよと教ゆる迷信教が科学の進歩に汲々たる現今の日本社会に適合するや、進取と膨張とに依て生存し発達せんとする大和民族の奉戴する宗教として益ありて害なきや、日本国家の国是と衝突する所なきや、 世界の大勢に逆う所なきや、腐敗せる家屋は修理すべき者にあらずして根底より破壊すべき者である、此を破壊するは新なる家屋を建設する所以である、 然るに世の仏教徒が稍もすれば仏教の改革を口にす、彼等は如何にして之を改革せんとするや、彼等の所謂改革は漸くにして寺院の廃興にあらざれば坊主の改良に止まる、 其れすら何等の効を奏せざるのみならず益々弊害を高むるに非ずや、彼は仏教の本体を如何にせんとするや、三千年に於ける釈尊の説法は悉く千古万古に変わらざる宇宙の真理なりと心得居るや、而かも彼等は其経典の万分の一を咀嚼するや、 嗚呼憐れなる三文坊主等よ、汝等は常に死者に向て引導なるものを渡す、我は生者たる汝等に向て一言の引導を渡して呉れん、恭しく惟るに、抑も坊主なるものは頭を固く光らして、墨の衣に墨の袈裟数珠を手にして木像に向い、ゴンゴンと銅鑼を叩きポンポンと木魚を鳴らし、太鼓はドン拍子木はカチカチ、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経(注7)をば百度千度繰り返して夫れで足らいで御経の文句をジョウジョコジョウと唸り出すと雖ども、其唸り声は唐人の寝言か猫の啼声、 言う者も分らねば聞く者も分らず、門口に立つ乞食坊主が唸る阿呆陀羅経は眠け覚し薬との為るも、汝が唸る御経の寝言を聞く時は眠らぬ者は一人もなし、 然れども汝は有難い有難いと口癖に言う、若しも汝が喋べる御経の声が有難いなれば、犬の声も猫の声も、鳥の声も雀の声も、凡そ世の中に有難たからざる声とては一つもなし、 汝が有難いと言うは人を胡魔化す方便なり、汝は此声を唸って賽銭を集め、御布施を貰い、寄附金を募り、台所の棚には鰯を匿し奥の座敷には大黒を押し込め、尚も高座に上りては五戒を説き十戒を説き、貪欲を戒め色欲を戒む、 汝が人の貪欲を戒むるは己の貪欲を充たさんが為なり、汝が人の色欲を戒むるは己の色欲を蔽わんが為なり、凡そ世の中に善人を装う悪人は多しと雖ども汝の如き偽善者は恐らく他に求むることを得ざるべし、 汝は此の如くにして、長き年月の間人を欺き人を胡魔化して己れの欲を充たし己れの腹を肥やしたりと雖ども、世は段々と開け行き愚人は段々と死し去りて、汝が声に耳を傾くる者は益々減少し、汝が財布は弥々空乏を告ぐるに至れるは汝の為めには不幸なるも世の為めには大なる幸なり、 見よや汝の寺の屋の瓦は壊れて木像の頭の上には雨が降り、汝が寺の大黒柱は腐り果てて中より虫が現わるるとも誰ありて之を顧みる者なきにあらずや、 然かも汝は執念深くも貧乏寺に噛り付き大根を噛り糊を啜り、破れ衣に破れ草履、オーオーオーと人の門口に立て食を乞う、 何ぞ汝が生活の憐れなるや、嗚呼憐れなる天下幾万の阿呆坊主よ、汝等はいっその事にて寺も道具も売り飛ばして鋤鍬を買い求め、行きて田圃に耕すべし、 否らざれば海に投じて魚腹の物と為れよ、之を要するに仏教も駄目、儒教も駄目、基督教は尚お駄目、神道や武士道は以て宗教と為すに足らず、今や大和民族は新なる宗教を渇望しつつある、 新に現わるる宗教は舶来的なる可らず、異人的なる可らず、迷信的ならざる可らず、退歩的なるべからず、大和民族固有の特性に基て日本の土地に発生し、万古の真理を基礎と為し進歩せる学理を応用し、国民の幸福と国家の目的に適合せる一大日本教ならざるべからず、 現今日本の社会には碌々として平凡なる千の哲学者万の宗教家を要せず、要する者は唯一人の偉人である、日本教の釈迦、日本教の基督である、
扨も此処に引出したる丙坊さん前に於て此の如き事を説くも犬に説法、骨折り損の疲れ儲け、
君は莞爾として何事をか考うる者の如し、或人告げて云く、君は去る頃写真上の結婚を為せりと、其何事を意味するやと尋ぬれば、君は在米一友の媒介に依て在日本東京の某女子と写真を取交わし、
之を以て三々九度の儀式に代え、天地開闢以来未だ嘗て存在せざる新奇発明の経済的結婚を為せしが、爾来一葉の写真は君と共に寝ね君と共に起き、君と共に学校に行き君と共に遊び、瞬時も片時も君の肌身を離れたることなし、
貧乏下宿屋の五階、六畳に足らぬ大広間、暫く彼と仮住居、解らぬ梵語に厭き果てて傍ら人無き時は、徐ろにチョロツキの
扨も此処に現われたる三人の変則豪傑は僕に向て何事を語り出したるか。